4−6 昨日は大変だったのよ -文章と、文章に似たモノ-


[序文]

「2に3と和で6である」と言われてもほとんどの人は何の事かわからないだろう。「2と3の和は6である」と言われたら「それは間違いだ、5だよ」と答えることができる。
言葉とは自分の考えを他人に伝える最大にしてほぼ唯一の手段である。そして言葉は永年使用され、用い方は普遍性を持つに至っている。もちろん時代や地方によっての違いはあるが、大きく狂うと意志伝達も困難となるものであるからその変化はゆるやかである。
また時代が移ろうとも、どの国や地方においても、ある事象を伝える場合には5W1Hを基にするのが基本である。当然ながら5W1Hの全ての要素がいつでも必要なわけではないが、それが抜けて意味が変わるような文章においては必須だろう。

[経緯]

国沢氏のWEBページに掲載された文章には、国沢氏が言いたい事(文章)を正しく理解するために必要な「いつ」「どこで」「だれが」などがかなり多くの頻度で抜け落ちている。そのせいで読み手は混乱し、また誤った解釈すらしてしまうことが多い。さらに助詞ぬき、使い方の誤り、仮名の多用、副詞位置の誤り、句読点のミス、文脈を無視した文章構成などなど文法的にもかなり乱れている。軽い気持ちで読み飛ばすには問題はないかもしれないが、じっくり見ようとすると非常に読みづらく、苦痛すら覚える文章なのである。以下に、国沢氏が自身のページにおいて書いたあまりよろしくない文章の典型的なものを掲載した。薄水色枠の中のものは全てkunisawa.netからの引用である。

● 主題の欠如
12月11日
ここ数日、急に家の近所にある踏み切り&右折禁止箇所での取り締まりが増えた。踏み切り渡った場所にある交差点が右折禁止だから、踏み切りでの一時停止違反と右折禁止の両方を取り締まれるのだ。したがって隠れていれば、面白いように捕まえられる。今日などひっきりなし。右折禁止の方は大いに歓迎したいけれど、一時停止の取り締まりは納得しがたい。 というのも西武線には開かずの踏み切りが多いため、丁寧に止まろうものなら激しく渋滞してしまうから。見通しの良い踏み切り は、みんな止まらないです。試しに夕方チェックしてみたトコロ、90%ものクルマが完全停止していない。1時間のウチ、50分以上締まっている踏み切りや、連続して10分以上締まるケースのある踏み切りは、法規で対応策を打ち出すべきじゃなかろうか。 赤灯回している救急車や消防車が引っかかっているのを見る度にそう思う。

2月20日 (略)
帰るとヨメが「昨日は大変だったのよ」と言う。
日記で何回か近所の踏み切りの取り締まりについて書いたけれど、どうやら 「危ない」と感じていたのはワタシだけでなかったようだ。昨日、近所でお年寄りが白バイにハネられたのだけれど(新聞見たら上石神井南町で事故あったと出てた)、事故現場の前にあるお米屋さんのヒトも「いつかやるんじゃないかと思ってた」と言ってたそうな。もっと安全な方法で取り締まりをして欲しい。
この2つのミニ評論と日記を続けて読んで見ると、一見したところ「近所の踏み切りの取り締まりでの事故」と思うであろう。国沢氏の掲示板でもそのように解釈し、常連の1人のS氏も「やはり踏切の取り締まりは危険ですね」と書き込んでしまったのだ。しかし国沢氏が2月20日の日記で話題としたのは、問題の踏切とはまったく別の交差点での右折禁止違反車両の取り締まりでの事故だったのである。そして国沢氏は解釈を間違えた常連に謝るでもなく「踏切とは関係ありません」と答えただけであった。

