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8−1−4 (4) 最終SSで全日本勢の背中が見えた   −ハイランドマスターズ出場−
● 忸怩と意地

日本初のWRCとなった2004年のRJ(ラリージャパン)であったが、興業としては成功裏に終わったとみなしてよいだろう。大半のドライバーやチームマネージャーからの評価も高く、次回以降の開催にも弾みがつき、主催者も自信を深めることになったはずである。なによりも、日本でWRCを見ることができたということは、多くのラリーファンにとって非常に感慨深いものであった。

だが、国沢氏にとってはそれは決して面白いものではなかった。用意した(してもらった?)競技車両のインプレッサ、家族用の観戦チケット、その他多くが無駄となり、そして得られるはずだった「WRC出場」の経歴や観客の歓声も一切得られなかったのだ。

前節までで述べたように、その代わりといっては失礼であろうが、2ちゃんねるで得られたのは「受理される前から1人で浮かれてたおめでたい人物」「ヤフオクで落札をシカトしようとした(かもしれない)奴」「バイクでコースに乱入した(かもしれない)不届き者」「胸倉掴み&飲酒運転をした(かもしれない)業界失格者」などの
極めて程度の低い疑惑の噂の主という不名誉なレッテルである。
これではたとえそれらが根も葉も無い噂としても、国沢氏ならずとも誰でも忸怩たる気持ちになるであろう。

これらのことが(?)国沢氏をどうつき動かしたのかは定かではない。だが不受理の要因が「ラリーの実績不足」であるのでは、とベストカー誌の勝俣編集長から聞かされた国沢氏は、「では実績があればいいのだな」とばかりに、実績を作るための活動を開始したのである。これは彼の意地といってもよいだろうし、その考えと行為自体は、なんら責められるものではないことはおろか、むしろ応援すべきものなのであろう。

2004年8月12日 

サッカー日本代表の女子が素晴らしい! 見ていて負ける気がしないくらい強いのだ! ぜひとも予選を全勝で通過しメダルを捕ってきて欲しい。いや、取れると思います。午前中原稿書きの後、ジムで汗をかく。ついに体脂肪率20%を割り19,8%に。体重も78,2kgまで落ちたのだが……。
ベストカーの勝股兄から電話あり「まぁ気を落とすな。今日から再び来年のラリージャパンへの道を始めなさい。オーストラリアあたりに出て実績を作ればいいんじゃないの?」。
勝股兄以外からも多数声を掛けて頂いた。お盆休みが終わったら今回の件で尽力頂いた方々と連絡を取り、前向きに考えていこうと思う。


(kunisawa.netより引用)

● 1年間のレンタルです


さて、ラリーの実績を作るためにてっとりばやいのは、やはりまずは身近な国内のラリーに出場することであろう。 とはいえ国内ラリーと一言で言っても、実は国内ラリーにもいろいろある。おおまかに地域限定のローカルで主催する地方選手権と、日本各地で開かれる全日本選手権である。そしてその中でも車両の違いによるクラス分けがある。
モータースポーツに限らず、およそ競技というものは、普通はまずは地方選手権の入門クラスからはじめ、徐々にステップアップしていくものである。現在の全日本のトップクラスのラリードライバーもほとんどこのような道を歩んできた。

ところが国沢氏はまるで正反対であった。

ベストカーの10日売り号で勝股兄が書いてしまったから、隠してても仕方ありません。10月23日に岐阜県と長野県で開催される全日本ラリー選手権の『ハイランドマスターズ』に出ることになった。『WRCへの道』再チャレンジのスタートである。というか、ラリージャパンに出たら、来年から全日本ラリー選手権に出たいと思っていたのだ。
車両はラリージャパン用に作ったインプレッサ。
ハイランドマスターズ用のタイヤはダンロップが提供してくれることになった。嬉しいことです。23日(土)の13時〜15時30分という良い時間帯に『ギャラリーステージ』(高山市内から30分程度)が設けられているので、御近所の方はぜひ! エントリーしてるのはWRカーと新井選手のいないラリージャパンのメンバー。きっと楽しめると思う。午前中はサービスパークに居ますから気軽に声を掛けてください。勝股兄によれば「国際格式のイベントに2回以上出ていれば来年のラリージャパンは大丈夫じゃないの?」というので、来年どうしようか計画を練ってます。年齢を考えれば最後のチャンス。オジサンを代表して頑張りたいと思う。

