2−1 心から敬愛しています −何を?− [事象] WEBサイトの中には「ファンサイト」というものがかなり多く存在する。 その多くは対象となる人(団体、物)の魅力と、それへの自分の思い入れを伝えたり、 情報の交換を目的としている。 しかし数あるファンサイトの中には、首を傾げたくなるファンサイトも存在する。ここで紹介するページはそんなファンサイト?の1つ、国沢氏と親交が深いと思われる「ふう」氏のページである。 ● オフミ報告 まず肝心のふう氏のページ、「ふうのページへようこそ!」を見ていただこう。 TOPページを見ると、ここは国沢氏を中心としたオフラインミーティングの報告を目的としたページなのだろう、ということが分かる。 しかしこのTOPにはちょっとした文言がある。 上記ページよりそれを引用する。 |
「このページは、国沢親分を心から敬愛する車好き、ふうが運営しています。」 |
「心から敬愛」とはかなり凄い表現である。とはいえ「ふう」氏にとって、国沢氏はそれだけ魅力がある人物であるととれないこともないし、もしそうであれども個人の好みの問題であるから、本来ならとやかく言う類のものではない。 |
![]() 親分カッコイイ!(男にもオンナにも持てるらしい。) (「ふうのページへようこそ」より引用) |
はたして彼の考える国沢氏の魅力は「カッコイイ」ことだけなのだろうか?彼がアイドル・俳優等ならその魅力が「カッコイイ!」でも済むであろうが、自動車ジャーナリストの魅力が「カッコイイ!」という主観だけなのは何とも哀しい。 参考までに同じ自動車系の有名人ということで、星野一義氏のファンサイト「星野一義 〜日本一速い男〜」 を見てみると、星野一義氏の経歴、戦歴、写真など、星野一義氏の魅力、実力などが客観的に判断できる情報がちゃんと載っているのである。 |
[考察] ● 内輪うけの域を出ないページの公開 「ふう」氏のページは国沢氏とのオフラインミーティングの紹介のページである。しかし、その報告自体は決して褒められた類の内容ではない。写真を貼ってオシマイ、といった雰囲気だからだ。 写真自体も主に宴会のSnapshotで、その場に居合わせないと分からないようなものも多い(何かハシャいでいるのは分かるが、解説がない)。 多くの写真と若干の説明で臨場感を伝える秀逸なページもあるので、文章が少ないことがいちがいに悪いとはいえないが、ふう氏のページはとてもそのような域には達していない。 なにより、ふう氏は肖像権というものを全く考慮していない。全世界の人間、時には悪意を持った人間が見る可能性があるということを考えれば、顔写真の公開には慎重になるべきではないか。特に、物心つかない子供の写真など安易に掲載するのはかなり問題がある。 (参考:「Access向上大作戦 家族のホームページの危険性を考える」) 更に、もしオフラインミーティングの様子を紹介することで、次回参加するかもしれない未来の参加者に対して勧誘する目的であれば、書き方はまったく違ったものになるはずである。開催日時、場所、参加者一覧、スケジュールや現場でのハプニング、場合により会計報告などの詳細なレポートと次回予告等が必要なのではあるまいか。 以上のことを考慮すると、「ふう」氏のページは内輪受けページであり、どこかでひっそりとつつましく置かれ、特定人物にのみURLを公開しておくべきページなのである。 ● 敬愛していると伝えたいのは誰に対してなのか ここであらためて「心から敬愛する」の文言は一体「誰に対して伝えたいのか」を考えてみたい。 前述のように、第三者に国沢氏の魅力を伝えたいなら国沢氏の業績、長所などの記述があってしかるべきであるし、そのような国沢氏の魅力を伝えることはオフミへの勧誘を行う目的としても有効に働くはずである。 しかしそれらが何も無いと、「心から敬愛する」と書いても、そのメッセージが第三者 に理解されることはなく、自己満足の域を出ない意味の無さなのである。 それではあの文言は内輪に向けたものであろうか?これは考えにくい。なぜなら参加者は国沢氏のオフミに出てくる人達なのであるから、何かしら国沢氏には好感を持っているはずである。そのような中で「心から敬愛」などと言っても、まるでお山の大将ゴッコをしているような滑稽さでしかない。 それなら国沢氏本人に宛てたものかと考えると、そういう個人的なヨイショを自分の名前を冠したWEBのTOPで全世界に公言するのは大いに恥ずかしいし、 第三者の失笑を買う以上の結果はもたらさない。 なにより、このようにTOPに書いたことで、国沢氏がふう氏を寵愛するようなこともまずあり得ないと思われる(もしそういうことをしたら、国沢氏はただの「バカ殿」である)。 こう考えると、やはりふう氏は国沢氏の魅力と、オフミの楽しさをオフミに来ていない読者にも伝えたいという意図があった、と判断するのが妥当と考えられる。 しかし、その意図はページの内容の薄さのせいで完全に空回りしているのである。 [結論] ● 誰に何を伝えたいか ふう氏のページは、他の数多くの失敗しているページの典型的問題と同じであって、一体誰に向けての何のためのページかまったく絞り込めていないのである。 基本は内輪うけで、気まぐれな第三者にも見て欲しい、という考えと思われるが、そのような「どっちつかず」または「何でもかんでも」のような五目煮状態の考えではやはり中途半端なページしかできあがらないのだ。 さて「ふう」氏のページの改善策であるが、これはいくつか方法がある。いずれもコンセプトを明快にしてしまうものである。
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(β0-5版 2002.09.08) |