3-1-4  羊の皮を被った狼

[序文]

「オタク」という言葉が、極端に趣味に走った人のことを指すと認識されて久しい。時として侮蔑の言葉にもなってしまうこの言葉の元は、なんのことはない「お宅」である。相手を2人称で呼ぶ時に、「あなた」などではよそよそしく、「きみ」ではなれなれしい。その中間として用いていたということだ。
このことを紹介したのは1980年代、中森明夫氏が最初らしい。アニメ・特撮のカルト的な考えの方々が相手を呼ぶ時に使用していたということだ。この後、例の幼児誘拐殺人事件犯や岡田斗司夫氏の著書などによって知名度は一気にあがっていった。

「オタク」と同様、ある特定のことにのめり込んだ人は「マニア」「フェチ」「エンスー」などとも表現される。これらとオタクはどう違うのかというと、筆者にはその境界は見えない。第三者からみれば自分が興味のないことに血眼になっている、ということはまったく同じなのであるから。

しかしあえて「オタク」をこれらと差別化するとしたら、前述の中森明夫氏によると「現実意識の不自由な人」という点が挙げられていた。現実の常識と自己の常識との間に乖離が生じており、精神的に未成熟がゆえに現実から逃避し、かつ幼稚な行動をとっているので一般人との摩擦を生んでいるというのだ。しかし、同じように未成熟でかつ同好の士の中だと一般人を超える行動力を示すという。そして彼らは、一般人にとって極めて迷惑な存在となってしまうのだ。(参考:白井隆なホームページ ) なるほど、と頷ける指摘である。

さて、「オタク」をこういう定義としてみると、オタク予備軍や準オタクは非常に多いということに気がつかれないだろうか。自分では趣味人と思っていて、かつ他との満足なコミュニケーションがとれない人達のことである。

車趣味の世界では、この準オタクたちは「車オタク」ではなく「車好き」と自称することが多い(その方が響きとしてはかなりマシであるからだろうが・・・)。彼らは相手の好みを全く認めようとせず、同時に自分の趣味が常識であると信じ、強要してくる。「〜のような車は何がいいでしょうか?」という質問など待ってましたとばかりに飛び出す。そして「
運転して面白いのは〜ですよ」などと自分の好み(ただ雑誌のうけうりだけのことすらある)を押しつけてくるのだ。そんな感性的なものは質問者が実際に乗らないと分かりっこないのに、である。更に最悪な回答は「車好きだったら〜でしょう」だ。これはどう客観視しようと車好き=自分でしかなく、自分の価値感が価値あるものと見せかける方便にすぎない。もし「〜の方がいいかも、とぐらついてます」という反論などあれば、「じゃ、お好きにどうぞ」「そんなふうに自分で決めるなら最初から聞くな」などと逆ギレする幼稚さを発揮することもある。極めて扱いづらい存在なのである。

更に、妙に知ったかぶるのも彼等の特徴である。だがそれらは当然ながらかなり限定された知識でしかない。なにしろ彼らは限定されたソースからの情報しか持っていない。
他の価値観やより高度な知識との本質的な交流もコミュニケーションもとれていないのだから、現実感も知識の広がりも持てっこないのだ。

そして彼らは素人相手には熱弁をふるい、有頂天になる。 しかし、それでいい気になって、ついマニアやエンスージャストの前で中途半端な持論を披露し、大いに反論や失笑を浴びることも多いのだ。

普通であればそういう目にあうと反省するものだが、彼らは極めて幼稚であるため「あいつらのようなオタクはやだね〜」などと自分のことは棚にあげて捨て台詞を吐き、反省などしない。そして素人や同じような準オタク相手に同じ事を繰りかえしてしまうのだ。

彼らのような「自分をオタクと思っていないオタク」は「純粋に趣味を楽しむ」という観点においては最大の敵である。現在のところ、自分の趣味を楽しむには、このような準オタクは避けるしかないというのが唯一の防衛策なのである。 しかし、ある程度接してみないとマニアか準オタクかの区別はつきづらい。そこがまた厄介なところなのだ。

[経緯]