(kunisawa.netより引用)
なんと、いきなり国内ラリーの最上位カテゴリである全日本ラリーのクラスC(最上位クラス)に出場するというのである。その理由について国沢氏は以下のように述べている。
全日本ラリー選手権出場へ! 今年、ラリージャパンに出場したら、2005年シーズンから全日本ラリー選手権に出ようと思っていた。ラリーというモータースポーツを長く楽しみたいからである。こう書くと「順序が逆でしょ!」と言われるかもしれない。その通りだ。しかし! 年齢を考えると、悠長なことは言っていられぬ。というか40歳を過ぎたらトップクラスのドライバーが引退してくのを見れば解るとおりつるべ落としで「速く走る能力」はダウンしていく。全日本ラリー選手権には綾部さんや西尾さんという大ベテランも存在するけれど、こういった人達は若い頃から継続して速い。私のような立場だと時間との競争である。とにかくレベルの高いところに出て、追いつくべく頑張るしかありません。しかし「実績を認めず」ということで出走出来ず。


「もはやこれまでか?」諦めかけたけれど、こままじゃ負け犬でしょう。加えて嬉しいことに
ラリージャパン用として作ったインプレッサを良い条件でレンタルしてくれると言う。エントリーを蹴られたことで元気も出た。何よりクサクサしたって仕方無いし。これまた修行だと受け入れ、ラリージャパンの主催者である田端氏に「まぁそのくらいの実績があればよかろう」と来年のラリージャパン(大好評だったこともあり、どうやら今後5年間開催が決まったらしい。ラリーファンとしちゃ大いにめでたい!)のエントリーを受けて貰えるよう、頑張ることにしました。逆に考えれば蹴られて良かったかもしれません。そういたった点からすれば感謝しなくちゃならない。


 じゃ具体的にどうするか? いろいろ考えた結果、全日本ラリー選手権の最終戦『ハイランドマスターズ』は間に合うことが判明。それじゃここから出よう、ということに相成った。早速エントリー書類を取り寄せ、チーム体制を組む。といってもマネージャーに山崎君。チームのまとめやるの、番頭の宮本君しかおるまい。コ・ドラはラリージャパンの時にお願いした菅野君です。全日本に慣れている菅野君に必要なサービス体制を聞くと「全日本なら4人くらいで大丈夫」とのこと。宮本君と弟子2号の南君、自動車部のムスコ。そして自動車部の先輩の大谷君で4人。いずれにしろ全日本はサービスの時間が2回しかない。大きなトラブルあれば終了です。


 車両は基本的にそのままでOK。ただ全日本選手権はイベントごとに特別規則が定められており、排気系を完全ノーマルに戻し、3点式のシートベルトを装着しなければならない。ちなみに私の乗るインプレッサ、グループN規格のロールバーと安全装備(シートやベルト、消火器など)を入れ、カヤバの足回り、フェードしにくいスポーツパッドを組んだのみ。車体の補強も行っていないという、ほぼノーマルの状態。リストリクター付きなので、おそらく市販ガソリンだと240馬力くらいだと思う。 

(kunisawa.netより引用)          
ちょっと脱線するが、上記の「ラリージャパン用に作った車両を1年間レンタルできた」という内容に、筆者が8-1-4aで書いた疑問を解く鍵があることが分かるかと思う。もし仮に高山大学チームからの誘いでRJにエントリしようとしたならば、車両は高山大学が用意するのが筋というものである。だが1年間も貸してくれるほど地方私立大学が太っ腹なはずはない。つまり、国沢氏がRJに参戦しようとした際には、車両を用意できるだけの大きな存在が背後に控えており、それが高山大学に働きかけていたという疑惑が更に濃くなるのである。

