左足切断して良かったですよね〜 −読み手不在の日記の悲哀−


●言ってよいこと、悪いこと

筆者がまだ小学生の頃である。近所の友人宅に遊びに行ったら、その日は彼のいとこも来ていた。そして一緒に遊ぶことになったのだが、友人はそのいとこのことを、あだ名で呼んでいた(どういうあだ名だったかは覚えていない)。しばらく一緒に遊んだら、筆者はつい友人のいとこを、友人が彼を呼ぶ時に使うそのあだ名で呼んでしまった。 そうすると、そのいとこは別にどうという反応でもなかったのだが、友人が烈火のごとく怒り始めた。「俺のいとこをそんなふうに呼ぶな!」と。

世の中には言っていいこと、悪いことがある。言われた当人はそれを許していても、周囲がそれを許さないこともある。幸いにして筆者は小学生の頃にこれを身をもって知ったのだが、世間一般で「大人」と呼ばれていても、それにまだ気がつかない人物も多いのである。


● 今年は取り戻した〜い!

筆者は、まさか再度岩貞氏に関する考察を加えることになるとは思っていなかったのだが、しかしこの件はWEBページで書いてはならないこととして非常に参考になると思われるので、小節をつけ加えることとする。

2003年になり、2ちゃんねるでの岩貞氏への批判は衰えるどころかますます活発になり、遂には独立したスレッドが立つまでになった。そしてその中では色々と言われっぱなしであり、彼女がProfileに書いているほんの小さな肩書きすらも正体が暴かれ、むき出しにされている。「
タレントのH某(有名な女タラシ)に『君にはポルシェが似合う』とそそのかされて1,000万のローン組んでポルシェを買った」とか「唯一の著作は2,000部しか売れず、うち500冊は自分で買ったとの噂」などという話に至っては本当であろうがデタラメであろうがジョークにもならず、完全に2ちゃんねるでのオモチャになり下がっている。それもこれも、番外編で書いた「宗ちゃん発言事件」から一気に転落していった末路である。

だから筆者は「とりとめのないつまらんお手軽日記はやめとけ」と1年も前からここに書いていたのだが…。

そしてまたしても、安直な発言で失敗をしてしまった。最初は2003年5月25日。

5月25日(日) 岩貞るみこ No.1678 2003年05月26日(月) 10時00分

昨日、放ったらかして眠ったため、朝から皿洗い。
実は私は皿洗いが大好き。ひとつずつがぴかぴかになっていくのはすごく楽しい。
こんな楽しみ、ディッシュウォッシャーなんかにとられてたまるか?
午後はプールでひと泳ぎしたあと、アクティブでお世話になった杉山忠志氏のお通夜。
ちなみに私はお通夜には絶対に喪服は着ない主義。
だって用意万端みたいでイヤなのだ。もちろん告別式には正装するけれど。
編集部に寄ると、いつも笑顔で向かえてくださった杉山さん。
ご冥福をお祈りします。
これは2chで「告別式に正装しなくても良いのは、急遽駆けつける人のことを考えてのことであって、プールで泳げる時間があれば正装するのが筋ではないか」「正装しないのは構わんが、この日記を遺族の方が見たらどう思うか考えたことがあるのか」などととかなり叩かれてしまった。

次は2003年6月8日の日記である。
6月8日(日) 岩貞るみこ No.1700 2003年06月09日(月) 15時33分

のほほ〜んとした日曜日。先週の締め切りラッシュで集中しすぎ、
一気に放心状態。とりあえず締め切り分だけだらだらとこなし、あとはまさに放心。
昼ご飯を食べたら一気に睡魔に襲われ、そのまま床に倒れ込んでぐ〜っ……。
気が付いたら夕方。おお、買い物に行かなくては。ジムはまあ、いっか。
夜、久しぶりにトレイルランナーのIくんから電話。
どうやら彼女といっしょに生活することにしたらしい。おお、めでたい!
そういえば整体の先生も「家を探しているんですよ〜」とか
「ダイヤって複雑な値段設定ですね〜」とか言っている。むむむ、これは???
まわりに幸せな人がいっぱいいるのはいいこと。こっちまで幸せな気分になれるし。
昨年は身近な方がいっぱい亡くなったので、今年は取り戻した〜い!
…読者の多くは「何のことだ?」と思ってしまう文章である。ここは、「昨年は不幸が続いてしまったので、今年は幸せの方が多いといいな」とでも書くべきところであろう。

「取り戻す」とはいったい何を?まさか金銭のことではないだろうが、人の幸せ(結婚)、不幸せ(他界)をモノか何かと勘違いしてはいるんじゃないのか、との誤解を招く極めて不適切な表現である。これも、お手軽日記の安直さゆえに、つい書いてしまった失敗であろう。

そして、この2週間後に書いてしまったことは更に衝撃的な内容であった。


●血栓による左足切断

それは、元本田技研の広報部にいた松岡氏に関することである。 松岡氏は2002年4月7日、名古屋から新幹線に乗った直後に血栓を発病してしまい、残念ながら左足を膝下から切断せざるを得ないことになってしまった。その状況を、国沢氏はじめ自動車評論関係の方は当時の日記に書いているので、少々長いが引用しておく。
2002年5月1日

午前中原稿書き。終了後、中野まで家の用事で行く。実家でウナギの弁当を作ってもらい、新横浜の病院へ。昨年までホンダ広報の「顔」だった松岡兄が入院してるのである。
左足の血栓のため膝下から切断するという大きな手術をしたとのこと。聞けば4月7日に鈴鹿までバイクのGPを見に行った帰り、名古屋から乗った新幹線の中で発症。血か通わなくなったため起こる痛さにデッキに寝転がりうなっていたにも関わらず、1時間以上誰も声を掛けてくれなかったそうな(関係者は同じ新幹線に乗っていなかった)。日本人はいつからそんなに冷たくなったのだろうか? 北海道で自動車事故の現場に遭遇した際、応急対応したことがある。やがて到着した救急員に状況を説明したが、この時の態度ときたらケンもホロロ。早くアッチへ行け、といった雰囲気だった。赤十字の救急員の認定証を持つ知人が「助ける方がバカなのだろうか?」と言っていたのを思い出す。でもワタシはお節介と言われても、声を掛けます。掛けないで後悔するより、掛けてウルさがられる方を選ぶ。

