kunisawa.netに関わる、筆者の小失敗 さて、読者の中には「貴方は何故、国沢氏に直接意見せずに、匿名でこのようなページを作って国沢氏の行状を批判しているのか?フェアではないではないか」と思われる方も多いだろう。そこで、少し悩んだがその件について述べることとしよう。 実は筆者は既に国沢氏には、かの掲示板で忠告済みなのである。 筆者が車雑誌を読み始めたのは1980年代の半ばからである。小遣いに余裕が無い学生の身分ではCGなど買えず、250円程度のベストカーガイド(当時は月刊)が精一杯であった。しかも当時の執筆陣は徳大寺氏、黒沢氏、ラリーストの山内氏、竹平氏と値段の割に豪華であったのだ。その中で、まだ無名の国沢氏の名前も出て来た。 筆者は最初、「何だ?高橋国光氏のパッチもんか?」と思ったのを覚えている。 そして彼の記事の内容は、現在のベストカーでテリー伊藤氏が連載している内容を下品にしたような感じであった、という記憶しかない。しかし所詮は中綴じ雑誌である。一時の娯楽を求める読者に対してはこれもアリなんだろうなと納得していた。その後車を買ったら、自動車雑誌などは買わなくなった。国沢氏のことも忘れていた。 数年を経て、偶然、WRCの番組で国沢氏を見た。筆者の正直な感想は「へえ、あの傲慢編集部員も素は普通だったんだな。それにしても出世したものだ」である。 これは決して冗談でも受けを狙っているわけでもない。極めて真面目である。一部に言われる珍解説も飯島氏への態度も、筆者が過去にベストカーガイドで見た国沢氏の記事?の印象からすれば借りて来た猫のように見えた。まあ過去の記憶は誇張されがちだが、とにかく筆者の記憶ではそうであったのだ。 そして更に時は流れた。2000年のある日、筆者はWEB上で、ほぼ同時期に国沢氏のページと2ちゃんねるとマガジンXのページを知ることとなった。そしてそれらを、暇つぶしに眺めていた。いずれも気が向いたら眺める程度であったので、マガジンX掲示板の閉鎖騒動の原因なども当然当時は知らなかった。国沢氏のページのおかしな部分などは、「まあ(多くは無免の)若者向けの評論をやってるわけだから、このくらいいいかげんでもいいのだろう」とおおらかに眺めていた。誤字脱字も見づらい構成も「パソコンに慣れてない素人なら、こんなもんだろ」で許せていた。そして2ちゃんねるは実に怪しげで無責任な掲示板であったが、ごくまれに真実らしきものもあり、暇つぶしに見るにはよい掲示板であった。当時、というか当初は、多くの方がそうであろうように、到底書き込む気にはなれなかったが。 そんな2000年の夏頃のことだったと記憶している。国沢氏の掲示板である騒動を見た。国沢氏が雑誌に書いた記事に対し、クレームをつけた人がいたのである。それに対し、国沢氏は「いったいどこにそんなことを書いていたというのでしょうか?」と、何とも冷たい態度であった。 もっとも、そのクレーム自体は理性が欠け、激情にまかせた言いがかり的なものでもあったので、まともに相手したくないという感情となったのも分からないではない。 とはいえ、自分の記事を読んでくれたのだから間接的にではあるが顧客である。おまけに、彼の記事はただでさえ若者向けの軽くちゃらんぽらん系の文体なのであるから、それ相応の人に読まれることなど自明であろう。そういう読者向けにはそれ相応の対応というものがあるのだが、今回のように激情した(少々血の気の多い)相手に対し、小馬鹿にした返事をするのは実にヘタクソな対応である。 更に筆者が異常を感じたのは、加えてかの掲示板の常連の反応である。クレームをつけた人を集中攻撃したのだ。「ひょっとして○○さん、国語の読み取りテスト苦手だったでしょう?」などという明らかな侮辱もあった。もっとも身から出た錆でもあろうから、常連の反応が過激すぎる嫌いはあるが仕方がないか、とその時は思ったのだ。 そして後日またも騒動が起こった。 「国沢氏のインプレよりも伏木氏のインプレにシンパシーを感じる」と書きこんだ読者の方に対し、国沢氏は 「Xさん、短いつきあいでしたねぇ。