4-8(2) 離島の行政はもっと観光客のことを考えろ - 平然と嘘をつく行為 -
おことわり:あらかじめ書いておくが、田舎育ちの筆者としては、子供の頃から、たまに訪れて非日常の解放感から好き勝手にふるまっている都会の人物には辟易としていた。 そのため、以下では感情を解放して口汚なくなってしまうかもしれないことをお詫びしておく。

前節にて、国沢氏が離島を見下したかのような表現について考察した。 国沢氏はその後も阿嘉島を訪れ、ダイビングを楽しんでいる。

しかし、行ったら何かに文句をつけたくなるのは相変わらずのようで、2003年もまた日記にて阿嘉島(座間味村)の行政へ文句をつけた。


2003年10月18日 

6時に起き、ライバルであるカートップ鈴木兄と芝刈り。
(略)
3時過ぎに長野を出て羽田空港へ。途中、渋滞あったものの、一般道に降りたりしながら7時少し前に到着。8時の那覇行きANAに乗る。最近感じるのだけれどスーパーシートやJRのグリーン車の客って横柄な輩多し! 今日も隣の黄昏はビンボウ揺すりしてシートまで揺れるし(注意したら逆ギレしやがった)、ハダシになってるのもいる。キャビンアテンダントに横柄な口を利く輩だって少ない無く。4200円でそこまで横柄になるか? 普通のシートの方が教養ある人が多いかもしれない。仕事しなくていいなら普通のシートでいいんだけれれどなぁ。向かい風強くフライトタイム2時間30分。那覇に着くと北風。とても10月と思えないくらい涼しい。ワイン飲んだし疲れていることもあり、ホテルに入ってすぐ寝。

10月19日 

9時の高速船で阿嘉島に渡る。いつもの年と違い、このところずっと北風が続いているらしく波高し! しかしさすが新造船! どっかんどっかん波を飛び越え定刻に到着。阿嘉島も風強く、日向こそ汗ばむも日陰に入ると涼しい。
1時から『前浜』と『佐久原の隠れ根』を2本潜る。水温27度あって水中は快適なれど、上がると風で寒い。ダイビングすると肩こりが取れるから不思議。重力から開放されるためだろうか?
最近阿嘉で気になるのがゴミ。ムカシはゴミなんて落ちてない美しい島だったし、下水臭など無縁。なのにここ数年、島の人も嘆くほど環境は悪化してしまった。

50億円の橋を作る予算あるなら、完璧なゴミ処分場と飲めるくらいにまで浄化できる処理場を作ればよかったのに。何を求めて観光客が阿嘉島にくるのか考えるべきだ。

ちなみに座間味村のHP見ると「深刻な水不足状態」と書いてあるけれど、現在は完全に解消している。
あれじゃ観光客に「来るのは遠慮して欲しい」と言っているようなもの。ワタシも行くのを止めようかと思ったくらい。早く直せばいいのに。夜は厳しい泡盛修行。

10月20日 

起きると快晴。されど風強し! 北風のため湿気少なく涼しい。9時からガヒ島の南側で潜ると水温28度。暖かい! しかし上がると強い風で寒いの何の! 気温26度と低い上、風まであるからたまらんです。水の中のほうが快適なのだ。
お昼食べた後は昼寝。沖縄に来ると本当にノンビリできるから有難い。普段の生活と正反対だ。
こういった息抜きしてるから日頃忙しくても平気なんだと思う。午後はアゲナシク島。本日の2本も肩凝り治療のダイビングみたいなもの。ちなみにスキーシーズンになると、これまた肩凝りしなくなるから面白い。3時に上がりシャワー浴びて(ウェットスーツなどは乾いたらトランクに詰めて送ってもらう)、4時の高速船。帰りも揺れまくり! さすがのワタシも気持ち悪くなるほど。今日は那覇のホテルで原稿書き。

(kunisawa.netより引用)
● 再度、座間味諸島の地理・特徴

もう一度、座間味の地勢的なおさらいをしておく。
座間味島

【所在地】 沖縄県島尻郡座間味村
【面積】 6.66km2
【周囲】 23.2km
【標高】 大岳―ウフダケ―161m
【世帯数】279世帯
【人口】 611人(+76人)
【年令】 小人22%、大人56%、老人22%
【産業】 農業5%、漁業3%、二次6%、三次86%
【来島者】 
53,700人


阿嘉島

【所在地】 沖縄県島尻郡座間味村
【面積】 3.82km2
【周囲】 12.3km
【標高】 中岳187m
【世帯数】 148世帯
【人口】 311人(+56人)
【年令】 小人16%、大人50%、老人34%
【産業】 農業1%、漁業6%、二次11%、
三次82%
【来島者】 
25,800人