(kunisawa.netより引用)
2002年4月24日

遅めに起き抜けると、家族は全員出掛けてもぬけの殻。押っ取り刀で原稿を書く態勢に入るが、やっぱり気になるので町田駅前のヨドバシカメラにインクカートリッジを買いに行く。そのままサザンゴルフに行こうかと思ったが、思いなおしてFAXをプリントアウトを優先させた。

すると、ああなんてこったあの松岡さんが新横浜の病院に入院しているというではないか。横浜国際競技場の隣にある労災病院は我が家の生活圏である。即座に見舞いに行くことにする。マーチの試乗をかねて駆けつけると、すでに湯沢のKさんとその友人のIさんが面会中だった。

合流すると、
車椅子の洋三さんはすでに元気を取り戻しつつあるようで、まずはひと安心。わたしもこれまでにほぼ10年周期で入院を要する手術(外科内科両方)を受けた経験があるので、見舞い方には多少なりとも慣れているつもりだ。相手の気持ちが分かるという意味でね。

健康な時には想像もできないが、病院にはたくさんの病人がいる。病院というのは基本的に病気を作り(診断し)、それを直す所だ、ということを実感する。誤解を恐れずに言うと、病院は病人と怪我人を中心とするコミュニティで、医師や看護婦以外に直接有用なコミュニケーションが取りにくい世界だ。家族や友人などはちょっと意味が違うかもしれないが
、一般的には健康な人々にはリアルに当事者の心境を掴み取ることが難しい。

いくら入院した経験があるといっても、完治して元の生活に戻るとすぐに病院での生活は忘れてしまうものだ。それは入院生活が決定的にノーマルではない環境に置かれて営まれるものであるからなのだろう。忘れることができるというのは、人間が生きて行く上でなくてはならない能力ではないかと思う。

病院で絶対にしてはならないことがある。それは絶望で、望みを失った瞬間に病との闘いは負けに終わってしまう。逆に言うと、希望の炎さえ燃やしてさえいれば勝てる。多少の病など屁でもない、とは言わないが、可能性は飛躍的に高まる。
なんだか書いている内容が怪しくなってきた。まとまりを欠いて誤解されのは本意ではないので、今日はこれまでにしておこう。


2002年12月30日

昨年から仲間に入れてもらった練馬の加藤さんちでの餅つき大会。同業や編集者、広報マンなどで食べて食べて、ほんの少しだけ飲んでポヨヨンとして年の瀬の一時を過ごす。
昨年大手術をした松岡さんが現れて、一同ヤァヤァと快復を祝う。(略)

(動遊倶楽部より引用)
2002年4月22日と23日

(略)
元ホンダ広報(存在としては今でもか?)の松岡さんが、静脈瘤の一大事というショッキングなニュースが届いていた。
左足であり、関節が残ったのは不幸中の幸い。
“松岡洋三さんをもう一度ティーグラントに立たせる会”に、早速申し込み。松岡さん、頑張って!

2002年4月28日と29日

(略)
29日は、オヤジを北里病院に、exホンダの松岡さんを横浜労災病院にお見舞い。
松岡さんは、会ったその瞬間に身を起こし、“元気だ、松岡は頑張ってるぞ!”と堅い握手。ジ〜ンと来た。
既にリハビリを始め、運動したら飯がうまいのなんのって、と明るかったけれど、まだまだ明るさに力みが見える。

4月7日に名古屋で新幹線に乗った直後に激痛。デッキで唸っている時に、
誰も声をかけてくれなかったのが寂しかった。
病院に来た息子と娘に、キミたちは声をかけられるか、と聞いたそうだ。
う〜ん、そういう場面に出くわしたら、松岡さんだと思って、勇気を出して声をかけます。

手術の後、既に別れたはずのつま先が痛かった。60年間連れ添った左足。幻惑で痛さを感じる奇妙な体験をしたそうだ。

頑張ってゴルフをやるから、その時はハンディくれよな、って松岡さん、それとこれとは話が別です。第一、左足のツッパリがなくなって、ボールがまっすぐ飛ぶようになるらしいと、自分で仰ったじゃないですか。
オマケに私の酷いチピーン、いまだ脱出できてませんので。

そういえば、4月はとうとう1回もゴルフをしていない。
こんなことぢゃ、人生、イカンなぁ←←←ナニが?


(山ちゃんの幸福のとびらより引用)
そして、ここで話題とする岩貞氏である。
4月25日(木) 岩貞るみこ(管理者) No.944  2002/04/26 00:42

午前中に原稿をみっちり書いて、午後はレイアウトの打ち合わせ。
終了後、銀座のお寿司やさんで今後の長期計画打ち合わせ。
その後、21時半から、昨日のスプリングの写真選び。さきほど帰宅しました。
ところで2日ほど前にショッキングなニュースが。
業界のアイドル、まっちゃんこと元ホンダ広報の松岡さんが左足切断!!!
なんでも静脈瘤が足でつっかえ、壊死したそうな。
静脈瘤は年輩のご家族がいる人には他人事ではない話。
心臓や脳でなかっただけ、まだ運がいい方なのかも。しかし、切断というのも……。

そこで、松岡さんをもう一度、ティーグラウンドに立たせる会が発足しました。
応援メッセージ等々ありましたら伝えます。ご連絡ください。

Re:4月25日(木) 国沢光宏 No.945  2002/04/27 11:18

お見舞い、行きましたか?
ワタシも早い時期に伺おうと思っています。
よろしくお伝え下さいませ。

Re^2: 4月25日(木) K No.946  2002/04/27 12:08

恐ろしい病気ですね。
7:3の比率で女性が多く発症するそうです。
立ち仕事や出産などが下肢静脈瘤の誘因になるとか。
私は何もお力添えできませんが、お見舞い申し上げます。

Re^3: 4月25日(木) 岩貞るみこ(管理者) No.949  2002/04/28 12:10

今日は28日ですが、いまから行ってこようと思ってます〜。

4月28日(日)岩貞るみこ(管理者) No.952 2002/04/28 22:01

松岡さんのお見舞いに、横浜の労災病院へ。行くとベッドにいない。談話室にもいない。
うーん、脱走か? と思ったら、別の談話室にいました。
左足ふくらはぎから下を切断したものの、
もうすっかり回復モード。精神的にも立ち直っているどころか、
なんだか以前よりやる気まんまんといった感じ。
病は気からとは本当で、これならリハビリも早かろうと。

5月いっぱいから6月までは入院とのこと。
唯一の気がかりはワールドカップサッカーがはじまって、
病院のまわりがフーリガンだらけになることとか???