伏木掲示板でハリキッて下さい」 と返したのである。ジョークと分かる文ではあるが、それにしても一見冷たい態度と映っても仕方が無い表現である。 これに対して「その言い方はないだろう」と、ROMであった方(筆者ではない)が批判して、これに常連が対抗。掲示板が大揉めになったのだ。 再度書くが、筆者はその頃2ちゃんねるもkunisawa.netもROMであったが、どちらに与するつもりもなかった。いや、どちらかといえば国沢氏の掲示板の方がまともなはずだと思っていた。 そして少し成り行きを見守っていた筆者であったが、先の騒動も合せて問題点がはっきりと理解できた。とにかく国沢氏、および常連は「相手が悪い」と頭から決めつけているのだ。「何か自分に問題があったのではないか」という思考が完全に欠落していた。 これでは問題解決になどならないのは、fj.soc.miscなどに生息していた筆者は痛いほど分かっていた。 加えてこのような独善傾向はNetを始めたばかりで、勝手な情報発信の虜となった方にありがちな傾向の1つでもあることを筆者は感じていた。そこで、まだ双方向通信手段というものに慣れていないであろう国沢氏(と常連)の、トラブル回避の基本を知らないがゆえの、しかし誰でも陥る間違い(と、その時は思った)を見るにみかねて、思い切って国沢氏の掲示板で助言をしてしまったのである。助言するにあたっては、国沢氏に失礼のないよう、できるだけ配慮したつもりである。 以下はその内容である。できるだけ当時の文章を再現したつもりだが、 細かい違いはある。ご勘弁願いたい。 |
HN: とおりすがり はじめまして。横から失礼します。 もし、ジョークを書かれるのであれば、それがジョークと明らかに分かるようにする工夫が必要だと思いますよ。嫌う人も多いのですが、:-) をつけるとか。 私も時として国沢さんの文章が「冷たいな」と感じることがあります。たとえ国沢さんがそういう意図はないと理解できても、です。ダイヤルアップ接続などで、早く書きこみたいという気持ちがあるのかもしれませんが、その結果、言葉足らずとなって一部の読者に誤解を招いてしまうのではないでしょうか。 文筆家の中には、「俺は誰にでも理解できる文章を書いている。俺の文が分からない奴は読解力がないんだ」と公言してはばからない傲慢な人もいます。(国沢さんではありません、念のため) 自分の言いたい事が伝わらなかったことを、相手の読解力の無さのせいにするのは簡単だし、楽ですが、最初から思考停止してそう決め付けてしまっては本人は成長も発展もあり得ません。それよりも先に、自分の側にも、相手に正確に考えを伝える工夫が足りなかったかどうか振り返るのも時には大切なのではないでしょうか? 乱文失礼致しました。 |
筆者は極力一般化して書いたつもりである。かつ、「今回の国沢氏の発言が冗談と分からなかった」とは一言も書いていない。「国沢氏の意図は理解できる。だが、一見すると誤解を招く表現をすることがある」と指摘しているだけなのだ。そして、「相手のせいばかりにするのはやめよう、少しだけ文章に気配りをしよう」という、ごく何でもない内容であることが御分かりいただけるだろうか。 つまり、「kunisawa.netの小失敗の研究」で言いたい事の要点は、この時点で既に直訴済みなのだ。 しかし国沢氏の掲示板の常連は、筆者の真意に気付くことはなかった。これが筆者の筆力のなさによるものか、掲示板の読者の読解力不足によるものか、それは分からない。 とにかく、この書き込みに対して常連からついたレスは以下のようなものであった。
筆者としては、あくまで仲裁に入り、(お互い)冷静になってみようと言ったつもりなのである。だが常連からは、 国沢氏(と自分達)に意見する者は敵と言わんばかりの集中攻撃を、筆者は他の批判者とともに受けたのである。 これまで、何度かNetでの争いの渦中にもいたことがあり、仲裁もしてきた筆者であったが、この攻撃には面くらった。多少の反論はあるかとは思ったが、ここまで批判されるとは予想もしていなかった。そして極めつけは国沢氏の対応である。 |