慶留間島

【所在地】 沖縄県島尻郡座間味村
【面 積】 1.15km2
【周囲】 4.9km
【標高】 157m
【世帯数】 40世帯
【人口】 96人(+33人)
【年令】 小人32%、大人46%、老人22%
【産業】 農業―、漁業―、二次―、
三次100%
【来島者】 
1,500人

本島周辺離島の島別の自然ポイント より引用、一部編集
阿嘉島は人口311名であるが、年間の訪問者が25,000人を超えている。月あたり2000人として、平均すると週に400〜500人が訪問している計算となる、観光に依存した島である。そういう面から考えると、観光客はお客様であり、お客様が望むような「売り」の特徴を作ることは重要であり、座間味の場合はそれが美しい自然であることは議論するまでもない。そういった意味では、国沢氏の主張はしごく当然のようにも見える。

しかし、こと問題が環境に関わるものになると話は違ってくる。

ここで少しゴミ問題について考えてみよう。

そも、全ての「モノ」はいずれゴミになるといえる。キャラメルの包み紙は、キャラメルを食べるまでは包み紙だが、キャラメルを口に入れた途端にゴミに変わる。茄子のヘタは包丁で切った瞬間から生ゴミである。自動車はポンコツでも動けばゴミではないが、使わなくなったらゴミになる。

つまり人間が生活していく上で、ゴミは必然的に発生してしまうものなのである。ということは、モノの量が増えたり、寿命が短いものが増えると、必然的にゴミもまた増えていくこととなる。

このことより、既にゴミとなったものの処理について考えることは大切であるが、それと同じくらい、いかにゴミにならないようにするかも、やはり大切である、ということが分かるであろう。この2つはゴミ問題を考える上での両輪と言っても良く、どちらが欠けてもうまくいくことはないのである。

●  阿嘉島にゴミ処理施設はないのか?

国沢氏の意見では、阿嘉島にゴミが多いのは主に(というより全て)行政が怠慢しているから、のように書かれており、そして交通のインフラよりも環境インフラを整備せよ、と結論づけている。
では、座間味の行政は実際、橋のようなインフラの建築物だけに力を入れていたのであろうか?

具体的に、沖縄県の環境整備課の資料から、それらを考察してみる。

このページの中、ごみ処理施設整備状況に沖縄県の各地区のゴミ処理施設の規模と建設予算一覧が書かれているが、阿嘉島の状況を見てみると、
平成10年(1998年)に1日に3トンの可燃物を処理可能な焼却施設が完成しており、その予算は3億4,400万円となっている。確かに阿嘉大橋に比べれば安いが、ゴミ処理施設の耐用年数は20年程度とされている。橋の寿命が60年として、ごみ処理施設は60年で3回更改しなければならないので、インフレを考えなければその間に建設費用だけで10億3,000万円ほどかかる。

更に言えば、阿嘉大橋は工期が10年であるが、阿嘉島の焼却施設は工期約1年。予算を工期で割れば、年間あたり阿嘉大橋は5億円となる。
単年度予算でみる限り、行政は環境をあまりに軽視しているとは言い難い。

話は戻って、阿嘉島の施設の3トンの処理能力は十分な能力を有しているのだろうか?

市町村別人口・ごみ排出量を見ると、座間味村の総人口は1,000名余で、家庭系ごみが323t、事業系ごみが627tの計950tを出している。出所曖昧で申し訳ないが(WEBで探せばすぐ見つかるとは思うが)、統計によれば、日本人1人の1日の平均のゴミの量は(可然ゴミや資源ゴミなども合せて)、昭和30年代は300g程度であったらしいが、年々増えつづけ、平成の時代では1kg程度とされている(都会ではもっと多く、1.4〜1.8kgらしい)。

とすると、阿嘉島の人口は350名未満(2004年現在)であるから、この統計に従うと1日に島民が出すゴミの総量は350kg未満である。これが全て可撚ゴミとして、島民だけで出すゴミの量は1週間で1kgx350x7=2,450kg。
つまり週1度の運転でも島民が出すゴミを余裕で処理できる能力を持っているのだ。
では、観光客もあわせた総量でとすれば、座間味村のゴミ総排出量は950tであるので、1日あたり2.6t。これが全て可撚ゴミであったとしても、阿嘉島の焼却炉は、毎日稼動すれば阿嘉島だけではなく座間味村の全てのゴミを処理できる十分な能力を有しているのだ。