普段、国沢氏の文章を読み慣れている(はず)のS氏でも読み間違えたのは、「何についての話題か」という主題がすっぽりと抜けているためである。もし上の文の「危ない」の前に「警察の取り締まりを」という文章が入っていれば、これが別の場所で発生した事故の話というのはすぐに理解できたはずだ。上の2つの引用を筆者なりに校正してみたものが下である。強調文字が追加、灰色に取り消し線が削除である。また文章の位置の変更も行っている。
12月11日
ここ数日前から急に家の近所にある踏み切り&右折禁止箇所での取り締まりが増えた。踏み切り渡ってすぐの場所にある交差点が右折禁止だから、踏み切りでの一時停止違反と右折禁止の両方を取り締まれるというわけだ。したがって隠れていれば面白いように捕まえられる。今日などひっきりなし。ワタシとしては右折禁止の取り締まりは大いに歓迎したいけれど、一時停止取り締まり の方は納得しがたい。 というのも 西武線には開かずの踏み切りが多いため、丁寧にキチンと止まろうものなら激しく渋滞してしまうから同路線での見通しの良い踏み切りは、みんな多くのヒトが止まってないようです。試しにとある平日の夕方に近所の踏切をチェックしてみたトコロ、おおよそ90%ものクルマが完全停止していなかった。1時間のウチ、50分以上まっている踏み切りや、連続して10分以上まるケースのある踏み切りは、法規や特例などで現状に沿った対応策を打ち出すべきじゃなかろうか。 赤灯回している救急車や消防車が引っかかっているのを見る度にそう思う。

2月20日 (略)
ところで、ワタシはこれまでの日記で何回か近所の踏み切りの取り締まりについて苦言を書いたけれど、どうやら警察の強引な取締りはあちこちでされていて、またそれを「危ない」と感じていたのはワタシだけでなかったようだ。今日、家に帰るとヨメが「昨日はご近所で大変
だったなことがあったのよ」と言う。何事かと聞けば昨日、近所の交差点でお年寄りが白バイにハネられたのだけれどらしい今日の新聞見たら上石神井南町で白バイと歩行者との事故あったと出てたという内容が載っていた)。 その事故現場のすぐ前にあるお米屋さんのヒト「いつかこんなことをやるんじゃないかと思ってた」と言ってたそうな。警察はもっと安全な方法で取り締まりをして欲しいものだ
● 段落の無視
4月5日
政治のゴタゴタを見ていると、どうも『悪の大きさ』に対する評価がメチャクチャに思える。方や100万円強盗してる輩が居るのに、未成年の飲酒を「同じくらい悪いこと」のように取り上げるのだ。まるで子供のケンカである。せめて国民は正しい判断をして欲しいです。以前、家の近所で女性が白バイにハネ飛ばされるという事故があり、日記で紹介したのを覚えているだろ うか。その後、残念なことに女性は亡くなってしまった。信じられないことに、事故の際、救急車で最初に運ばれたのは白バイの警官だったとか。これ、近所で徐々に騒ぎとなり始めている。本格的に調べてみようと思います。
どの日記でも同じではあるが、話題の繋がりという点でこの日の日記を例とした。この引用の改行位置は原文ママである。明らかに前半と後半が違う話題なのだが、国沢氏の日記ではこのようにいくら話題が変わろうと改行を行わない。結果として非常に見づらい文章となっている。
4月5日
最近の政治のゴタゴタを見ていると、どうも『悪の大きさ』に対する評価がメチャクチャのように思える。方や100万円強盗してる輩が居るのに、未成年の飲酒を「同じくらい悪いこと」のように取り上げているかのような
のだ。まるで子供のケンカである。せめてワレワレ国民は政治家やマスコミにごまかされずに 正しい常識的な判断をして欲しいするようにしたいものです