以前からの約束通り、メアドのない車以外のカキコは切除しました。 |
という書きこみとともに、筆者の上記の書きこみは削除されていたのである。
筆者は唖然となった。筆者は1995年頃(日本にプロバイダが誕生する以前)からWWWをかじっている。その経験から、掲示板で発言する時はその掲示板のルール、雰囲気を見てから発言すべし、というマナーは持ち合せているつもりであった。それゆえ今回も約束ごとなどを隅まで探し、過去ログも参照できる時点までさかのぼって見た。その結果、そのような約束などどこにも書いていなかったのだ。明言していないルールで縛られたのではたまったものではない。 さすがに、この行為には我慢できなかった。意見に対する反論ならともかく(たとえピント外れでも)、常連しか知らないルールで、新参者の都合が悪い書きこみを削除するとは、あまりにも酷いではないか。筆者は急遽Yahoo! IDでメイルアドレスを取得し、反論した。プロバイダのアドレスは使わなかった理由は、掲示板上で実アドレスをさらす危険性を、筆者は痛いほど知っていたからである。
「荒らしは相手にしないようにしようじゃないか」 「皆さん申し訳ない、あんな輩(筆者?)を相手にした私が悪かった」 「メアド書かない奴は常識がないね」 「国沢さんが海外に行ってる時に限って荒らすんだよな」 「NETの普及にしたがって自分が偉いと勘違いした変な奴も増えてくるからねえ」 もう一度、筆者の最初の書き込みを読んでいただきたい。これのどこが荒らし目的の書きこみなのであろうか?筆者は今に至ってもこの書き込みが礼を失しているとは思っていないのだ。ただ、「アドレス未記入」「国沢氏に意見した」という、その2点のみで荒らし扱いされたとしか言いようがない。しかも、常識がないだの何だの言いたい放題である。自分の少なからぬ経験上のアドバイスを国沢氏にしたというだけで、こうも批判されねばならないものなのか! そして筆者は、この時生じた自身のどす黒い感情を抑えることができず、2ちゃんねるにも思わず愚痴を書きこんでしまった。 「まさか、あのような中立的なアドバイスまで消すとは思わなかった」と。 便所の落書き、無法地帯などと言われていた悪名高き掲示板であったが、筆者への反応は極めて好意的だった。なぜなら、筆者のように、善意の忠告等をして国沢氏の掲示板を追い出された?方が既にそこには何人も居たからである! 筆者は「ああ、やはりそういうところなのか」といったんは納得し、国沢氏の掲示板には二度と書きこむまいと決めた。しかし、今後、この独裁的掲示板がどうなっていくか非常に興味はあったので見る事は続けていた。 そしてしばらくしたある日、あの901氏との討論掲示板が始まったのだ。 筆者はこれも最初は静観だった。しかし、「これでは、だめだ」と分かった。なにしろ国沢氏は「引く」ということを知らない。投げられたボールを受けずに別の石を投げかえしてくるのだ。いくら901氏が丁寧な言葉で質問しても、それは全て攻撃だとみなしていた。心を閉じてしまっているのである。そして、ボールが満足に返ってこないので、同じボールを投げると「つまらない、やめるぞ」と駄々をこねる子供のような態度になってしまった。 しかし、恐らくこれが、国沢氏にこちらの意図を分かってもらえる最初にして最後の機会であろうことは理解できた。そこで筆者は一計を案じた。こちらがいったん引いて、側面からボールを転がしてみようとしたのだ。 筆者は、過去の彼の記事から国沢氏のディーゼル嫌いが、家族の喘息からくるものだということを知っていた。国沢氏は決して冷酷な人間ではない。こちらが少し歩みより、かつ、礼節をもって意見すればわかってくれるはずだと思ったのだ。 その証拠に国沢氏はこう述べていた。 |