松岡さん情報 岩貞るみこ(管理者)  No.966 2002/05/08 12:55

静脈瘤摘出手術は15日(水)になりそうとのこと。
お見舞いを予定している方、ご配慮ください。


5月13日(月)  岩貞るみこ(管理者) No.977  2002/05/14 01:37

午前中は原稿書き。ひと段落して午後は松岡さんのお見舞い。
リハビリ、真面目にやってました。あさって静脈瘤手術。
「8時間もかかるんだよ……」と、心細そうにしていたので、
「いいなあ、そんなにゆっくり眠れて」と言ったら、
「このやろうっ!」と、ゲンコツ振り上げてました。
そのくらい元気出してもらわなくっちゃね。

(略)

松岡さん最新情報  岩貞るみこ (管理者) No.975 ?2002/05/13 16:21

松岡さん、静脈瘤手術を15日(水)に控え、6階から4階の455号の個室になりました。
開腹手術のため、術後一週間くらい安静が必要とのこと。
お見舞いは22日(水)以降が無難と思われます。



(岩貞るみ子の掲示板より引用)
以後の岩貞氏の日記で、松岡氏の記述は(特に15日以降の手術後については)探すことができなかった。

さて、松岡氏を見舞った順番としては、伏木氏(4月24日)、岩貞氏(同28日)、山口氏(同29日)、国沢氏(5月1日)である。その中で
、岩貞氏だけがやけに軽い表現をしている。また、〜の会や手術の情報を載せて、仕切っているふう?なのも気になるところだが、この2つは後で考察することとする。

年があけて2003年6月。快気した松岡氏を囲んで、元マガジンハウスのK氏が松岡氏の望んでいた高級寿司店で快気祝いをしてくれることになり、岩貞氏もその席にお呼ばれすることとなった。

それはそれでめでたいことなのだが、そのことを書いた日記の内容が問題であった。
6月25日(水) 岩貞るみこ No.1727 2003年06月26日(木) 11時38分

(略)
編集部に寄って色校正をチェックし、夜はお寿司。
二日連続でお寿司なんて、幸せすぎ。
今日はマガジンハウスを退社されたK氏のおごりで、元ホンダ広報のM氏の快気祝い。
なんたってM氏、病気により左足切断のおかげで(?)顔色はよくなるわ、カラダ中の静脈瘤は取り除いてもらえるわで、返って元気になったほど。タバコもやめられたし、よかったですよね〜、Mっちゃん!
今日行った赤坂のお寿司やさんは、そのM氏が入院中から「行きたい〜、食べたい〜」と言っていたお店だけあってそりゃもう美味しいのなんの。
またまた3時間があっと言う間に過ぎ、お開き。
再び編集部にちょっとだけ寄って、最後の色校正チェックを終了させ、帰宅。

(kunisawa.netの岩貞るみ子の日記&掲示板より引用)
彼女と松岡氏の関係がどういうものであるかは筆者は詳しくは知らないし、読者の多くもそうであろう。しかし、いかに親しい間柄で、かつ左足切断による怪我の功名で健康になったとはいえ、さすがにこの表現は「少々ふざけすぎではないか」と感じる読者も多いはずである。

そうしたら後日、岩貞氏はその言い訳を書いた。それは岩貞氏の人としての側面を赤裸々に示してしまう内容であった。
6月28日(土) 返事 岩貞るみこ No.1731 2003年06月28日(土) 12時42分

6月8日の日記と6月25日の日記について
「心配りが足りない」という趣旨の連絡をいただきました。
読んだ方が不愉快な思いをされたのなら、そのことは申し訳なく思うけれど、
直接の相手に対してはスタンスを変えるつもりはありません。
私はそれだけのセリフが言えるだけの信頼関係を彼らと築いているし、
そのことは私と彼らの問題であって、他人に言われることじゃないと思うから。

優しい言葉をかけるのは簡単なことです。
言った時点で「優しいことを言った」という満足感にも浸れるでしょう。
恨まれるくらい厳しい言葉の方が大変なことです。
その瞬間から半永久的に、相手に対してある種の責任を持つということですから。
少なくとも私はそう思っています。

濃い人間関係 国沢 No.1732 2003年06月28日(土) 21時19分

おそらく「密」な人間関係を持ったことのない人にとってはキツく感じるんでしょうね。
先日お会いした時「バイクに乗りたい!」と言ってました。
今は技術も進んだので十分可能だと思います。
岩貞さんもバイクにカムバックして一緒にツーリング、行きましょう!

Mっちゃん 岩貞るみこ No.1735 2003年06月29日(日) 21時17分

心配かけてすいません。連絡、ありがとうです。
「だいたいMに心配りなんかしていたら おまえ 最近何かあったのかいなんて言われ、カエッテ心配されてしまうはず」。
あはは、そうですね。あの痛みとリハビリを乗り越えた偉大な先輩に、
心配りしている暇があったら、ちっとは見習って精進しろですか? はーい。

他にもご連絡をくださった方、ありがとうございます。
いただいたポジティブ・メッセージは担当の方からしっかり受け取っています。
日記掲示板ゆえにこの議題はこれで終了にさせてください。
これからもよろしくお付き合いください!