可燃物以外のゴミは、座間味村は古紙回収を行ってはいないものの、金属・びん、ペットボトルは回収している。リサイクル率は沖縄の中では低い方ではないが、それでも14.6%にとどまっている。リサイクルされない不燃ゴミはどうするのかといえば、主に埋めたてであることが予想されるが、面積の狭い島では(阿嘉島など面積はわずか4平方キロ程度である)埋め立て後の処理施設を作るにも、できるだけ民家から離れた場所で水系に影響のない所を選ぶなども困難を伴うことは容易に想像できる。

ところで、座間味村の人口は1,000名。1人あたりの1日のゴミ排出量は全国平均を基準とすれば、島民だけでは1日1tにしかならない。ということは、
座間味村のゴミの6割以上は島外から訪れた観光客が棄てたものという見方もできるのではあるまいか。自分達が棄てる以上のゴミを観光客が落としていくのだ。

そして、この観光客がおカネとともに落としていったゴミ処理の費用の負担は住民に重くのしかかる。市町村費用比較によれば、座間味村におけるゴミ処理費用は年間2,200万円。島民1人あたりの負担費用は20,000円を超え、沖縄県内の市町村中、第3位である。

那覇市が同8,300円程度で、産業が盛んな(当然産業廃棄物も多い)横浜市でも18,000円程度であることも考えると、やはり人口の何倍もの観光客のごみ処理は、座間味の方々にとって重い負担となっていると言わざるをえない。

そんな中で、「観光客のことをもっと考えろ、ゴミを何とかしろ」と行政に声高に観光客が訴えるのは、やはり何か釈然としないものがある。


●次世代ごみ処理施設

ところで、新世代のゴミ処理施設として注目されているのがガス化溶融炉である。これはおよそ全てのゴミをまとめて処理できてしまうという施設なのだが、まだ信頼性や実績に多少難がある、とみられている(本当に企業が売りこんでいる文言通りのすばらしい装置なのか疑う声もあるが、それは置いておく)。
おまけにこの装置は製鉄所の高炉技術や原発の反応炉の技術の応用であるため、かなり大規模なプラント施設になる。上記メーカーが用意しているこの炉の
最低の処理能力は1日に40トンの設備(ごみ処理施設の建設費は処理能力1tあたり3,000〜5,000万円といわれる)。おまけに炉内を1,300〜1,400度の高温を維持させるために(ゴミが少なくても燃料を与えつづけておかなければならない!)ランニングコストもメンテナンスコストもはねあがる。地方の自治体には手におえない代物であったのだ。

しかし、(株)還元溶融技術研究所(1997年設立)により、1998年(平成10年)から処理能力1tでもOKである小型の高炉を使用するガス溶融炉の実証試験が始まり、そして、まさにこのミニ高炉を使用した最新の処理施設が、座間味島の座間味クリーンセンターに8億の予算をかけて建設(平成15年8月竣工)されたのだ。
阿嘉島の処理設備が計画された時は、この小型高炉はまだ実証試験も始まっていないので、従来のストーカー炉となるのは当然である。

このように、処理設備に関する限り、座間味村は国沢氏が言っているように環境設備について何も考えていないどころか、むしろまだ実績の少ない新型炉を導入するように、非常に積極的にとりくんでいると評価してもよいほどなのである。すなわち国沢氏の批判は
まったくのお門違いであると断言してもよいほどなのだ。
● 離島でのゴミへの意識

筆者は田舎ではあったが、離島出身ではない。ゆえに田舎でのゴミ問題について語ることはできるものの、それが離島にもあてはまるというわけではない。 しかし、ここで離島のゴミ問題を考えるには、国沢氏とは別の視点から離島でのゴミについて書いたものが、どうしても必要である。

WEBとは探せば何でもあるもので、まさにそれにピッタリのページが存在する。

それが、「南西諸島の自然と環境」内の「離島のゴミ問題」である。以下、一部を引用しよう。
【ゴミについての啓蒙活動は?】

 住民に対しては、数年前鹿児島市で行われた「ごみダイエット運動」を呼びかけたが浸透しなかった。「あとは住民の意識改革ですよ!」と担当者は言っているが、現在は特に何もしていない。
 観光客に対しては、今夏村をあげての大イベント「水中映像祭」を中之島で行った時にゴミの持ち帰りを呼びかけたが、結局皆置いて行ったためゴミが10tも出た。その大半は空き缶と食器として使用した竹である。宝島の海水浴場では今夏何組かキャンプしていったが、8月末に視察したらゴミが散乱して美しい景観が台無しになっていたそうだ。「持ってきたゴミは持って帰ってほしい。そうでないと屋久島の二の舞になってしまう。」と言いつつも、観光客対策は観光課の管轄になるのか住民課としては対策はまだない。「ゴミの中でも多くて問題になのがスチール缶。これは半永久的に残ることになるから困る。」
 