ところで以前、家の近所で起こった事故のこと(女性が白バイにハネ飛ばされ
るという事故があり、た−2/20−)を日記で紹介したのを覚えているだろうか。その後、残念なことにこの女性は亡くなってしまった。 これ、近所で徐々に騒ぎとなり始めているのだが、信じられないことに、事故の際救急車で最初に運ばれたのはなんとハネられた女性ではなく白バイの警官だったとか。これ、少し本格的に調べてみようと思います。
● 文章の接続、話題の切り替えがまずい
7月24日
以前「近所で白バイにハネられた女性が死亡。住宅街を白バイで猛追する危険な取り締まりは止めて欲しい」と書いた。その後の報告を。死亡させたのは交通機動隊でなく石神井署管轄の白バイだということが判明。以後、事故のあった道路での取り締まりを自粛しているとのこと。代わって交通機動隊が取り締まりを行うようになったものの、これまた事故のあった 道路は「あまり行かないように」と指示されたという。最近は踏切の北側を中心に取り締まっているけれど、やはり交通機動隊の 白バイによる追走方式。見かねて白バイ隊員に名刺を渡し「危険ではない方法で取り締まって欲しい。踏切の右折禁止を取り締まることについては、住民も望んでいる。嫌がられるより信頼された方がいいのでは」と頼んだところ「よく解りました。上司に伝えておきます」。それでも危険な取り締まりを続けるようなら、スピードガンなどで白バイの追走速度を計測し、資料と共に提出するつもり。
猟銃事件を解決した警察官と奥方の連携、見事でした。きっと地元でも信頼されている警察官なんだと思います。
これは上の引用の続編であるが、最後の2文の話題は−それまでの内容に多少関連はするかもしれないが−話題がコロリと変わっている。しかも唐突である。このような場合は話題を変えるということを読者に知らせる必要がある。例えば「話はトツゼン変わるが警察絡みのワダイといえば」を「猟銃事件の〜」の前に入れるだけで大分違ったものになるのだ。
7月24日
以前、日記で「近所で白バイにハネられた女性が死亡。住宅街を白バイで猛追する危険な取り締まりは止めて欲しい」と書いた。 その後の報告をしたいまず
死亡させたのは事故を起こしたのは交通機動隊でなく石神井署管轄の白バイだということが判明したこの事故があって以後、事故のあったを起こした道路での取り締まりを自粛しているとのこと。それに代わって交通機動隊が取り締まりを行うようになったものの、これまた事故のあった道路は「あまり行かないように」と指示されたという。 最近は踏切の北側を中心に取り締まっているけれど、やはり交通機動隊の白バイによる追走方式をとっていた
これではまた同じことが起こると思い、見かねて取り締まり中の白バイ隊員
に声をかけて(もちろん相手が停車中ですが)ワタシの名刺を渡し「どうか危険ではない方法で取り締まって欲しい。踏切の右折禁止を取り締まることについては、住民も望んでいる。嫌がられるより信頼された方がいいのでは」と勝手に近隣住民を代表して(笑)頼んだところ、白バイ隊員から「よく解りました。上司に伝えておきます」との返事をもらい、ひと安心である。 それでも危険な取り締まりを続けるようなら、スピードガンなどで白バイの追走速度を計測し、資料と共にしかるべき所に提出して糾弾するつもり

話は変わるが、警察カラミといえば猟銃事件を解決した警察官と奥方の連携、見事でした。きっと地元でも信頼されている警察官なんだと思います。こんな警察官を目指して欲しい。
● 主語の不在

加えて上記の同文では白バイ隊員が答えたと思われる内容の「よく解りました。上司に伝えておきます」の部分にも問題がある。その文の前の「隊員は」という主語、後ろの「と答えた」という動詞が抜けているのだ。もっともこの場合は発言者が特定しやすい例なのだが、発言者が誰だかまったく解らない文もあるのだ。以下はその例の引用である。
8月6日
今日も夕方まで韓国から来たお客さんのご案内。夜は天王洲アイルでマツダの新社長の懇親パーティに行く。何か御意見ありますか、と聞かれたので「昨年まで文句ばっかり書いてきましたが、今は何も言うべきことはありません。マツダファンのためにもこの調子でドンドン良いクルマを出して欲しいです」と答えました。