ここ数日のやりとりで感じたことがあります。どうやら3通りくらいの方がいるようですね。ひとつは「2chのファン」。このタイプがこの掲示板をフッキングしたんだと思います。誰かが書いた2chへのリンクのみを切除し、パスワードを書き換えて行きました。ただ新しいパスワードは「kunisawa」となっていたことがさきほど判明。このタイプは2chの中だけで楽しもう、という意思を感じます。 二つ目は「ちゃんとオモテでつき合えるのに」というタイプ。901さんなどがそうです。生IPで書き込んでいる、という方もそうでしょう。こういった方は、せめて固定HNで書き込んで下さい。ちゃんと対応します。2ch流じゃ誰か固定できず、皆同じ対応をせざるをえません。 三つ目は相手にしたくない輩です。 |
そして筆者が書きこんだのが、これである。 |
ボタンのかけちがい 投稿者:911SC-RS 投稿日:2000/11/24(Fri)13:25:46 引用 はじめまして。個人的に今回の件で思うことがございますので、書かせていただきたく思います。お読みいただければ幸いです。 Hethelさんがおっしゃっている「ボタンの掛け違い」ですが、国沢さんは当初Internetに過度の期待を抱きすぎていたのではないでしょうか?そこで予想に反し、妙な輩からの自分への反論が多かったため嫌になり、心を閉ざされてしまったように思えます。 冷静に見ますと国沢さんの記事の掲載紙は敷居も低く、また国沢さんの記事は特に直感的で分かりやすいため、実に様々な思想の方にも読まれるものであると思います。そうすると当然、変な人間も寄ってきます。ノイズの発生はある程度は仕方ないと思うのですが、国沢さんは心を閉ざされているために、ノイズと正当な意見との判断が狂われているのではないでしょうか。 それで正当な書き込みをした(つもり)の方がノイズ扱いされてしまい、憤慨してしまって騒ぎが大きくなっているように思えます。 更に個人的には「多少のノイズは有名税だ。わははのは」と笑い飛ばすとか、「死ね」とかの失敬な書き込みにも「いいけど、俺の寿命まで待ってくれ」とかの余裕ある切り返しが欲しいと思っているのですが...。 もちろんノイズにも限度があることは承知しております。 またアドレスの件ですが、Internet上では個人のプライバシー保護の法整備が未熟(明確な罰則規定が存在しません)であるために書くのは控える方も多いですので、アドレスを書かないからといって卑怯には当たらないと思います。一例を挙げますと、昔、NetNewsで分かるアドレスに無作為にメイルを出して「あなたの浮気の証拠を掴んだ。バラされたくなくば指定口座に金を振り込め」と脅迫したという犯罪がありました。 何人かは実際に振り込んだようですよ(なんだかなぁ・・・) 以上、日産のWebページがSONYにあった頃からInternetを使っている者の私観です。得るところがなければお忘れ下さい。 |
これに対しての国沢氏の返答が以下である。 |
Re: ボタンのかけちがい 投稿者:国沢光宏 投稿日:2000/11/24(Fri)15:19:57 そうですね。イタズラなら腹立つけど寛容するし、911SCさんみたいな方ならオモテでちゃんと論議出来ると思います。ワタシの掲示板にもインターネット歴、長い方多いですよ。ちなみにワタシは1986年からニフティの会員です(通信速度300でした)。すがやみつるさんに引っ張り込まれました。それにしてもなぜ911SCさんみたいな方が、なぜ2chサイドにいるか不思議です。 |
さて、ここで国沢氏は筆者の意図した「いったんこちらが引き、相手の立場になって側面からボールを転がす」という方策に見事にのって、歩み寄りの姿勢をしていただけているのが御分かりだと思う。 そして筆者はここで正体を明かした。筆者の意見に説得力を持たせるためである。 |