観光客が増えれば一番増えるのが空き缶だろう。現在、自動販売機は各島に1台あるかないかだが、観光化に力を入れはじめている十島村ではよく対策を考える必要がある問題だと私は思う。


【捨て場がなくなってきている?!】
 これらのゴミ対策や計画はすべて
ここ数年に立てられている。世の中の環境問題に対する関心が高くなったことを反映しているのだろうが、一番は「捨て場がなくなってきている、という切迫感から対策が進んだ。」そうだ。そもそも露天のゴミ捨て場に捨てるようになったのは昭和50年代からで、それ以前はあまりゴミになるものが出なかった。それが島の生活が豊かになり、鹿児島市からの物資がたくさん島に入るようになってゴミが増えたという。

 ゴミ捨て場の場所は島ごとで決め、満杯になったら土を捨てて埋め立てているが、管理や水質検査などはしていない。中之島のゴミ捨て場は1000m3 貯まったら埋め立てて次のゴミ捨て場を設置するが、すでに3つ目だと聞いて驚いた。
人家や水系に影響のない捨て場所を選ぶのも小さい島では限界がある。
 「いずれは冷蔵庫や洗濯機のような大型ゴミも本土へ運ぶシステムを作りたいんですけどね。ゴミ対策のよいアイデアは何かありませんか?」と逆に聞かれてしまった。


【島が大きな奄美でも…】
 奄美大島の名瀬市では、94年7月に市、自治会、企業、婦人会、青年団などによる「ごみ問題協議会」が発足し、清掃活動、学習会、過剰包装の抑制やアルミ缶のリサイクルなどに取り組むことになった。面積の大きい奄美大島でも「空き缶から廃車、建築廃材にいたるまで市中や海、山、川への投棄が目につく。そのうえ、資源ごみの回収業者も少ない(朝日新聞94年7月17日付)」と、同じゴミ問題をかかえているようだが、島内の他の町や村ではどうしているのだろうか。


【観光客の増加と屋久島のゴミ】
 世界遺産条約に指定されて
観光客が大幅に増えた屋久島ではゴミの増加に悩まされることになってしまった。94年の夏に、屋久島のゴミ問題を調べた筑波大大学院の安田由美子さんのレポートでは、
「観光客がゴミを島に残せば、その処理責任は島民にあり費用負担も島民に課せられる。この夏からは観光客に指定ゴミ袋を買ってもらい費用の平等分担を計ることになったが、ゴミ袋を買ってお金を払っているという意識が一種の免罪符になることも考えられる。」
「県の環境文化村構想では“環境産業”創出の試みが挙げられているが、ゴミ処理施設の整備は後回し。焼却炉の老朽化と捨て場の延命のためにゴミ捨て場で野焼きをしているという現状を放っておいて、環境文化センターなどの施設建設はかえって問題を作り出すことになるのではないか。」と報告している。


【島を訪れる人間として】
 結局、島に入った物はほとんどが島のゴミとなってしまう運命にある。島から出すのは輸送コストが高くつくため容易なことではない。
観光客は金だけでなくゴミもおとしていく、などと言われないようゴミになるものは持込まない、できる限り持って帰るということを心がけたい。
 また観光開発をする側も、ゴミ処理能力と観光客の受入容量を計算し、観光客をたくさん呼ぶ前にゴミ対策をしっかり立てておかないとゴミの散乱する島になってしまうだろう。ただ「ゴミは持って帰りましょう」というだけでは説得力がない。(そんなことでゴミが減ったら苦労しない!)便利さや快適さを提供するだけでなく不便さも負担してもらうには、
観光客にも島のゴミ処理の限界をよく理解させ、環境保全に協力するという自覚を持ってもらうことが必要だ。もちろん住民もポイ捨てなどの態度を改め、手本を示すことは言うまでもない。


【離島だけの問題ではない】
 人間が住んでいる所では多かれ少なかれゴミが出る。島では自分の出したゴミの行方が見えてしまうが、目の前からゴミが見えなくなる都市でも結局どこかで埋められているという点は島と大差がない。でも、
都市ではゴミは回収日に出せば収集車が持っていってくれて一安心、していないだろうか(私はしてた)。
 東京都ではごみ非常事態宣言が出されたというが、日本列島という島で捨て場がなくなったらどうすればいいのだろうか。埋める場所がなくなった島は未来の日本列島を暗示しているように思える


( 「離島のゴミ問題より引用)
このページの作者はこのページを恥じているが、これほどまでに離島でのゴミ問題が本土の田舎や都会とはまた違った要因があるということが分かる優れたレポートもない、と思われる。