2月17日
お台場で行われている『三菱チャンピオンズミーティング』に行く。今年は1万5千人もお客さんが来ており大盛況! 豪勢にも今年の本番車(モンテ用とスゥエディッシュ用)2台を含む、ランサーのラリーカー6台が特設コースをガンガン走りまくり! こらラリーファンならずとも観にくる価値大きいと思う。やっぱりWRカーが全開で走ると迫力有ります。しかも 特設コース仕様(トラコン機能使わずパワーでテール流れるセッティング)だったこともあり、デルクールもマクレー弟も振り舞わすのなんの! この2人、ラリードライバーの中でも「激しく元気」なことで有名。最強のヤンチャコンビと言ってよかろう。 笑いながら観てたら「乗りますか?」。トップの写真の通りデルクールのナビシートに乗せてもらいました。
いずれの例も主語が無い。そのため、マツダ社長やデルクールから聞かれたのかという印象を読者に与える(実際にはそれはあまりあり得ないパターンであるのだが・・・デルクールは英語が得意ではないし)。この場合、前者はマツダの広報の誰か、後者はラリーアートの誰かから話しかけられたとみる方がよいと思われる。
8月6日
今日も夕方まで韓国から来たお客さんのご案内をした。夜は天王洲アイルで行われるマツダの新社長の懇親パーティに行く。歓談中、マツダの方から(社長から)何か弊社への御意見ありますか、と聞かれたので「昨年まで文句ばっかり書いてきましたが、今は何も言う
べきことはありません。マツダファンのためにもこの調子でドンドン良いクルマを出して欲しいです」と答えました。

2月17日
お台場で行われている『三菱チャンピオンズミーティング』に行く。今年は1万5千人もお客さんが来ており会場は大盛況! デモランがまた凄かった。豪勢にも今年の本番車(モンテ用とスゥエディッシュ用)2台を含む、ランサーのラリーカー6台が特設コースをガンガン走りまくり! こらラリーファンならずとも観にくる価値
大きいがあると思う。やっぱりWRカーが全開で走ると想像以上に迫力あります。しかも 特設コース仕様(トラコン機能使わずパワーでテール流れるデモンストレーション走行用セッティング)だったこともあり、デルクールもマクレー弟もクルマをめちゃくちゃハデに振り舞わすのなんの!もうサービス精神満点! この2人、ラリードライバーの中でも「激しく元気」なことで有名。最強のヤンチャコンビと言ってよかろう。
あまりの派手な走りに思わず笑いながら観てたらいきなり「乗りますか?」と声がかかった声の主を見たら何と○×さん。こら願ってもないことだと、トップの写真の通りデルクールのナビシートに乗せてもらっちゃいました。
● 助詞・助動詞等の省略、使い方の誤り
3月21日
WRCカタルニアラリーの取材で来ている。本来なら全戦取材したいのだけれど、いかんせんヨーロッパラウンドだと取材費掛かります。
これは「取材で」ではなく「取材に」の方がよい。「取材で」とするなら後に「where」を示すのが普通である。つまり「〜の取材でスペインに来ている」と書けば問題はない。
更に「取材費かかります」も「取材費がかかります」が正しい日本語である。昨今の日本語の乱れとしてよく槍玉にあげられる「助詞ぬき」だ。また、国沢氏は「”ら”抜き」も多用することは言うまでもない。
3月21日
WRCカタルニアラリーの取材でスペインに来ている。本来ならWRC全戦を現地取材したいのだけれど、いかんせんヨーロッパラウンドだと取材費掛か
りまするので、そうもいきません
● 副詞・修飾語等の位置の誤り
3月26日
13時30分に成田到着。全日空ホテルでスマートをピックアップし、まぁまぁ順調に自宅到着。いつも通り帰ると郵便物や新聞のチェックで3時間くらい掛かる。
こちらは「いつも通り」の位置が不適切である。「帰ると、いつも通り郵便物や〜」の方がふさわしい。または「いつも通り」の後ろに句点が必要である。原文でも意味を間違えることはあまりないが、その前に読者は「いつも通り帰った」のか「いつも通りチェックした」のかを文脈から判断するという余分な思考をする必要がある。
3月26日
13時30分に成田到着。全日空ホテルでスマートをピックアップし、まぁまぁ順調に自宅到着した
いつも通り家に帰るといつも通り郵便物や新聞のチェックで3時間くらい掛かってしまう
● 手段と目的がまったく逆の表現 
サンバーモディファイ計画が進行中。どなたかボランティアでオーディオの取り付けをやってくれませんか? プロでなくてもOK。凝る方大歓迎です。もちろんイヤでなければ誌面で紹介します
これは構文的なものではなく意味的に違和感を生じさせる例。本来は「もしよろしければ誌面で紹介させていただきます」というのが通常の表現である。この書き方だと誌面で紹介することが前提となっているように見え、「自分の記事ネタ(金もうけ)のためにタダでオーディオを取り付けてくれる人を募集します」という虫がいいことを言っているように解釈される可能性がある。(実際にそうなのかもしれないが)
サンバーモディファイ計画が進行中。どなたかDIY気分でボランティアでオーディオの取り付けをやってくれませんか? プロでなくてもOK。凝る方大歓迎です。もちろんイヤでなければ誌面で紹介します。もしよろしければ誌面で紹介させていただきます。少しばかりの謝礼も出せる…かも(笑)
これら1つ1つは、まことに小さなものであり、普通は容認される。しかし国沢氏はその小さなミスがあまりにも多く1つの文章で何ヶ所も現れることも珍しくない。その結果、「何だこの読みづらい駄文は!」という感想となってしまうのだ。

