目的なき日記 -岩貞るみ子の掲示板-
しかし、WEBで何を伝えたいか明確でないページ 〜「ホームページが流行りらしいから、自分もやってみた」といったようなページがそれだ〜 はそのサイクルが生まれない。彼らの伝えたい「こと」は「趣味や仕事の話題」ではなく、「WEBを開設している自分」であり、「誰かに自分を知ってもらうこと」なのだ。 WEBでの日記すべてが意味がないわけではない。思春期の青少年が自らの不安定な心情をぶつける場としてWEBで日記をつけること、芸能人がWEBで日記をつけること、などには意味があろう。不安定な心情を暴露したことで、境遇の似たよき相談相手を見つけられたり、ファンが芸能人の活動(お気にいりの店とか)を把握して追っかけの参考にもできる。更に、ある専門分野に特化させたページの管理者が、その内容について書き綴る日記(例えば家庭菜園日記、日曜大工日記など)も面白いものになることが多い。つまりは日記の形式をとっていても、読者に訴えかけるものがあればそれは意味があるものとなる。 |
8月6日(火) 岩貞るみこ No.1294 2002年08月06日(火) 22時19分 整理券を獲得するため、早起き。今日は姪と映画。「猫の恩返し」。 前評判&プロモは盛り上がっているけれど、ストーリーは、うーん……。 同時上映、ギブリーズの方は、もっと、うーん……。 気を取り直して、昼食後はプール。帰宅後、塗り絵大会。夕食後はゲーム。 徹底的に遊び倒し。映画館&プールだったので、今日の酷暑も気にならず。 ただ、先ほど帰宅したら家の中がぐお〜な状態に。温度計は38度。ひゃ〜。 8月8日(木) 岩貞るみこ No.1302 2002年08月08日(木) 23時09分 朝から暑い。8時にゴミを捨てに外に出ただけで倒れそう。 午前中は扇風機を全開にして原稿書き。 昼に霞ヶ関に行って、国土交通省の新しい検討会についての顔合わせ。 続いて原宿へ、イラスト書きの友人、松本よしえがグループ展を開いているので冷やかしに。 そのビルにあるカフェでお茶しながら、昼ご飯がわりにくるみとガリ(!)のサラダ。 これが結構、美味しい。今度、うちでも作ってみようっと。 遅めのお昼ごはんをサラダにとどめたのにはワケが。 そのあと向かったのは赤坂のポワソン六三郎。ここで、あたらしいネット関係のパーティ。 そりゃもう、みなさん歓談中に、ひとりで食べまくりましたとも! ジムに行く予定で水着を持って出たものの、結局その後、カラオケに流れパス。 8月9日(金) 岩貞るみこ No.1305 2002年08月09日(金) 22時14分 朝から電話かけまくり。 こんがらがる話は、電話でなく会ってした方がだんぜんスムーズにことが運ぶんだけど。 電話にたよったばかりに、結局、何度もかけたりかかったりで、午前中は終わりました。 午後は私用をすませ、そのままジム。 2日もさぼってしまったので、プールの気持ちいいことといったら。 右側息継ぎは完全にマスター。ふっふっふ。 次なる目標はトビウオ・ターンか?(うそ) 8月12日(月) 岩貞るみこ No.1312 2002年08月12日(月) 22時46分 お盆休みにはいり、ぼーっとした毎日……といきたいところだけれど、 まったく関係なく仕事をしている編集部のなんと多いこと。 というわけで午前中は原稿書き。 もう先に夏休みをとっちゃったから、文句はないんだけど。うーん、ないんだけどね。 午後は電話インタビューをひとつしたあとジムへ。 右の息継ぎが完璧にできるようになったので、25メートルが簡単に泳げる。 嬉しいなあ。 帰宅後、ふたたび原稿書き。22時を過ぎて友人の編集者Kちゃんがウチに。 プジョーを撮影に使いたいんだとか。 夜なのでこそこそと会話し、立ち去るKちゃん。でも、はた目から見たら怪しいふたり。 うーん、でも私の格好といったら、短パンだしなあ。 これでヤバイ話はないでしょ。 8月14日(水) 岩貞るみこ No.1317 2002年08月14日(水) 21時57分 午前中に原稿。午後は私用で渋谷へ。 用事をすませたあと、打ち合わせまで時間があったので、 東急のデパ地下をうろうろ。ああ、夏のデザートがたくさん……うっとり。 見ているだけで幸せな気分。 17時より打ち合わせ。お盆休み関係ない人のなんと多いこと。 終了後はもちろん、プール。 今日は風があって、30分かけての帰り道も気持ちよかったです。 8月15日(木) 岩貞るみこ No.1323 2002年08月16日(金) 12時00分 ムキになってジムに行きすぎ、息切れ。 昨日はプールでざくざく歩きながら、眠りそうだったし……。 無理は禁物、積極的休養ということで、今日は自主的に休み。だらだら過ごすことに。 午前中はだらだらしすぎて、はっと気が付くと机でうとうと……。 机で眠りに落ちるなんて高校生のとき以来。 これはいかん、眠るならちゃんと寝なければとふとんに横になるとすでに昼。 おお、半日終わっている。 午後は原稿書き。日差しが強く、散歩に行く気もしないため、外出は夕食後に。 終了間際のスーパーを狙って散歩がてら買い物。 夜、歩くと、犬を散歩している人によく出会う。ああ、犬、ほし〜。 8月20日(火) 岩貞るみこ No.1335 2002年08月21日(水) 17時55分 朝、起きると、というか、寝ている最中から口がニンニク臭い。 やっぱりかなりはいってたのね〜、韓国料理。美味しかったからいいけれど。 ニンニク効果か、仕事モードに入ったためか、体調&機嫌とも復調。 朝から原稿書き。スイッチがはいったように、はかどる、はかどる。 夜まで一気に書き上げ、気分すっきり。 明日までジムが休みのため、夜、抜け出してウォーキング。 現在、体脂肪率は朝で19、夜で17です。 (kunisawa.netの岩貞るみ子の掲示板より引用) |