このページのレポートで誰でもはっきりと離島のみならず、ゴミ問題自体の本質が分かると思うが、離島に関して言えば、
  • 島に本土から大量に物資が運ばれてきて、処理能力を超えているしまう
  • 分別・回収するほどのコストがかけられず、とにかく埋めるか放置する
  • 島外の観光客がゴミ(長く残るもの)を撒き散らす
の3つが主な問題であろう。 加えて、ゴミ問題は行政の力だけではなく、住民や観光客の理解や意識改革も必要であることがよく分かる。

対して、国沢氏の意見をもう一度引用する。
最近阿嘉で気になるのがゴミ。ムカシはゴミなんて落ちてない美しい島だったし、下水臭など無縁。なのにここ数年、島の人も嘆くほど環境は悪化してしまった。50億円の橋を作る予算あるなら、完璧なゴミ処分場と飲めるくらいにまで浄化できる処理場を作ればよかったのに。何を求めて観光客が阿嘉島にくるのか考えるべきだ。

(kunisawa.netより引用)
国沢氏は、ゴミ問題の責任について行政(の失策)しか批判していない。しかも、かつて自身が批判した阿嘉大橋を悪の権化であるかのように引き合いに出している。そこには、上記の方のような観察も取材も考察も何もない。

つまり、これは単なる雑談だけを基に、瞬間沸騰して発想した言いがかりに近い意見にすぎない、と言えるのではあるまいか。

しかも、
完璧なゴミ処分場という表現があまりにも幼稚極まる。処理施設においてダイオキシンが全く発生しない、ということはないし、水系にまったく影響を与えないことはあり得ない。まあ何をもって完璧とするかという問題はあるが、メーカーも自治体も誤解を招く「完璧な処理施設」という表現などは決してしない。

おまけに、人口と観光客の数を考えれば、誰が阿嘉島の自然を汚しているのかくらいは分かりそうなものだが、自分達の利益しか主張していないのは、田舎に育った筆者としては義憤に近い感情が湧きあがってくる。

もし本当に阿嘉の自然を求めて来るのであれば、彼は、その自然を守るための活動を少しでもすべきなのではあるまいか。沖縄ではボランティア団体(参考:沖縄クリーンコーストネットワーク)なども参加して海岸の清掃などを行っている。飛び入りで参加するもよし、参加できないにせよ資金援助なども可能であろう。

それらもせず、処理施設さえ作ればOK.という発想しかしないのであれば、とんだ自称環境親方である。


…まあ、以下の引用でも、彼のゴミに関する意見は「減らして、かつ適切に処理する」という観点ではなく「出したゴミ処理コストをどこに負担させるか」という、あまりにも金銭面に偏った発想しかないであろうことは予測できるのであるが…。
(略)数日前、久しぶりに間に合わなくなりそうになり、イヤイヤ補給するハメとなった。会社払いのガソリン代だったこともあり満タンを頼む。その際、車内にあった一握りのゴミを捨ててもらうよう頼むと「ゴミは捨てられない」だって。何でもゴミ出すのは有料なので、持ち帰ってくれと言う。おいおい。正気か? 高いガソリン代を払い、さらにゴミまで捨てられないってか?

 考えて欲しい。今や街中のガソリンスタンドで出すゴミも、事業用だから有料処理だ。でも断られることなどない。むしろ「捨てるモノはありますか?」と聞いてくれる(2000年6月現在、断られることも多くなった)。そりゃそうだ。ガソリンスタンドでゴミを捨てられなければ、ドコに捨てる?家まで持って帰るのか。
サービス業たるモノ、お客さんのためになるのなら、多少の出費はやむを得まい。コンビニにだってゴミ箱あるでしょう。スタンドで断られたワタシは、仕方なくサービスエリアのゴミ箱に捨てることにした。

 こう書くと「サービスエリアにゴミを捨てるのもマナー違反だ」などと思う人もいるようだ。おそらく道路公団のPRを見てそう判断したんだと思う。確かに自分の家で出たゴミを高速道路のサービスエリアに捨てるのは、筋違いかもしれない。自分の住んでいる場所にあるゴミ置き場に自分のゴミを捨てるのは、税金で賄われる。税金を払うことによって生じた「権利」といってもよかろう。

 じゃ
オートキャンプなどに行き、その時に出たゴミをサービスエリアに捨てるのはどうだろう。一番適当なのは、ゴミになるものを買った場所で捨てること。つまり途中のスーパーマーケットで買ったなら、帰りに捨てていけばよろしい。もし帰りに寄れなかったらどうする。通りがかりにあったゴミ箱に捨てるのは最低だ。ゴミを処理するのに掛かる費用は、通りがかりの自治体が負担することになっるから。