[考察]

国沢氏の文章スタイルの意図は分からないではない。恐らく「堅苦しくなく、難解なことを読みやすく説明」したいのだと思われる。それはカナの多用、批判はされているが若者に多い助詞・ら抜きなどからも分かる。

他の分野で恐縮だが、軽く読ませる文章を書き、比較的人気があるのは物欲大王の異名をとるスタパ斉藤氏である。彼の文章は、一例であるがまずは「うおお、すごいんだぜアニキ」などのアイキャッチやジョークで始まる。次の本文の説明は極めて論理だてられ簡潔である。そして最後にまた「俺は最高にグレイトに満足しているのだった」などの感想で締めている。「読者の目を引かせ」「必要な説明を簡潔にし」「最後に好感の余韻を残す」というメリハリの効いた文章の組み立てによるテンポ−というかリズム感とでも言うべきだろうか−が秀逸なのである(しかも彼はこのテンポを何パターンも持っている)。これが読みやすさなのだ。
対して国沢氏の文にはそのようなテンポは無く、
ダラダラとした文章を表面だけ軽いノリの表現にしてみたもの、という印象なのだ。そして国沢氏は文法の誤り、表現の曖昧さも多い。

これらの原因は明確である。多くの社会・文学・文化系の評論家も指摘しているように、
正しい日本語の活字−新聞でも文学でもいいが−に接する機会が少ない(かった)せいである。およそ文章の表現はまずは例文となるべき文章を収集し、蓄積し、その模倣をすることから始まる(幼児が言葉を話し始めるプロセスを考えればよい)。そしてその上で自らの文章スタイルを築くのである。3-1-1で引用したように伏木氏は『模倣のすすめ』を書いていたが、文章に関してもまさにそれは的を射ている。

この最初の例文の収集が不十分だと、実に単調な文章しかできない。そして基礎が不十分なまま自己流にアレンジなどしようものなら、もう目もあてられない自己満足の駄文にしかならない。残念なことに、国沢氏はこのパターンなのだ。俗に言う「筆力が無い」のである。