閑話休題。
まあそれは置いておくとして、インプレッサを貸してくれたというのも国沢氏の実力の1つとしておこう。しかし、それにしてもラリー素人同然(1度、2002年のアルペンラリーの経験があるにはあるが・・・)の国沢氏が、いきなり国内最高峰の全日本、しかもCクラスに出場するというのはいかがなものだろうか。

もちろん、上記の国沢氏の気持ちも分からないでもない。彼は既に40半ばを過ぎており、肉体的にも精神的にもモータースポーツを始めるには遅すぎる。そのために、自分のできる限りのコネを使って、最高峰に近い場所ではじめたい、と思っても、まあそれはしかたのないといえばそうかもしれない。

しかし、同時に彼は「ラリーという競技を世間に広く認知させたい」という意図も持っている、と折に触れて発言していた。もしそれが目的であれば、資金調達からラリーカーの作成、検査などをすべて1から自身の手でやっていき、地方選からステップアップしていくのを見せる方が、「ラリーの伝道師」として説得力のあるものになるはずではあるまいか。

ラリーに興味を持って、これからラリーをはじめようとする人が、職権を利用してちゃっかり国内最高峰のマシンを借りられた人の体験談を見て、はたして参考になるものだろうか?という疑問を筆者はどうしても払拭できないのである。むしろ「オレさまはユウメイジンだからいきなり全日本でもOKなんですよ」と言ってくれた方がサッパリとしてすがすがしいのではあるが・・・(賛否はともかく)。

さらにラリー開始前の日記にて、やはり国沢氏はラリー初挑戦としては破格の好条件で参戦できたことが分かる。
いよいよ今週の土曜日はハイランドマスターズであります。一昨日、最後のチェックでボンネットを開けると競技用のバッテリーになっていた。小型軽量タイプながら当然高価。STIにクルマを引き取りに行く際「バッテリーが上がっていたので交換しておきましたからね〜」。何だか魂に響いてしまいました。キャロッセでも作業してもらった後、工場長に料金を聞くと「この車を作ったときの予算で間に合いますよ。炭山の仕事で高いお金なんて取れません」。そんなことない。とっても丁寧にやってくれました。皆さんの親切に答えるためにも、ラリーというモータースポーツをいろんな人に理解していただけるよう、頑張りたいと思う。

(kunisawa.netより引用)
つまり、この車はキャロッセの製作・整備で、しかも製作にはかなりの金がかかっているようなのだ。もちろん「お金はいりません」というのは工場長のリップサービスの可能性が高い(というか個人的には100%そうだと思う)し、国沢氏もそれは分かっているとは思う。だがこの車は、少なくとも国沢氏が言う「ただロールバーを組んだだけ」という単純なものでもないということは読者も薄々と感じるのではないだろうか。なにしろこの車のロールバーは、国沢氏は「ただ組んだだけ」などと簡単に言うが、屋根を切って組み込んで、溶接をしないと装着できないほどの手間がかかるものなのだ。加えて言うならば、そのように装着されたロールバーは単なる安全部品ではなく、れっきとした車体の強固な補強材としての役目を果たす。ディーラーで買ったそのままの文字どおり「ノーマル」なインプレッサとは、戦闘力は雲泥の差となる。
まあ何はともあれラリーはスタートしたわけであるが、今回は国沢氏は前回のアルペンラリーとは違い慎重になったようで、ギャラリーを楽しませる目的などという言い訳(?)をして戦いを投げることも無く、無事に完走する。 だが、その成績はお世辞にもよいものではなかった。それは国沢氏もよく分かっていたようで、ラリー当日の日記はかなりトーンの低いものとなった。その日記を一部引用する。
そんなこんなで迎えたSS1! ここでコースアウトしたらオタンコでしょう。慎重に走ろうと決め、ブレーキングポイント早めにしてのグリップ走行作戦。菅野コ・ドラ、機嫌悪し。続くSS2は、デカい石ご〜ろごろ。レッキでバーストしたくらい。これまたグリップ走行に徹す。最近のWRC、主流はグリップ走行です。無事走ったものの、やっぱり菅野コ・ドラの機嫌悪い。SS1の再走であるSS3も同じペースで走り、サービスに戻る。ラリーの場合、SSを走っているときはタイムが解らないのだ。

 1回目のサービスでリザルト見たら、遅いの何の! いや「話しになってない」状態。こんなペースで走っていたら、何で全日本に出てるか解らない。SS1とSS3のギャラリーステージで見てた人、えらすんません!