 帰りに使う高速道路のサービスエリアならどうだろう? 
ここで出るゴミは、世界一高い高速道路料金で処理される。つまり利用者が負担していることになるワケ。しかも競争がないため高くてマズいレストランや、メチャクチャ高いガソリンスタンドがあるサービスエリアの一角にあるのだった。となると、ドライブ帰りに出たゴミの捨て場所としちゃ最も迷惑が掛からないような気がしてならない。

(kunisawa.netより引用)
● 離島の水問題

ある意味において、離島ではゴミよりもこちらの方が深刻である。

よく言われるように日本は狭い国土に山林が多いので、河川が急である。そのため水の確保には昔から苦労してきた。植林やため池、用水の建設などがあちこちで行われてきたが、それでも離島に比べればましである。
離島では、天然のダムとなるべき山林も少ないし、ダムも本当に小さなものしかできない。山林やダムの貯水量はキャパシティが少なく、すぐに渇水となる。井戸を掘っても塩分が多いことも多々あるから、そうそう使えない。

そのため離島には本土より給水船などによる応援給水が行われることもある。瀬戸内ではごく普通のようにされてきた。

国沢氏が一体何をもって「水不足は完全に解消した」と判断したのかは不明であるが、恐らく(観光客の)日常生活に支障がないくらい水が使えたからではあるまいか。しかし、普段の生活に支障がない程度とはいえ、渇水傾向にあれば「水不足なので使用量を控えてくれ」と呼びかけるのは当然のことである。おまけに観光は最大の産業なので、観光客だけは水に不自由しないよう、最大の努力を払っているはずだ。

その点で言えば、渇水経験のほとんどない、潤沢な利根川水系(?)で過ごした国沢氏が、観光客としてほんの数日滞在しただけで「水不足は解消している」と断ずるのはあまりに早計である。

● 月に2回も沖縄にダイビングに行きたかったのか

座間味村役場はWEBページを開設しており、そこにはWEB村民として登録すれば、掲示板に書き込めるようになっている。(村民以外は閲覧のみ可能)

そこで国沢氏は、フェリーに関する行政への意見に返答した。

No.238 2003/07/21

キャンセル待ちで From: やなさん

7/12のQ1便のキャンセル待ちでスクーターに乗った人がキャンセルを取ってから払い戻ししてフェリーに乗り換えていました。受付けの看板には車両について記載されていません。たかが一席されど一席、なけなしの時間を割いて座間味に通う者にとってやるせませんでした。シーズンなので団体優先なのは解りますがNET村民枠の優先予約(2ヶ月前から)とかキャンセル待ちとかのメリットが有っても良いのではないかと感じました。むらおこし課、船舶課の方いかがでしょうか?

No.240 2003/07/25

Re: キャンセル待ちで From: zounokutu

シーズン中は団体優先なのですか? 知りませんでした・・・

No.246 2003/08/08

Re: Re: キャンセル待ちで From: 国沢光宏

実績に見合った席数を旅行会社に優先供給しています。
知る限り25年以上前からそうです。
役所の仕事なのでガマンするしかありません。
イヤなら行かなければいいだけ。
腹立つことが多くても
阿嘉の海の魅力にゃ勝てませんね〜。

No.251 2003/08/16

Re: Re: Re: キャンセル待ちで From: zounokutu

そんなに腹が立つことが多いのですか??船舶についてですか?



(座間味村役場の掲示板より引用)
まあ、国沢氏の雑誌等での論調をご存知の方なら「またか」と思われると思うが、相変わらずの役所批判である。ただし本論ではないので、ここではこの件については言及しない。

そして問題の発言は、11月にあった。

No.268 2003/11/09

水不足は? From: 国沢光宏

まだ厳しい状況なのでしょうか?
先月はダイビングを断念いたしました。


No.269 2003/11/12

Re: 水不足は?From: チジュヤー

ご心配をおかけしてすみません。水不足はまだ続いていますが、おいでいただいた方にご不便をおかけすることは少ないと思います。詳しい状況は、ご利用予定のお宿におたずねください。雨雲が近づくたびに期待が高まるのですが、たくさんは降らず、すぐに上がってしまいます。


(座間味村役場の掲示板より引用)
もう一度、国沢氏の2003年10月の日記を引用する。

2003年10月19日 

9時の高速船で阿嘉島に渡る。いつもの年と違い、このところずっと北風が続いているらしく波高し! しかしさすが新造船! どっかんどっかん波を飛び越え定刻に到着。阿嘉島も風強く、日向こそ汗ばむも日陰に入ると涼しい。
1時から『前浜』と『佐久原の隠れ根』を2本潜る。水温27度あって水中は快適なれど、上がると風で寒い。ダイビングすると肩こりが取れるから不思議。重力から開放されるためだろうか?