(kunisawa.netの岩貞るみ子の日記&掲示板より引用)
何が問題とされている(読み手の不快感を誘った)のかまったく理解できていず、かつ自己弁護に徹する文章である。これを見て、多くの人は更なる不快感を催すはずである。

正直、筆者もこの言い訳は唾棄すべきものがあり、このようなことをある状況下で聞いたら冷静さを保つ自信はない。しかしできるだけ冷静に、この不用意発言の問題について考察することとする。 多くの人にとっては、羽毛よりも軽く、オブラートよりも薄い彼女の日記から得られるものは、以下に書く反面教師としての教訓しかないのであろうから。




● 快活な方のカラ元気の影に隠れた弱さ

日記からうかがい知ることができる岩貞氏の交流は確かに一見広い。 しかし一般に、交流の深さと広さは両立しない。交流の深さが、その人と接した時間に比例するものであれば、確固とした信頼関係を築くにはそれなりの時間と様々なシチュエーションを経なければならないはずである。

さて、松岡氏であるが、山口氏や国沢氏の日記などから、彼はかなり明るく、気さくでポジティブな方のようである。それゆえに誰とでもすぐに打ち解けられることは想像に難くない。広報の「顔」であったそうであるから、それを考慮してもこれらの推測は外れてはいないだろう。

ここに重大な盲点があるのだが、一見気さくな方のその姿は、その人の全ての姿ではないことが多い。そしてその裏に隠れたもう1つの姿は、捕らえることができる人、できない人がいる。山口正巳氏は松岡氏のもう1つの姿を感じ取れたようだ。4月28、29日の日記にてそれが分かる。日記を見れば伏木氏もどうやらそれは感じていたはずだが、彼はそれを日記に書くようなことはしない。国沢氏も松岡氏の気弱な発言を聞いているようなので、何か感じるものはあったのかもしれない。

そこで岩貞氏である。最初の2002年4月28日の見舞いにまで戻る。

左足ふくらはぎから下を切断したものの、もうすっかり回復モード。精神的にも立ち直っているどころか、なんだか以前よりやる気まんまんといった感じ。病は気からとは本当で、これならリハビリも早かろうと。

ここで読者のほとんどの方は想像できるかと思うが、齢60にもなる松岡氏は、娘のような年の岩貞氏に対して心配をかけまいと、他の人(伏木氏や山口氏、国沢氏)に会う時以上に元気なフリをしたはずだ。左足の切断という不幸を負って、何も考えることはなかったということはあり得ない。恐らく誰にも言えず眠れぬ夜を過ごしたこともあったろう。しかし、彼はそれを他人にシリアスに見せることは、極力避けたはずだ。
しかし言葉の端々などについ「ポロリ」と弱気が出ることがある。それが山口氏への「切った足が痛かったよ」であり、国沢氏には「誰も声をかけてくれなかった」であろう。そしてその心理が分かれば言われた側はそれを記憶しているものだ。 伏木氏の言う「健常者には理解できない心理」とはここであろう。

だが、岩貞氏は松岡氏の「見かけのカラ元気」に騙されてしまったかのようである。松岡氏が女性相手に弱音は見せなかったのか、それとも岩貞氏が気付かなかっただけなのか、気付いていたがあえてそこに触れなかったのか、それは分からない。
しかしその次に見舞いに訪れた時、8時間にも及ぶ静脈瘤摘出手術を前に、松岡氏は岩貞氏にも弱さを見せている。そこで岩貞氏は

「8時間もかかるんだよ……」と、心細そうにしていたので、「いいなあ、そんなにゆっくり眠れて」と言ったら、
「このやろうっ!」と、ゲンコツ振り上げてました。そのくらい元気出してもらわなくっちゃね。


と返した。このこと自体は別に構わないかと思う。本人を元気づけるためとみなすことができるからである。

しかし、岩貞氏は何故ここで「松岡氏はいつも気丈なわけではなく、内心(本心!)として弱い一面も持っている」ということを読み取れなかったか。常日頃の元気さの影に隠れた彼の寂しさや苦悩があるのだ、と理解できなかったか。

この時点で彼の心理を読み取ることができていれば、いかに快気したとはいえ、左足を失ったことに対しての松岡氏の心理も分かるはずだ。それをふまえれば、「足切ったおかげで健康になってよかったね〜」などとは決して言えないはずである。もし筆者がこのような表現をする必要に迫られたとしても、「なんてったって〜切ったおかげで?」などという表現は使わず「残念ながら〜切ってしまったものの、そのおかげで」という表現をする。

だが、松岡氏も業界にて有名である方であるようなので、懐はかなり深いと思われる。 人によっては烈火のごとく怒る、岩貞氏のブラックジョークも軽く流せるのであろう。 岩貞氏は「彼とは信頼関係を・・・」と強がってはいるが、実は単に松岡氏の大きさに甘えているだけにすぎないのではないか。読者にはそう思わせるのだ。
この件においての唯一際立つ救いは、この松岡氏の懐の深さのみである。

非常に下品な話で申し訳ないが、逆にもし仮に彼女が子宮の摘出手術をしてしまって、彼女が「信頼関係がある」と思っている男性から「これで心おきなく男遊びできるから、よかったじゃん」と言われて、彼女は心から笑えるのだろうか? 筆者ならこのようなことを言われたら、相手を再起不能にしてしまいたくなるが・・・。というかあなたよく見つけましたね、ここ(笑)


● 家族の心理

しかし、松岡氏自身は許しても、岩貞氏の発言を許すことが出来ないであろう人達がいる。

山口氏の日記には、松岡氏が息子や娘に「きみたちは(自分のようになった人に)声をかけられるか」と言った、とある。これこそが普段は快活であるが、その中に隠れた松岡氏の剥き出しの心である。
その内面の苦悩を一番よく分かるのは、いつも一緒に過ごしてきて、これからも過ごすことになるであろう家族なのだ。

確かに松岡氏ご本人は「そんなの気にしない」かもしれない。しかし松岡氏の本心を知る家族が、岩貞氏の日記を見たらどう思うであろうか?


筆者の家族には動脈瘤ができ、12時間以上にもわたる摘出手術をした者が居る。手術後何年も経つがいまだに週一度は病院に通い、薬の束をもらって帰る。「まあ毎週病院で診てもらえるんだし、無理もしないだろうし、考えようによれば一病息災ということでいいんじゃ」と筆者は当人にはポジティブに言っているが、あの時の大手術のことを思い出したり、風邪をひいても熱が下がらない体質になってしまった現在のことを思えば、やはり筆者も辛い気持ちになる。

当人は物静かな人物で、滅多に怒る事は無い。しかしどこの誰だか分からない人間が「動脈瘤がとれて、ダイエットできてよかったね〜」などと言って見舞いに来られたら、筆者は無意識に目が吊り上るであろう。



もし岩貞氏の日記を松岡氏のご家族が見たら、

「貴方は単に寿司が食えてうれしかっただけなのではないか。
片足を失った人に対して、何が『よかったね』だ。これからその彼と生活を共にする私たちのことを考えているのか。二度と俺達の前にそのにやけついた顔を見せるな」

などと、口には出さないかもしれないが不快感で爆発しそうになるのではあるまいか。
彼女の発言は松岡氏の家族にとっては、極めて心ない発言なのである。

加えて、6月8日の日記などは「私と彼らとの問題」ではないのだ。もう一度引用するのでよく見て欲しい。
まわりに幸せな人がいっぱいいるのはいいこと。こっちまで幸せな気分になれるし。
昨年は身近な方がいっぱい亡くなったので、今年は取り戻した〜い!