加えてもう1つ重大な問題がある。
文章を作るために費やす時間の少なさだ。国沢氏のスケジュールを見ると、どう考えてもWEBページなどを熟考して作る時間などはない。やっつけ仕事的なのだ。もちろん時間をかければかけるほどいいというものではないが、少なすぎるとどうしても構成・推敲にかける時間が減り、だらだら並べただけのリズム感のない文章となる。

更に国沢氏は第三者の視点に立つことが不得手のようで、「これくらい読者は分かってるだろう」と思い込み、説明すべきところを省略してしまっていることもままある。そしてできた文章は非常にチグハグで本人しかわからないものであったり、誤解を生みやすい表現になったりする。

これらの相乗効果が国沢氏の文を読みづらくさせていると思われる。

2ちゃんねるで一時期、国沢氏の日記の模造が流行したが、これは深く考える必要もなく実に簡単にできるのだ。やり方はこうだ。まずは思い付きの文をだらだら並べる。ここはで内容の重複、矛盾や固有名詞の説明などを考慮する必要はない(あれば後で消す)。次にカナを適当に混ぜる。そして助詞も適当に抜き、主語述語をも曖昧にしてみる(消す)。

以下はそうして書いてみた例である。内容に関してはさほど考えてもいないので容赦願いたい。
X月X日 今日は終日原稿書きとなる日であるその合間にTV見てたら、経済財政・金融大臣の竹中サンが叩かれている。株がドンドン下がってるからだとか。この論調は少しおかしいれオカシイ小泉首相は構造改革不良債権処理には痛みが伴うと最初から言ってたし、世論調査もそれを支持していた国民も納得してたはずだハズ。これくらい予想できる。どうやらマスコミは何でも叩かないと気がすまないようだ。国民はくれぐれも過激な論調にはだまされないようにしたい。難しいテーマの記事を書いていたらストレス感じたため夜、思い切ってワインをあける。んまいっす!気合あらたにシコシコ2時まで机に向かって原稿を書く
どうだろうか?この程度なら5分もかからず書ける。実に簡単なのである。
読者諸氏も試してみられたい。国沢氏がWEBの文章を書く際に労力をあまりかけていない、ということがよく分かると思う。

[結論]

●無償といっていいかげんでは駄目

国沢氏のWEBでの文章は「こんなもんでいいだろ」といいかげんに書いた程度のものであることは間違いない。でなければ、あれほどまでに文章の乱れも誤字脱字も無いはずだ。

しかし、無償だからといっていいかげんな文を書いてもいいというわけではない。国沢氏の日記は雑誌に掲載されることもあるし、何より国沢氏のWEBはいわば国沢氏自身の広告でもあるのだ。一般企業からすれば、いちばん見た目を綺麗にしようとするところである。そこで「タダなんだからテキト-でいいだろ」とやっているのでは、「本業もいいかげんなんじゃないか?」という疑いすら抱かれる。
例えば自動車を買って「無償サービスですよ」とつけられたドアバイザーが割れていたら「まぁタダだからな」とあきらめるだろうか?多くの方はそのようなことはないだろう。無償とはいえサービスはサービスである。手を抜いてはいけないのだ。

● エピローグ

国沢氏の文章は、中高生などには人気があるという。話の流れが無い、ある意味単語だけ適当に並べて文の体裁を整えただけのような読み物は、活字に親しんでいない現代中高生にはストレートに伝わってくるのであろうか?

そして、雑誌のメイン購買層であるその人たちをつなぎとめるため、国沢氏は今日も独特の抑揚のない、単語の組み合わせでしかない文章を書きつづけざるをえない可能性も否定できない。

もしそうであれば、ある意味では国沢氏もまた現代の若者の活字離れの哀しき犠牲者なのかもしれない。
第4章TOPへ
(β0−3版 2002.10.10)