Re: ボタンのかけちがい 投稿者:911SC-RS 投稿日:2000/11/24(Fri)16:55:21 それは小生が貴殿の掲示板でそのような経験をしたからです。 ちょうど、読者さんが書き込まれている頃、「とおりすがり」というハンドルで書き込んだのですが、覚えていらっしゃいますか?(ちなみに、別人ですよ>誤解している一部の方へ) 当時は何か荒れまくっていたので、見るにみかねて、お節介にも「言葉足らずで誤解を生じることがあるから、もう少し文言を選んだ方がトラブルを避けられるのではないか」という意味の内容を書きましたが、あんたは読解力が無いだの、お前は大人の場に来るなだのと常連の方から言われ、メアドが無いことを理由に削除されました。つまり、小生は荒らすつもりなど毛頭なく、むしろ仲裁に入ったつもりなのに荒らし扱いされたのです。 しかも、その後、「メアド必須なら、常連しか分からないローカルルールではなく、ちゃんと掲示板の冒頭でルールとして書いて欲しい」というしごく真っ当な要望を書いたつもりなのですが、小生はもはや荒らし扱いとして発言は全く無視されました。 #追加でつまらんジョークを書いてしまいましたが はっきり申し上げて非常に悲しかったのです。 これでは他方で愚痴の1つでも言って憂さ晴らししたくなります。 ですが誹謗・中傷の類ははなっからするつもりはありませんし、実際していません。勢いで「あそこはまともじゃない」とは書いてしまいましたが、個人攻撃は一切していませんよ。 ただ、もはや向こうでも「元信者が偉そうにするな」と非難されるので私はどちらにとっても敵のようです(笑) これで小生の申し上げたことがご理解いただけましたでしょうか。 では、これにて失礼します。場を乱し申し訳ありませんでした。 貴殿の末永きご活躍を期待しております。 |
筆者は、国沢氏は「作らなくてもいい敵を拡大再生産している」ということを、自らの経験で証明したのである。これに対し、常連の方(G氏)からレスがついていた。いささか、ピントが外れているような気がするのだが、ここではそれには触れない。 |
Re: ボタンのかけちがい 投稿者:L 投稿日:2000/11/24(Fri)18:04:39 読むことは誰にでもできるが、書き込みは会員制という掲示板にすれば良かったのかもしれませんね。 但し、インターネットではそのように規制すると盛り上がりに欠ける場合が多いのも事実なんですが・・ Re: ボタンのかけちがい 投稿者:K1 投稿日:2000/11/24(Fri)19:05:31 いぜんから興味があったのですが、無記名(メールアドレス)無しにこだわる方は、Yahooやasahi.com,hotmailなどのFreeMailがどのくらい危険と考えられているのでしょうか?またはどのように危険か教えていただけないでしょうか。 Re: ボタンのかけちがい 投稿者:G 投稿日:2000/11/24(Fri)20:12:10 私は、顔の見えない、また匿名性の高いツールだからなおのこと礼儀が大切では無いかと思うのです。 何気ないことが相手を簡単に傷つけます。 こっちが冗談で書いても相手はこっちの顔が見えないのですからキツク取るかも しれません、またその時の機嫌でどうとるか解ったものではありません。 歳も、性別も越えて文字だけで会話しているのです。 ましてや”死ね”は無いでしょう。 ネットでも一般社会でも最低限の礼節は大事だと私は考えています。 |
そして筆者の最後の書きこみに対する国沢氏の返答はなく、この掲示板もほどなくして閉鎖された。 閉鎖時にはまたひと悶着あったが、もはや筆者にとってはどうしようもないことだった。 そして筆者(及び、901氏等の討論参加者)には、なんともいえぬ脱力感だけが残る結果となってしまった。ただ筆者が言いたかったことは、「言葉には気をつけよう」「相手の意見の真意を少しは考えよう」という、ごくあたりまえのことにすぎなかった。討論に参加した人たちの多くは、国沢氏の真意が聞きたかっただけなのだ。国沢氏はそれらの全てに答えることはなかった。この討論で、どれだけの人が国沢氏から離れて行ったかも筆者は分からない。 そして、筆者はしばらくは2ちゃんねるもkunisawa.netも見なくなった。 年があけて2001年となり、しばらくしてのことだ。ふと気が向いてkunisawa.netを訪れた。掲示板がどうなっているか、覗いてみたくなったからだ。筆者が最後に言いたかったことを、国沢氏、またはサポートチームが理解してくれていれば、争いは減っているだろうと淡い期待を持ったためである。しかし、そこで筆者が見たものは、あのメッセージである。 |