ここで冒頭の話題に戻るが、岩貞氏の掲示板は二重の意味で何も知らない読者に戸惑いを生じさせる。
さらに「読ませる」ということに関してもよい評価はできない。文章がぶちぶちと切れているのだ。 しかしそれらの期待をことごとく裏切り、彼女の掲示板は、何のひねりもない本人の単純な生活日記と、それへの少数の人のレスポンス(大抵はとるに足らない話題)にて構成されている、ファン通信モドキのようなものなのだ。しかも驚いたことに、彼女のこの掲示板、管理人は本人ではないようなのだ! これらのことより考察すれば、彼女の意図は明確である。 結論を書こう。 最後に、岩貞氏のような安直でとりとめのない日記を書いていると時として大失敗をおかすという例を挙げる。これは彼女が2001年に書いた日記である。彼女は現在の職につく前は、本田技研工業(株)のOLであった。 |
11月20日(火) - 岩貞るみこ (管理者) No.490 2001/11/20
23:11 NEW! 午前中に仕事をしたのち、横浜へ。 横浜に住むモータースポーツ・ジャーナリストの遠藤智さんと、 お昼を食べつつ年間報告会。昼のメニューはもちろん、う・な・ぎ。 トーチュウやナンバーなどで連載をかかえる遠藤さんは、 二輪GPを中心に世界を股にかける人。 しかし彼の奥サマは、私のOL時代の同期。 ついでに結婚前の遠藤さんもよく知っており、 彼らがニースで新婚生活を送っているときも、 何度か泊まりに行かせてもらったりの仲なのでした。 なので、1年が終わった時点で二輪、及び、世界的なモータースポーツの動向を いろいろと教えてもらうのが年中行事になりつつあり。 ところで、私と彼の奥さんの千恵ちゃんのOL時代の合い言葉は、 「宗ちゃんが死んだら社葬が大変だから、それまでに退社しよう!」 宗ちゃんとはもちろん、本田宗一郎氏。 ところが、私たちが退社した数年後、 私が彼らのニースの家に遊びに行ったまさにその日、 ニース・マタン(ニースの地方紙)に宗ちゃん死亡の記事が一面トップで! ニースで手を取り合ってしみじみしたのでありました。 (過去ログ保管所@国沢親方より引用) |
自分が勤務する会社の創設者であり、顧客にとってカリスマでもある方について、
「死んだら大変だからそれまでに辞めよう」などと無礼千万なこと話していた(またその通りになってよかったねといったようなニュアンスの)ことを全世界に公言してしまったのだ。これは気軽に書き込んでしまったゆえの大失態である。 この発言は匿名掲示板2ちゃんねるで大問題となり、他のホンダファンの掲示板に波及するまでの騒ぎとなった。 その騒ぎが大きくなる直前、この日記の赤字部分は削除され、何事もなかったのごとく装われた。書くのが安直であれば、その後処理まで安直である。 これは文筆家にあるまじき責任逃れ行為ではあるまいか。このことについて岩貞氏は何と考えているのであろうか。 繰り返すがWEBもメディアの1つなのだ。不適切な表現があれば「申し訳なかったと謝罪し訂正する」ことが必要なのである。消してしまって何事もなかったよーん、という対応はWEBをメディアと見ていない証拠である。 既存のメディアに携わる人々は、WEBを「便所の落書き」などと否定することがあるが、その本人こそがWEBの本質−メディアということ−を理解していない。そしてその結果、このような大失態を招くのである。 実は、この日の日記を書くまでは、2ちゃんねるで国沢氏を批判している人達は岩貞氏には否定的ではなかったのである。それがこの日を境に、批判の矛先が岩貞氏にも向くようになった。そしてその後も相変わらずダラダラとした日記を書きつづける彼女に不快感を抱く者が次第に増え、いまや2ちゃんねるでは岩貞氏の方が国沢氏よりも評価が低くなっているような印象すら受けるほどである。そのきっかけが、この「宗ちゃん発言」なのだ。 参考までに、故本田宗一郎氏は生前から「俺の社葬なんかやったら交通渋滞を起こして皆様に迷惑をかける。社葬なんかするな!」と言っており、社葬は行われず本社で「お別れの会」が行われたというのは有名な話である。 さて、以上の文の大綱は2002年8月末にWEBに初掲載した。そして9月末、この岩貞氏の掲示板は国沢氏のTOPページにおいて掲示板の欄から日記欄に移動し、同時に「日記&掲示板」とタイトルが変わった。このページを参考にして直していただいたのか、それとも松下宏氏の日記のリンクと同時に思い付きで構成変更を行ったのか、それは不明である。もし参考にしていただいたのだとしても、もはや完全に意固地になってしまわれた国沢氏(とサポートチーム)は絶対に筆者に連絡などはしてこないと思うが・・・。(2002.10) |
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(0−5版(β版) 2002.8.26) |