最近阿嘉で気になるのがゴミ。ムカシはゴミなんて落ちてない美しい島だったし、下水臭など無縁。なのにここ数年、島の人も嘆くほど環境は悪化してしまった。
50億円の橋を作る予算あるなら、完璧なゴミ処分場と飲めるくらいにまで浄化できる処理場を作ればよかったのに。何を求めて観光客が阿嘉島にくるのか考えるべきだ。ちなみに座間味村のHP見ると「深刻な水不足状態」と書いてあるけれど、現在は完全に解消している。あれじゃ観光客に「来るのは遠慮して欲しい」と言っているようなもの。ワタシも行くのを止めようかと思ったくらい。早く直せばいいのに。夜は厳しい泡盛修行。

(kunisawa.netより引用)
筆者には、どこをどう読んでもダイビングしたと書いてある日記と読めるのだが、では座間味村の掲示板に国沢氏が書いた「ダイビングを断念した」というのは

  • 10月中にもう1回訪問したかった
  • その訪問で、あと数回は潜りたかった
という意味なのであろうか。

筆者の考えるところ、恐らくこれはそうではないと思われる。

国沢氏の引用を見ていただければ分かるように、国沢氏は座間味村のページのトップに「水不足」と書いてあったので、せっかく楽しみに行こうとしている観光先で不自由であるかもしれない、と連想させられた。しかし、島民の方の努力もあったと思われるが、観光に困るほどの深刻さではなかったため、拍子抜けしたのだと思われる。
そして彼は、「水不足」と書いてあったことによって過剰に心配してしまったことを、「損をした」と思ったのではあるまいか。そのように書いていなければ、阿嘉島へ行く前から心配もすることなくワクワクできたのであるから。
当然、その矛先は最も文句を言い易い対象、つまり行政に向かうのである。これが、阿嘉島での日記を書いた時の心理であろう。

だが、阿嘉島から帰ってきても、座間味島のTOPは変わらないままである。実際に座間味島のダムの貯水量を見れば、確かに不足気味であったのだが、国沢氏は阿嘉島に行った時の自身の体験(それは観光客向けの便宜があったはずだが)を基にしているので、そのような裏づけ情報など調べようともせず、これは単に座間味村役場が更新を怠っているだけなのだと判断したのではあるまいか。

そこで、「客を気持ちよく誘うために、そんなことをTOPに堂々といつまでも書いておくな。キチンと更新しろ」と思い、苦情(というか国沢氏としてはきつめのアドバイスのつもりであったのであろう)を言うため、彼としては「こう書けば相手も危機感を持つはずだ」と思ってあのように − 敢えて嘘を −書いたのだと思われる。

もちろん、筆者が上に書いたように、ひょっとすれば国沢氏はもう1回は行きたかったが断念したのかもしれないし、あるいはもう数回は潜りたかったが断念したのかもしれない。
しかし、日記にはっきり「潜った」と書いてある以上、10月に国沢氏が阿嘉島でダイビングをしたというのは、彼自身が公式表明している事実である。 対して、座間味村の掲示板の書き方では、大半の方は国沢氏は10月には座間味には1度も足を運んでいないと連想するはずであり、その結果、読み手は国沢氏が日記かあるいは掲示板のどちらかで嘘をついていると判断する。 そして、どちらが嘘かは、日記の内容と今回の掲示板の書き込みを比較すれば極めて簡単に判断できてしまうのだ。

● 嘘までつくほどのことか?


では、彼は
何故に嘘をつかなくてはならなかったのであろうか?

そもそも嘘はついてはいけないということは、道徳の基本中の基本である。 しかし、世の中にはある程度は許容される嘘もある。相手を傷つけまいとついた嘘、その場を盛りあげようとついたみえすいた嘘、相手を気持ち良くさせようとついた軽い嘘などである。反対に許されないのは、自分の見栄をはるための嘘、相手をおとしめよう、困らせようという意図での嘘などであろう。

国沢氏のこの嘘は、明確に後者といえる。何故なら、彼の文章には、自分がなにがしかの損害を被ったことを相手にとがめる意図を感じるからだ。具体的には、「本来なら座間味に行ってダイビングを楽しめたのに、水不足のせいでいかなかった」ということで、顧客である観光客の立場で売り手を責めているのである。

そして、その書きこみの目的は、自分にとって目ざわりであった、「島民への水不足のお知らせ」の文章を消したいということにある。
しかし、単に「深刻な水不足」ということが本当かどうか知りたくて、また水不足の情報のために訪島を躊躇してしまう気持ちを伝えたいのであれば、このような表現でもその意図は伝わるはずである。
<記述例>

先月、観光とダイビングのため阿嘉島にうかがいました。
水不足と聞いてはいたのですが、あまり不自由もなく自然を楽しませていただきました。

また訪問したいと思っているのですが、TOPにはまだ「深刻な水不足」とありますが、更新日がかなり前なので、現時点でどのような状況かよく分かりません。

観光客が行くのを少し遠慮した方がよいほど深刻なものかどうか、お教え願えませんか?
しかし、国沢氏はあえて嘘をつくことを選んだ。いや、進んでそうしたとも言えるかもしれない。
繰り返すが、一体何故?