6月8日の日記と6月25日の日記について
「心配りが足りない」という趣旨の連絡をいただきました。
読んだ方が不愉快な思いをされたのなら、そのことは申し訳なく思うけれど、
直接の相手に対してはスタンスを変えるつもりはありません。
私はそれだけのセリフが言えるだけの信頼関係を彼らと築いているし、
そのことは私と彼らの問題であって、他人に言われることじゃないと思うから。
読者が6月8日の岩貞氏の日記で抱いた心配りの無さは、故人の遺族に対してのものなのではあるまいか。

確かに岩貞氏は、昨年は渡辺氏をはじめ多くの身近な人を亡くした。それらの方とは、確かに信頼関係はあったのだろう。しかし、その家族ともそうなのであろうか?
「去年は人がいっぱい死んだので今年はそういう辛気臭さとはオサラバしたい」という発意味の言を遺族が見てどう思うか、少しでも考えることができたら、ここまで軽い表現などできないはずだ。

つまり、多くの読者が感じた不快感は、(1)家族がある疾病を抱え、その家族と共に苦悩を抱え日々を過ごしているであろう多くの人達にとって、(2)愛する人を亡くして、悲しみに暮れながらも新たな生活を歩み始めようとしている人達にとって、「もし、自分たちがこのようなことを言われたら」と無意識に連想してしまった結果生じたものなのである。

それを、自身と本人だけの問題にすり換えているところに岩貞氏の浅さがある。

夫婦喧嘩は犬も食わないというが、自宅でのとっくみあいの喧嘩なら何も言うことはない。しかし、映画館の中でクライマックスシーンにがなりあいの夫婦喧嘩を始められたら周囲はたまったものではない。彼女の言い訳は、ここで「うるさい!外でやれ!」と言われて、「これは私と旦那の問題だから口だしするな」と反論するのに等しい。何が周囲に不快感を与えているか理解できない(いや、しようとしない)のだ。

彼女の書いたWEB日記はれっきとしたメディアの1つである。
誰でも見ることができ、また誰が見ているか分からない公共の場なのだ。彼女は自身が寄稿する雑誌でもこのような表現ができるのであろうか?

ところで、岩貞氏は以前、「謝罪」に対し以下のように見解を述べていたが、今回の件については、当人はともかく「不適切な表現である」と意見を出した読者がその謝罪を受け入れたとは思えず、岩貞氏が一方的にぶち切ったように見えるのだが?(苦笑)
4月3日(木) 岩貞るみこ No.1618 2003年04月03日(木) 10時19分

午前中に原稿書き。筆を進めつつ、その間、某編集者とメールでやりとり。と書くと微笑ましいけれど、内容はクレーム。
あまりにも対応がひどいのだ。でも、メールで謝ったり言い訳するのってどうよ?
「謝る」とは、相手の承諾を得て初めて謝罪が成立するのではないのか?
「すいません」とメールに書いて、謝った気になるなよ、T!
メールを1時間おきにちまちま送るくらいなら、電話してこいよ、T!
あ、すいません、中村うさぎの3冊目に入っているもんで、つい、口調が……。
そういえば3年にひとりくらい、メールや留守電であやまりの連絡する人がいるけれど、
あれってぜんぜん、謝ったことにならないと思う。


原稿が一段落したところで気を取り直してプール。その後、ニューオータニに向かい、打ち合わせを一本。
夜は本日のメイン・イベント、「ピエール・エルメを食する会」
友人と集まって、天才のつくるケーキをいただく、というもの。
昨年からずーっと実現しないままになっていたけれど、ああ、ついに……。
天才のケーキは味、香り、カタチ、食感、どれも素敵でございました〜。
しかも友人のゴールドカードでの奢りだったのが、さらに嬉しいかも〜。ごちそうさまでした!

(kunisawa.netの岩貞るみ子の日記&掲示板より引用)


● 再度問う。誰に伝えたい日記なのか?

彼女の「左足切ってよかったね」は、松岡氏本人に向けたものであることは間違いない。それが相手を元気付ける目的であることも理解できる。それを松岡氏が聞いて(見て)、どう思ってもそれは確かに彼女と彼との問題である。
「私と彼等の間の問題なので口をはさむな」というのも、ある程度は真実である。

しかしそれを全世界に公開するのはいかなる理由あってのことなのかと筆者は岩貞氏に問いかけたい。


それを見せることで、一体誰を喜ばせようとしているのか?



・・・その答えは以下にあるかもしれない。


● 目的なき日記に隠された心理

筆者は昨年の「目的なき日記」にて、岩貞氏の日記は「単に自分をアピールすること」にすぎないと書いた。
しかしここへ来て、岩貞氏の日記には、
彼女自身にとって重要な意味合いを持つのではないかという仮定を抱くに至っている。以下は全て筆者の妄想であるから、当たっていても外れていてもご容赦願いたい。

彼女の日記では、日常の出来事の淡々とした記述に比較して、以下の内容であれば実に活き活きと書かれていることが誰も目にも分かる。
  • 誰(有名人)と知り合いである
  • 誰(有名人)と食事をした
  • あの有名な店に行った
  • しゃべりまくった、食べまくった
これらは一見、「イタリアで脳天をやられた」と自称する彼女の豪放快活で享楽的な面をあらわしているようにも見えるであろう。 しかし、真に充実していれば日記にそれを綴り、公開し続けることはしないはずだ。公開するということは誰かに何かを訴えるためである。
そこから筆者が最近感じ始めたのは、彼女の充実した交友でもセレブな生活でもない。
彼女の内面の寂しさと虚勢である。

少し最近の日記を見てみることにする。最初は思い切り恣意的に「食べまくり」だけを引用してみる。
4月19日(土) 岩貞るみこ  No.1636 2003年04月19日(土) 11時34分