別項でも述べたが、2001年においてV35スカイラインほど話題となった車もないだろう。自動車趣味系の掲示板で話題にあがらなかったことはないのではないだろうか、とすら思えるほどだ。今振り返って見れば、その大半は直6狂信者とわけ知り顔で知ったかぶったオタクとの、オタク同士の対決にすぎなかったようにも思える。
そんな話題もひと段落した頃、きっかけは不明だが伏木氏の掲示板でスカイライン論議がむしかえされた。そこに、モータースポーツジャーナリストの山口氏がスカイラインについての思い出を書き込んだ。
スカイラインGT-Rの心のふるさとは富士GCです。
ロータリークーペ、サバンナ、そしてカペラと続くロータリー軍団とのとの戦いは、今思い出しただけでチビリそうです。
(略)
ともあれ、GT-Rの魅力は、“ふつ〜のクルマに無理矢理直6をぶち込んだ”ところ。カローラのTE27レビンも同じく、どうしてカッコよかったかといえば、単なるファミリーカーに2TG積んぢゃって、バカぢゃねぇのぉ、という感動できる喜びがあったからだよなぁ。


過去ログ保管所@国沢親方より引用)
当時を知る筆者の知人も、この話題をする時には子供のように目を輝かせて、頬を赤くして話してくれる。この時には、彼らは童心にかえっているのだ。そして同じ趣味であれば、聞き手もその感動をわかちあうことができるはずである。

ところがこの書き込みに対し、それまで何度も伏木氏の掲示板で叩かれ、それゆえあまり書き込みもなかった国沢氏が何故か突然突っ込みを入れたのだ。
久々にお邪魔します  国沢光宏 投稿日 : 2001年11月XX日

山口兄。S54Bとカン違いしてませんか?
箱スカはGTもGT−Xも6気筒です。
最初から6気筒を搭載する設計になっています。


(過去ログ保管所@国沢親方より引用)
そして国沢氏は、伏木氏の掲示板の常連の方から手ひどいしっぺ返しをうけてしまったのである。

これって本人? T氏  投稿日 : 2001年11月13日<火>14時58分

ちょっと気になる事があって初めて書き込みさせて頂きます。
下(筆者注:ここでは上)の「国沢光宏」さんの書き込みってご本人による物なんでしょうか?
確か、自身の掲示板も「マナーの良い」としていた方ですから
このような書き込みはなさらない様に思うのですが…
それとも、題名通り本当に「お邪魔」にきた偽者の仕業なんでしょうか?


懐かしい W氏  投稿日 : 2001年11月13日<火>15時02分

箱スカの話題が出ていたので、ちょっと参加させていただきます。
国沢氏が名前を挙げたGC10のGT-X(中古ですが)に乗っていました。
すでに何人かの方が指摘されていますが、
10系スカイラインは当初、4気筒として設計、発売された車ですね。
その後、ロングノーズ化されて直6が搭載されました。
GT-RやGT-Xも4気筒モデルから派生したモデルです。
スカG自体も大ヒットした車ですが、特にこの6気筒モデルは当時の若者にとって憧れとも言える存在でした。
また、
“ふつ〜のクルマに無理矢理直6をぶち込んだ”とか、”羊の皮をかぶった狼”といった表現は、箱スカを語るときの定番とも言える表現で、私の世代(40代半ば)から50代前半ぐらいの人間にとっては耳慣れたものです。
有名な話ですが、レーシングエンジンとして開発されたS20をデチューンして、箱スカのノーズを伸ばして、搭載したのがGT-Rで、それが普通の車に無理矢理6気筒をぶちこんだと言われるゆえんですね。
箱スカというと直6というイメージが強いので、10系をリアルタイムで知らない世代の人にとっては(国沢さんは、おいくつか存じませんが)勘違いしやすいのかも知れませんね。

S20エンジン U氏  投稿日 : 2001年11月13日<火>15時45分

多分、H.N国沢さんはS20エンジンをご存知無い若い方と推測されます。丁寧に教えて差し上げましょう。

勉強 U氏  投稿日 : 2001年11月13日<火>16時05分

H・N国沢さん。
GTと、GT−Xも特に分けて考える必要無いです。
エンジン型式は同じL20,圧縮比とキャブが一つ増えただけです。

(過去ログ保管所@国沢親方より引用)
[考察]