● 嘘・誇張がなければ、説得力のある文が書けない?

一般に、正面から理詰めで相手を負かせることができない場合、権威や嘘などを用いて装飾し、相手を納得させようとする。
彼が書いた記事を読めば、根拠不明の権威や情報に頼っていることがよく分かる。「常識」の多用、自分につけた「ユーザ代表」「親方」「大王」の称号、「もっぱらのウワサ」や「〜そうな」等の情報源を曖昧にする表現。

もし
明確な数値や理論、確固たる情報さえあれば、これらの装飾は必要ない。そのようなものはなくても記事の信頼性は保たれるからである。 しかし、それらに乏しいと、どうにかして読者を納得させようとして、それ以外であらゆる表現をしようとする。それが、自分を偉くみせる方法であり、また勝手な仮定であり、そして − 嘘 − なのである。つまりこれらは、彼にとって、読者に自己の意見を納得させるという目的のために行う、日常のごくありふれたテクニックの1つにすぎないのではあるまいか。そのため、これらの −本来はあまり望ましくない− テクニックを使う事に麻痺してしまっている可能性がある。

もっと言えば、彼は、日常でもこのようなことを多用しているとすれば、ごく普通の文章を書いて相手に自己の主張を伝える能力にも欠け、常に何かのテクニックを使わなければ相手を納得させることができないほど文章能力に乏しい、ということにもなる。

確かに、雑誌の提灯記事などにおいては、誰かを傷つけたり、侮辱したり、事件・事故・犯罪等を誘発するものではない限り、これらの方法は黙認されるであろう。

しかし、この件での彼の失敗は、そのような相手を納得させる手法を、まことに些細な件 −自分が不愉快だったということが主原因の事象− でまで行ってしまったことであり、かつ、
あからさまに嘘と分かることを、誰でもが見られる掲示板に堂々と書きこんでしまったことである。
この事実を知った少なからぬ人は「この人は平気で嘘をつく」と認識するはずである。 おまけにその証拠は、これ以上はないというほど明確に残っている。

自分が不愉快だったからといって、平気で嘘をついて相手を萎縮させようとするかのような言動をとる性格(かもしれない)の人物の記事を、はたして読者は信用などできるのであろうか? 書いた記事の内容はむろんのこと、人物自体も信用に値しないというレッテルを貼られてしまう可能性は非常に高いのではあるまいか。

もちろん、国沢氏にも言い分はあるはずだ。しかし、いかに大義名分があろうとも、相手を騙した(または未遂)という事実はくつがえすことができない。しかも相手が気持ち良くなるような嘘ではなく、相手を恐縮させる嘘なのだ。かつ、その相手は
多くの読者にとって共通の敵というものでもなく、国沢氏を不愉快にさせたというだけで、(庶民にとって)共通の敵であるかのように、彼自身のみが思い込んでいるだけなのである。

この事象はもちろん彼の本業とは直接の関係はないが、それゆえに本性があらわれているという見方もできてしまう。いずれにしても、軽率極まる発言と言わざるをえない。

評論家やジャーナリストを名乗り、
真実の情報を追求すべき職業の人物が嘘を平気でつくということが、世間からみて、どれほどその人の信用と評価を下げることになるのかということを、国沢氏には強く熟考していただきたいものである。


● 依然続く渇水

2003年の秋から続く座間味の渇水は、2004年になっても依然として続いている。座間味のダムの貯水率は20%台で推移していて、村民に節水を呼びかけつづけている。

そして2004年3月、ついに沖縄本島よりフェリーによる応援給水(1日40t)が始まった。4月には海水淡水化設備も借りて淡水を作ることになっている。


座間味村役場のページには、2004年1月26日より、このようなお知らせが掲載されている。
座間味島、阿嘉島は長期の少雨傾向により深刻な水不足となっています。特に座間味島はダム貯水率が25%となり、2月5日から一日12時間断水を行うこととなりました。観光客の皆様にもご不便をおかけすることがあるかと存じますが、離島の厳しい水事情にご理解とご協力をいただきますようお願い申し上げます。

座間味村役場


(座間味村役場公式HPより引用)
真に何をすべきか考えるのは、観光客の方かもしれない。
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2004.04.21 草案の初版
2004.05.12 α版