山の師匠であるTカメラマンの家に遊びにいく。
ちょっと会わないうちに3人のこどもがぐーんと成長していて、他人の子供が育つのは早いこと!
山の話、仕事の話、お酒の話、子供の話、友人の話、キャンプの話……。
だらだらと食べて食べて食べて食べてとしているうちに、気がつくと日にちが変わっている。
家にもどって10分後には気絶するように眠りに。

(略)

4月20日(日) 岩貞るみこ  No.1638 2003年04月20日(日) 17時12分

昨日の後遺症もあり、午前中は自堕落な休日。
午後は買い物に出たりしたあと、イタリア食材輸入のT夫妻の家へ遊びに。
ここの奥様がつくるビーフ・ストロガノフが尋常じゃないくらい美味しい!
なんたってこの奥様、ミ○ニさん、イシ○ベさん、オチ○イさん、ヤ○ダさんなどなど、
日本のレストラン業界が憧れてやまない面々と大の仲良し。
ミ○ニさんが包丁もって料理しにくる家っていったい……。

今日はそのストロガノフを直々に伝授してもらう日。
うーん、こんなにいろんなものが入っているのか……やっぱり。
またしても、食べて食べて食べて食べてで更けゆく夜。

4月29日(火)〜5月2日(金) 岩貞るみこ No.1650 2003年05月02日(金) 22時14分

甲府に宿をとって、勝沼、甲府のワイナリー巡りの旅。
ここ数年、日本のワインも若手の努力があり、革新的な進化をしているらしい、と聞いて行ってみたら、なるほど〜。
ワイナリーに行くと試飲(私は臭いのみ)だけでなく、予約すると畑まで見せてくれる。
シャルドネ、甲州、カヴェルネ、メルローなどなど、様々な種類のぶどうが様々な手法で植えられていて、10年後が楽しみ。
赤はまだまだだけど、白はかなりの実力ワインがちらほら。がんばれ日本で、これから白は勝沼のワインを応援します!

5月3日(土) 岩貞るみこ  No.1653 2003年05月06日(火) 14時59分

友人編集者Y嬢の家におよばれ。昨日、北海道から帰ったばかりということで、
テーブルに並ぶは海の幸がどっさり! ホタテにいくらにほっけに、毛ガニ!!!
ご主人はフィリピン人。ホテルマンだった方で、これまた料理に合ったカクテルをつくってくれる。
パイナップルとココナッツリキュールのトロピカル系は昼下がりに海産物になぜか合う!
私のためにリキュールを抜いてココナッツパウダーにしてくれるのも嬉しいし。昼から5時間かけて爆食。
一度、家に帰ってタッチ&ゴーで軽井沢の、これまた友人の別荘へ。
8時過ぎに着いたらテラスでバーベキュー中。またしても食べて食べて食べてで、ふけゆく夜。

5月4日(日) 岩貞るみこ No.1654 2003年05月06日(火) 15時09分

軽井沢の豪華別荘に泊まったのは私を含め総勢13人。軽くそれだけ泊まれちゃう別荘ってやっぱりでかい!
13人の食事も五月雨式の弱肉強食。食べ物を勝手につくって勝手に食べる。
この自由度がたまりません。しかもみんな舌が肥えているから、冷蔵庫の中身も超一流。なにをどう作っても美味しい。
並んだワインもすごい。ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ、シャトー・マルゴー、
ファニエンテ、カスク……などなどワイン音痴の私でも聞き覚えのある名前がずらり。
やっぱりこれだけ揃うと「勝沼」と言っている場合じゃないような。
今宵も食べて食べて食べて食べてしゃべってしゃべってちょっと飲んで、食べつかれてベッドに倒れ込む夜。

5月5日(月) 岩貞るみこ  No.1655 2003年05月06日(火) 15時15分

早朝帰宅組などもいて、残ったのは7人。そうじを一気に始め、冷蔵庫の中を片づけるべく食べまくり。
なんとか午前中に別荘をあとにして帰京。ああ、豪邸別荘ともまたいつ会えることやら……。
午前中に出たおかげか、関越道も思ったほど混んでなく3時間で東京へ。
早朝帰宅組の徳川ビレッジに住むS嬢のところへ忘れ物のあさの屋のパンを届け、
イタリア食材輸入のT夫人をお送りしつつ、ケーキをいただきちょっとブレイク。
最後はパリ在住のヘアメイクK嬢をご実家にお送りしたら、お母様がたきたてのたけのこご飯をもたせてくださり。
しかも急に包んでくださったにもかかわらず、入れ物を開けたら山椒とサヤエンドウの彩りが添えられており。
がさつな我が家からはかけ離れた、最後までゴージャスな休暇でした〜。

5月10日(土) 岩貞るみこ  No.1660 2003年05月11日(日) 14時29分

朝から猛烈な勢いで掃除。なにせゴールデンウィークは出ずっぱりだったし、
その後もバタバタしていた家の中は悲惨な状態。
しかし夜は来客。でもゲストが来ると家の中がきれいになるからいいなあ。
今日のゲストは先週軽井沢でごいっしょした、イタリア食材輸入のT夫人と
パリ在住ヘアメイクのK嬢。K嬢のご実家はウチから徒歩10分という近さなもので。
そしたらK嬢ってば本場仕込みのパンを焼いてもってきてくれ……うま〜。
7時に食べ始め、はっと気づくと日付変わって1時。
今夜も食べて食べて食べて笑って笑ってしゃべってしゃべって、ふとんに倒れ込み。



(kunisawa.netの岩貞るみ子の日記&掲示板より引用)
これらの日記から読者が受ける印象は、彼女の生活の充実ぶりなどでは決してなく、「ただの餓(かつ)えた女」であろう。上記の日記にて彼女が用意したり作ったりしたと思われる素材・料理は何も無く、棚から落ちてきたようなものばかりである。

「食べて食べて…」という表現が
演出であることは間違いないが、それをたかが一月の間の日記でこうも何度も繰り返すというのは、内面の満たされない心を埋めるために無意識的に書いてしまった表現ではないかと感じる。

筆者が愕然としたのは4月19日の日記で、いかに師匠の家に呼ばれ、かつ翌日が日曜であるとはいえ、
成長期の3人の子供がいる家庭に日付が変わるまでお邪魔するというのは常識外れも甚だしいここでも彼女は「気配り」ができていないのだ。T氏の奥様は内心苦虫を噛み潰していたはずである。深夜までお邪魔できるのを信頼関係と呼ぶのであれば、筆者はそんな関係など要らない。