この件に関しては、2ちゃんねるにて「何が問題だったか」という単純明瞭な指摘があったので、引用する。
いや、54B(A)も1500cc直4のボディを無理矢理エンジンルーム延長してグロリア用の直6(G7)をぶち込んだので、国が言ってる事も分かる。
だが、箱スカもベース車は直4搭載車がベースだったってことが問題なのよ。
少なくともGC210(ジャパン)までは直4エンジンのGLとかTIなんていうグレードが一般向け(ベース)だったわけ。
GTグレードは当時はかなり上級グレードだったってことなのよ。
だから、GTもGT−Xも直6だったから直6搭載を考えて設計されているなんていうのはおかしいんじゃないの?
とかの掲示板の方々は言ってる訳なんだね。

(過去ログ保管所@国沢親方より引用)
この説明が全てであるが、もう少し考察してみよう。

1500ccクラスのセダンに2000cc級の直6を「ぶち込んだ」元祖はS50系のS54である。
しかし、C10系スカイラインのベースグレードもまた全長4200mm程度の1500ccクラスのセダン(後に1800ccが追加されるが)なのだ。価格は60〜70万円くらい? そして2ヶ月遅れでGT系が出るが、直6エンジンを搭載するためにストレッチし、全長が4400mmを越えた。価格は86万円。
そしてGT-RはこのGT系に純レーシングエンジンのデチューン版のS20を載せた車で、価格は150万円である。
当時の公務員の初任給が27,600円であったことを考えると途方もない価格であるとみてよい。平成11年の公務員の初任給は184,000円である。

(公務員初任給で当時の物価を推察するのは異論もあろうが、1つの例として各5倍くらいにしてみると、ベースのスカイライン1500でも300万円超、GTが430万円となる。GT-Rなど750万円である。GTでもそう容易く買えないことがお分かりになろう。W氏の「GT系でも憧れだった」というのは誇張でも何でもないのだ)

次のC110系になるとベースが1600/1800ccクラスとやや大型化し、GT系との差が少なくなって山口氏の言う「ふつ〜のセダンに無理矢理直6をぶち込んだバカバカしさ」は影を薄める。下にS50系からC110系の諸元の表を掲載したので参考にして欲しい。

● 国沢氏に足りなかったのは何か

さて、このようになってしまったのは何故か、国沢氏の知識の面からみた場合、考えられる原因は2つである。

国沢氏の持つS54/PGC10の知識は後付けであり実感が伴わない
・現在の車のインフレに完全に麻痺している

国沢氏は自身、スーパーカーブームの洗礼をうけたと明言している。もし仮にその頃から自動車に目覚めたとすれば、当然それ以前の知識には疎い。300km/hだ300psだという夢のようなスペックを見ればPGC10の160psなどは実際とるに足らない数値である(失礼だが)。だが、ス−パーカーブームの始まる10年も前という当時を知る方からすれば、80psくらいの車に100psエンジンを載せたというだけでも「うわ、すげえ」だろうし、それが160psのレーシングエンジンを搭載したとあってはぶったまげであることは想像に難くない。

また現在はランサーエボリューション、インプレッサWRXなど
1500ccクラスの車体に化け物のようなエンジンを搭載し、4WD化までしたスーパースポーツ車が比較的安く入手できてしまう。その視点に立つと、1500ccの車に2000ccの直6を載せるためのストレッチなどはたいしたことではないと錯覚したとしても不思議ではない。。

しかし、ここではそのような知識の欠落等は最も重要なことではない。国沢氏に必要だったのは「気くばり」である。車が好きな方が、当時を懐かしんで昔話をしてくれているのだ。
年寄りの雑談は素直に聞いてあげるのが礼儀というものではないか。(失礼>山口氏)

国沢氏がやったことは、戦争体験を語ってくれたお年寄りに「ひとごろしをしたんでしょう?」と聞くのと大差ない無礼さなのだ。当時を知る人は当時の視点で話してくれているのだ。客観性を加えるのは聞いた側で行えばすむことである。また、質問のしかたというものもある。「戦闘に参加した際の気持ちはどうだったんですか?」などと聞けばよいではないか。波風もたたずに心境を語ってくれるだろう。