403 Forbidden アドレス(203.149.xxx.xxx)はアクセスを拒否されました。 |
何だ?サーバのトラブルか?と思ったが、2ちゃんねるも覗いてみた。そうしたら国沢氏の意図が理解できた。筆者は、kunisawa.netに来て欲しくない人間なのだ。「コテハンならキチンと対応します」「あなたのような方がなぜ2ちゃんに?」
という言葉が頭を何度も過ぎった。あれは一体何だったのだろうか? この日、筆者はめでたく「黄昏野郎」の仲間入りをすることとなったのだ。 筆者が騙し討ちのような表現をしたことは認める。しかし、あの時はそうでもしないと、あの時の国沢氏の頑なな姿勢を崩すことはできなかったであろう。恐らく彼にとっては「(素人に)姿勢を崩されたこと」すら,我慢ならなかったのではあるまいか。それは彼のプライドをいたく傷つけたのであろう。 もはや筆者にとって、kunisawa.netは遠い世界のものとなった。以後、プロバイダはいくつも変わり、403ではなくなったが、彼の掲示板に書き込んだことは一度としてない。いや、書きこむ気など起きようはずもない。独裁者と取り巻きの暮らすちっぽけな箱庭を冷ややかに眺めるかのように、傍観者となるだけだった。伏木氏は以前、kunisawa.netの常連のことを、「コミニュケーションをとる対象にもならない人達」と自身のWEB日記で吐き捨てた。筆者もそういう目でkunisawa.netを見る立場となってしまったのだ。 そしてこれ以後も、国沢氏の掲示板では403となる方が続いているのは読者諸氏もご存じの通りである。その中にはもちろん悪意を持っていた方もいるが、本当に国沢氏のことを思って意見した方も大勢いるのだ。 2ちゃんねるで国沢氏が叩かれているのを見て「匿名の集団で個人攻撃とは卑怯だ!」と国沢氏を擁護していた人も、kunisawa.netで国沢氏と常連を諌めたら、筆者と全く同じ道を辿った。筆者はkunisawa.netから人が去っていくたびに「ああ、また自分と同じような人が…」と何とも言えぬ空しい気持ちになったのだ。 今、kunisawa.netに残っているのは、自分達が「大人だ」と思い込み、国沢氏に盲従している思考停止した常連と、彼等のうわべのおべっかに有頂天になり、公園の砂山で大将を気取って気勢をあげているかのような国沢氏だけなのではあるまいか。もはや誰の心ある忠告も彼らに届くことは無いだろう。常連は、国沢氏が何かの雑誌に執筆している限り、おべっかを使うのを止めないだろうし、国沢氏はそのような人間が1人でもいればスタンスを変えないはずであろうからだ。その悪循環はもはや完成されているのだ。 これは、筆者の独り善がりかもしれないが、もしあの忠告−相手の意見を理解しよう、自分も言葉には気をつけよう−ということを、国沢氏も常連も気付いてくれていれば、いや、気付いてくれるほど筆者に力があったならば、kunisawa.netを去らなくてもよかった方が何名もいるのではないか、嫌な思いをしなくてもすんだのではないか、と未だに思うのだ。 いわばこれが、筆者の小失敗である。 そして、そのような筆者の後悔の念は、黄昏野郎が増えて行くにつれ積み重なっていき、「このままでは、嫌な思いをしてkunisawa.netを去っていった人達が報われない。何のために、善意の讒言をしたのか分からないではないか」という気持ちが強くなっていった。 そのピークが、2002年夏に国沢氏が901氏との討論と同じように自身の管理する形で批判者と対峙する目的で設置した「黄昏の皆さんの掲示板」および「黄昏専用掲示板」である。 