しかし一見このような常識外れの行動には隠された心理がある。彼女は綺麗に言えば「一期一会」を大切にしたいのである。それゆえ、少ない機会(実際には少なくなくても)を貪欲なまでに貪ってしまうのであろう。
これもまた、「いくら食べても満たされない」という思いに通じることは言うまでも無い。彼女の中にはどこかにぽっかりと空いた穴がある。それを埋めたいために、大いに食べ、大いに遊びたいのではあるまいか。

また彼女は日記にて、ある偉大なお二方のおかげでこの世界の地位を保てたと書いている。
3月28日(金) 岩貞るみこ No.1608 2003年03月28日(金) 11時22分

(略)
ジム後はダッシュして『ターザン』編集部。33年勤務された、私が兄と慕うK氏が3月いっぱいで退職。
ゆえにその編集部コロッケパーティ追い出し会。銀座の美味しいコロッケ屋さんで大量のコロッケを調達し、&ビールで乾杯。
その後は、K氏にお寿司やさんに連れて行っていただき、二次会。
退職後は日本とオーストラリア(別荘あり!)を往復して、ゆったり過ごすのだそう。
うらやましい〜! 理想的なリタイヤです!!!

3月31日(月) 岩貞るみこ  No.1613 2003年04月01日(火) 11時13分

午前中に歯医者さん。こうなりゃ徹底的にやろうと思い、いままで治療した歯も全部、かぶせなおしてもらうことに。
もどって原稿書き。その後はプール。泳いだあとはマガジンハウス。K氏の最後の出社は見届けなければ。
結局、最後は「いつもの」銀座の寿司やへ。
K氏は、私がOLから転職し、左ハンドルなんて運転もしたことないのに、
創刊と同時にHanakoにひっぱってくださり、私を育ててくれた方。
本当にお世話になりました。でも、まだ、これからもお世話になっちゃうけど?
いつもの通り、楽しい食事。それでも最後に会社にもどり、私物が残っていないか確認して、
会社からの最後の一歩を踏み出す瞬間に握手してもらったときは、かなりキました。
私がこうして仕事をしていられるのも、昨年亡くなった渡邊靖彰さんと、
今日、退社されたK氏の、強力なタッグに守られて育ててもらったおかげ。

おふたりの気持ちに応えるためにも、今後もよりいっそう、がんばらなくては。
春は初心に返らされる季節です。

(kunisawa.netの岩貞るみ子の日記&掲示板より引用)
…余談だが、これと上の6月25日の日記からは、岩貞氏はK氏がコハダか何かに見えてるのではないかと思わせるほどであるが…(苦笑) よくぞこの短期間に何度も寿司を奢ってくれるものである。それだけK氏が岩貞氏をかわいがっているということであろうので、これ自体は悪いことでも何でもない。まあ一部の方は「寿司ばかり食いやがって」とひがむかもしれないが・・・。

しかし逆に、ほんの数ヶ月の間に何度も寿司を奢ってもらっているというところに
彼女の危うさがあることは言うまでも無いであろう。読者であれば誰しも感じ取れるように、彼女はいまだK氏の庇護下にあるはずだ。逆に言えばK氏の影響力が消えれば岩貞氏の立場が瓦解してしまう恐れが大いにある。そして岩貞氏自身、そのことは大いに自覚しているはずである。

それゆえ、交友(特に有名な方や実力者、特別な方などとの)が広いことを強調したいという心理が日記に現れているように感じる。それは「渡邉氏とK氏の腰巾着で今の立場を得たにすぎない矮小な人物」という内面の自己否定意識で押しつぶされかねない自身の立場を否定したいがための強がりにも見えるのである。

そしてここで松岡氏の件での言い訳に戻ろう。

この件は、単に「先日の日記のセリフはやっぱ配慮不足でした。Mっちゃんゴメン(_ _)」とでも書いておけば、一般読者にとっては多少尾はひきずるだろうが、せいぜい「思慮不足なバカ」程度で終わる失言である。

私はそれだけのセリフが言えるだけの信頼関係を彼らと築いている

この台詞がどれだけ彼女自身にとって意味があることか、もう読者諸氏には理解できるはずだ。そしてこの台詞は、実は彼女は自身の実力よりも、そういう面でしか社会的地位を保てていない、と無意識的に認めているということの裏返しなのではあるまいか。でなければ、このようなヒステリックな言い訳をすることはあり得ない。

彼女は、松岡氏との関係−自分は親密と思っている−を否定されることは、人脈で保ってきた自身の立場(今の自分自身)を否定されることであると感じたのではあるまいか。それゆえに、批判者は単に「書く場をわきまえろ」と言っているだけなのに、「私は彼らと親密なのよ!口だししないでよ」と何かピントをはずした言い訳になってしまったものと思われる。多くの人にとっては何でもないことなのに、彼女にとって、非常に重要な腫れ物に近い部分に触れられてしまったと感じたのである。

つまりこれは、彼女にとって、「そうであると信じたい」という事象なのである。

※もちろん人間関係は大切であり、筆者も人脈から得られる仕事は否定しない。だが、人脈のみで得られる仕事と、実力を買われて得られる仕事ではその質が大いに違うし、両者のバランスがとれていればいいが、前者のみに頼っていればいずれ立ちいかなくなるであろう・・・。

そしてもう1つ。

「だいたいMに心配りなんかしていたら おまえ 最近何かあったのかいなんて言われ、カエッテ心配されてしまうはず」。
あはは、そうですね。あの痛みとリハビリを乗り越えた偉大な先輩に、心配りしている暇があったら、ちっとは見習って精進しろですか? はーい。

(略)
いただいたポジティブ・メッセージは担当の方からしっかり受け取っています。

(個人的には、せっかく心配して連絡してくれた人に対しても礼を失した文章のように思うが…)
この文から明確に読み取れるのは、ポジティブな連絡があったのは全て関係者からであることだ。しかも、引用までして最も重要視した回答をしたメッセージは、松岡氏を呼び捨てできるほどの方 − 恐らくK氏か、又はかなりの実力者 − からのものであろう。
そしてこのメッセージは、この方の優しい心配りであることは言うまでも無い。だがこの「・・・」内の引用の前後または言外には「そのような(読者からの)批判意見も糧にしろ」という意味があったはずである。それを心配りなどするなと言ってる
心配りだけを引用し、「自分は正しいんだ。ほら、こんなに賛成意見があるじゃん」と対抗する手段にすり換えているように見える。