国沢氏には、そういう配慮、コミュニケーションの基礎が欠けていたのではあるまいか。
S50系 C10系 C110系
1500 GT 2000GT
(赤バッジ
1500 2000GT 2000GT-R 1600 2000GT
1963.9 1964.5 1965.2 1968.7 1968.9 1969.2 1972.9 1972.9
寸法 4100
x
1495
x
1435
4300
x
1495
x
1410
4255
x
1495
x
1410
4235
x
1595
x
1405
4430
x
1595
x
1390
4395
x
1610
x
1380
4250
x
1625
x
1395
4460
x
1625
x
1395
WB 2390 2590 2590 2490 2640 2640 2515 2610
重量 960kg 1025kg 1070kg 960kg 1090kg 1120kg 1005kg 1125kg
エンジン G1型 
水冷直4
G7型 
水冷直6
G7型 
水冷直6
ウェーバー3連
G15型 
水冷直4
L20型 
水冷直6
S20型 
水冷直6
G16型
水冷直4
L20型
水冷直6
排気量 1484cc 1988cc 1988cc 1483cc 1998cc 1989cc 1593cc 1998cc
出力 70ps/4800rpm 105ps/5200rpm 125ps/5600rpm 88ps/4000rpm 105ps/5200rpm
(後に120ps)
GT-Xは130ps
160ps/7000rpm 100ps/6000rpm 120ps/6000rpm
GT-Xは130ps
価格 64.7万円 86万円 150万円
[結論]

● 相手を立てて話をうまく展開させる工夫を

相手や、その場の人々の機嫌を損ねることなく、話題の広がりを持たせる発言をすることは非常に重要である。これができず、言いたいことしか言わないのはただの「うざい奴」にすぎない。「あんた間違ってるよ」などという指摘、「俺はこう思う」という主張などは誰にでもいえるほど簡単である。しかし、そればかりするのは健全なコミュニケーションとはいえない。相手をたてて、話に広がりを持たせるための話術というのは趣味の世界では非常に大切なのである。

もちろん、自分の主張を曲げろというつもりはない。しかし相手を小馬鹿にすることなく間違いを指摘したりすることは十分可能なのだ。例えば上の例であるが、「おや、山口兄は間違ってるんじゃないだろうか?」と感じたとしたら、相手を立てつつ、このような言い方だってできるのだ。
久々にお邪魔します  国沢光宏 投稿日 : 2001年11月XX日

「ふつ〜のセダンに直6をぶち込んだ」元祖はC10の前のS54Bですよね?>山口兄
このようなちょっとした配慮で読者の受けるイメージはがらりと変わるのである。このような書き方であれば、そう叩かれることはなかったのではあるまいか。

最後に、2000年9月に「クルマ買いたいマガジン」(現在季刊?)のユーザー批評会に参加した時の、kunisawa.netの来訪者に接した伏木氏の感想を引用しておく。「雑誌記事でしか得ていない知識」「生活実感のない話」「普通のコミュニケーションがとれない相手」・・・。恐らく机上の空論ばかりの幼稚さでつまらなかったと言いたいのではないかと推察するが、このような人間こそまさに「オタク」なのではないだろうか。また、オタクは同じ境遇の者で群れる習性もある、と前述したページに書かれているが、ここではこれ以上の言及は避けることにする。
9月9日
(前略)
ひょっとしたら大人は少ないかな、と思ったらやっばりそうで、キョロチュウさん以外に普通のコミュニケーションが取れたと感じられた人はひとりもいなかった
(中略)
本当のことを言うと、今回は一般参加者の資格だったはずだし、
国沢サイトを訪れるネットサーファーとはいったいどんな人なのかを観察できればいいな、と思っていた
(中略)
今日参加して良かったと思ったのは、やっぱりこの程度かということが分かったことだけである。いろんなことを知っているなあ、と感心することはあったが、
自分の生活実感を自分の言葉で語るような 『おっ』と聞き入りたくなる話はひとつもなかった

そもそも、今日あの会場にいた人で顔と名前が一致していたのは、 国沢先生、キョロチュウさん、川合さん、伊藤D、岡本編集長の以上5人だけである。あとの方々は、そこにはいたけれど講演の聴衆と変わらぬnobodyだった。一方的に喋らざるをえなかったのは、多分にわたしの性質もあるだが、コミュニケーションを取る対象にはならない人たちだと判断したからである。
(後略)

(動遊倶楽部より引用)

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(β0-5版 2002.11.10)