901氏との討論のときは、まだ譲歩の余地があった国沢氏および常連の発言は、この時にはもはや相手を完全に格下であるとみなし、小馬鹿にした表現が並んでいた。あげく多くの方にそう思われても仕方がないような、批判者に対する煽り専用のハンドルまで用意している始末である(このハンドルを使っていた人が誰かはわからないが)。 反対意見の排除であれば、他にもやっている人はいる。だが批判者に対するあからさまな煽りまで行う(またはそれを認める)ようでは、病根はあまりにも深すぎる。 彼への直接の意見は、もはや意味がないと思われた。 また、恐らく2ちゃんねるでは彼への反発・批判はいっそう激しくなるだろうことは予想された。しかしそれではこれまでと同じままだ。互いに禍根が深くなるだけで何も好転しない。いや、そればかりかエスカレートすればするほど世間から乖離した世界に入ってしまう。加えて、ただ単に騒ぎたいだけ、悪口を言いたいだけの人物もよびよせつつあった。それでは、筆者や、多くの方がこれまでにやった忠告が、本当に完全に無になる。 これまで国沢氏を真摯に批判し、忠告している人は多かった。だがそれらをまとめている人はいなかったし、ともすれば忠告は過激な批判に埋もれていた。つまり、国沢氏、または第三者がこの騒動を見た場合、そこから得られるのはネガティブな印象だけであって、教訓はまるで無いに等しいのである。 しかし国沢氏は、やってはいけない数多くの失敗をしていたことは明らかであり、そこに焦点をあてて改善させるという視点に立っての批判であると、少なくとも第三者の読者にみられないと、筆者や、多くの方がやったであろう前向きな批判とはみなされない。 また、世間の2ちゃんねるの印象は決してよいものではなく、ここで批判をしているかぎり、悪い先入観を払拭しきることはない。更に2ちゃんねるは話題展開が速く、また瞬間沸騰で書き込むような人も多いため、1つの事象を熟考し、相手にも配慮し、解決策を示すにはあまりに不適切な場でもあった。ともすれば過激になりがちな罵倒に辟易としたこともまた事実である。 そこで筆者は2ちゃんねるを離れ、彼の失敗を基に、これまでの自身の経験もふまえてWEBで「やってはいけないこと」をまとめたページを作成することを思い立ったわけである。そしてそこでは、国沢氏の行動を好意的に解釈して彼の心理にまで踏み込んでみることにした。でなければ、問題の本質に迫って改善を求める批判ではなく、ただ批判したいだけの批判でしかないと思ったからである。 当時、それがこのように続くとは思ってもいなかった。 その後も数々の騒動が起こり、彼にまつわる騒ぎはWEBだけの騒動ではすまなくなってきている。これは当初筆者も危惧していたことではあるが、それが遂に現実になってしまったのである。 しかし、ここに到ってもなお国沢氏はスタンスを変えない。ともすれば、彼への忠告にもなるだろう…と思って作ったこのページは、もはやその面に関しての意味は限りなく無に近づいている。 おそらく、kunisawa.netはもはや軌道修正は無理だろう。一層過激になって読者が離れ、掲示板にも彼の独善的主張しかない酷いページと化すか、ある日突然閉鎖され、彼の心に巨大な私恨を残してしまうかのいずれかであろう。 だが、ここを見た方は、貴方自身のページ、または他のページでは、筆者や他の多くの方がkunisawa.netで経験したような仕打ちはされてほしくはないし、してほしくもない。更にはInternetに関してネガティブなイメージを抱かないで欲しいのである。 それが、当ページを作った筆者の、根底の気持ちなのである。 (文中の引用は全て2ちゃんねる過去ログより) |
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(2002.12.02 草稿) (2003.03.04 β版) (2004.12.21 1-0版) |