おまけに
WEB日記を書いていながら「メッセージを担当の方から受け取る」とは、双方向が同じ立場であることが最大の特徴たるWWWの常識からあまりにもかけ離れている。ここに岩貞氏の意識の中での読者の不在ぶりが顕著に顕れている。
それに担当の方とは一体誰なのであろうか。

ここで更に上の松岡氏の手術の際の仕切りぶりも振り返ってみよう。

そこで、松岡さんをもう一度、ティーグラウンドに立たせる会が発足しました。
応援メッセージ等々ありましたら伝えます。ご連絡ください。
・・・
静脈瘤摘出手術は15日(水)になりそうとのこと。
お見舞いを予定している方、ご配慮ください。

・・・
松岡さん、静脈瘤手術を15日(水)に控え、6階から4階の455号の個室になりました。
開腹手術のため、術後一週間くらい安静が必要とのこと。お見舞いは22日(水)以降が無難と思われます。

岩貞氏自身の日記では、彼女がゴルフ好きということはうかがえない。常識で考えて「松岡さんをもう一度、ティーグラウンドに立たせる会」の主催は恐らく岩貞氏ではなく、K氏であろう。岩貞氏はその代弁者かセクレタリにすぎないのではあるまいか。

このあたりでも岩貞氏の立場が推察できてしまうのだが…

加えて松岡氏とゴルフができる人、見舞いに行く人など親しい関係者に決まっている。そのような業界の人間に対するためだけのメッセージを日記に綴ることの意味は、日記の対象読者として業界関係者を強く意識しているからに他ならない

本来圧倒的に多い読者であるはずのサイレント・マジョリティの批判よりも、ごく小数のアイボール・コンタクトをしている人の儀礼上の心配りやお世辞ばかりを尊重しているこのような状況では、本当に公開日記などやめて会員制日記にでもしておきなさいと言いたいくらいである。

● そしてまた今日も自分のために綴る日記

日記を公開するということは、何か伝えたいことがあるためである。
国沢氏のそれの多くは、「何か社会(読者)に提言したい」という社会的義務感から来ている。内容はともかくとして、その動機としては、読者にとって日記を続ける意義と意味はある。
松下氏の日記は「読者に自身の日常や車を知って欲しい」という気持ちを感じる。文章自体も読者を強く意識していることがうかがえる。
山口氏は「読者(俺?)が面白けりゃいいんだバーロー」的なものがありこれはこれで1つのやり方である。

しかし岩貞氏の日記は、一般読者を想定したものが希薄すぎる。恐らく彼女が日記を読んで欲しい人は我々のような一般人ではない。主に自分の弱き心である。そしてそこで自身の居場所を確認し、かつ関係者に知らしめているのではないか。業界の中での自分の存在というものを・・・。


国沢氏が虚構の肩書きで自分の業界での地位ををかろうじて保っているように、彼女もまた「自分にはこんなに自分を認めてくれる友達がいる」ということを自己認識しなければ、レーゾンテートルを保てなくなってしまっているのではあるまいか。とすれば、 あの日記は、
彼女が彼女を保つための生命線としての意味合いを持っているのである。

たとえ一時のおしゃべりや食事が、日記に登場する相手にとって「数多く通り過ぎるただのつきあいの1つ」であろうとも、相手がいやいやながらつきあっていようとも、彼女にとってはそれら全てが自分を認めてもらえたという価値ある出来事なのだ。

だから、どんなにつまらなくても、読者がいなくても、反応がなくても、2ちゃんねるで叩かれようとも、止めることができない。
あの日記を止めることは、彼女にとっての彼女自身の存在意義を見出すための、自分と業界へ向けた足跡を消し去ることになるであろうから…。

そして彼女は今日もまたPCに向かうのであろう。自分自身を見つける日記を書くために。


・・・さて、最後に、ここを読んでいるかもしれない岩貞氏にご忠告しておこう。

ここまでの筆者の妄想が、安っぽい三流の作文にすぎないと思えば笑ってハナ紙にでもして捨てて頂いて結構である。
しかし、ほんの少しでも琴線に触れたら、少しだけでいいから考えて頂きたい。 日記はどんなに演出して書いていても書き手の心を少なからず映し出すのだ。 その恐さに気がついたら、たとえ安直なお手軽日記であれど、公開することの恐さが分かっていただけるのではないか。ものを書くということが、どういうことか、「書いたものには責任を持つ」などとうわべの格好をつけずにもう一度考えなおした方がよいのではないか?

かつて西部邁が言った言葉を贈っておこう。

「ぼくは知識(言論)人というのは娼婦より恥ずかしい存在と思っているわけです。娼婦は身体しか晒さないが、知識人はあろうことか精神まで晒してしまうのだから」・・・
僕の足場は自分が思うほど頑丈かい? 誰かに聞かなきゃ不安になってしまうよ
旅立つ僕のために 誓ったあの夢は 古ぼけた社屋の すみにおきざりのまま
あの泥だらけのスクーターじゃ 追い越せないのは 電車でも時間でもなく 僕かもしれないけど

どんなときも どんなときも 僕が認められてるために “みんな僕を好き!”と言えるきもち、抱きしめてたい
どんなときも どんなときも 友を探し続ける日々が 慰めになること 僕は知ってるから

もしも他の誰かを 知らずに傷つけても  絶対ゆずれない 夢が僕にはあるよ
“平凡が良かったね”と いつも口にしながら 生きて行くのは 本当に嫌だから
消えたいくらい辛い気持ち 抱えていても 鏡の前笑ってみる、まだ平気みたいだよ

どんなときも どんなときも ビルの間きゅうくつそうに 落ちて行く夕陽に 焦る気持ち溶かして行こう
そしていつか 誰かに出会い 夢を掴み取れることを  固く信じてよう いまを生きるために

どんなときも どんなときも 僕が認められてるために “みんな僕を好き!”と言えるきもち、抱きしめてたい
どんなときも どんなときも 友を探し続ける日々が 慰めになること 僕は知ってるから…

〜槙原敬之「どんなときも」より改編〜
番外編TOP
(2003.07.04 β2版)
2003.08.28 1-0版