(略)
 SS1は「お話しにならない」タイムだったけれど、最終SSで何とか全日本勢の背中が見えるタイムになりました。少し菅野コ・ドラも機嫌良くなったし。しかもクルマは無傷。乗って帰りましたから。次のラリーがどこになるか現時点じゃ決まってないけれど、1戦毎に速くなっていきたいと思う。もちろん目指すはWRC! ギャラリーに「運転代われ!」と言われないような走りをしますからご期待を! 2005年の参戦カレンダーは、もう少ししたら発表できると思います。

(kunisawa.netより引用)



上記のように、国沢氏は総合16位で見事完走を果たした。リタイアではなく完走したのであるからそれは立派であろう。しかし反面、その結果は冷酷なまでに優劣を表すことでもある。上記をみるかぎりにおいて、国沢氏はどうやらラリー中にかなり成長したらしいことが印象づけられるが、果たしてそうであったのだろうか。
それを各SSのクラス別タイムによって、ちょっと検証してみよう。

2004年ハイランドマスターズの各出場車のSSタイムを、全クラスを1つにまとめて順番に記した表を別に示す。国沢氏のゼッケンは9であり、表中は濃い桃色で示した。表の最下段には国沢氏のTOPからの1キロあたりの差を記した。薄い
がCクラス、薄いがBクラス、薄いがAクラス、薄いがオープンクラスである。

右端から2番目がトータルタイムによる順位を示している。これによると国沢氏はたしかに完走37台中総合16位で、これだけでみれば初挑戦としては立派なものである。

しかし、Cクラスということでみると完走20台中16位なのだ。

さらにはこのラリーにおいては、一部の区間は一部のクラスでキャンセルされているため、この値はすべてのクラスに共通する総合タイムではない。そこでAからCクラスのすべてが出走したSSだけの合計を出して、クラスを越えて総合的な順位表としてみたものが右端のTOTALである。すると国沢氏は29台中20位と、さらに順位が後退してしまう結果となってしまう。

具体的にまずSS1をみてみると、本人が「お話にならない」と述べている通り、TOPとは1キロあたり11秒差という大差がついていることが分かる。


モータースポーツに馴染みがない方はキロ11秒がいかに大差であるか、ピンとこない方もいるかもしれないのでちょっと補足しておこう。例えばこのSS1だが、コース全長は1.18km、トップはここを1分8秒4というタイムで走りきっている。コース長1180mであるから、この車の平均速度は1180/68.4=17.3m/s(約62km/h)である。国沢氏の平均速度は1180/82.5=14.3m/s(51.5km/h)であるから、TOPがゴールした時点では国沢氏は14.3x68.4=978.1m地点にいる。その差は、なんと202m!たかが全長1.2kmのコースで200m以上も差をつけられてしまっているのだ。しかも車両はほぼ互角という条件で、である(ご本人は否定するであろうが)。

これをサーキットにおきかえると、乱暴に言えば全長2400mのコースでは1周毎に400m差がついているため、6周走ると周回遅れとなってしまうという計算である。これでイメージがおわかりになるだろうか。余談であるが、 現在のWRCは、全長20km以上のコースでもコンマ数秒単位で争っているということもあわせて考えれば、これがどれほど問題外のタイム差なのか分かると思う。

そしてSS1でTOPとは11秒差であった国沢氏は最終SSではキロあたり8.2秒にまで縮まっている。3秒も縮めたのでこれは飛躍的進歩だと思うかもしれないが、よく見てみるとSS3〜SS6まででも国沢氏はTOPとはキロあたり7〜9秒差で、最終SSで飛躍的によくなったわけではないのである。
ではなぜSS1だけ遅かったのかといえば、不慣れなせいもあっただろうが、彼が積んでいた車載カメラの映像でその主原因は判明している。SSの終了前の予告旗をゴールと間違えて、そこでスローダウンしてしまっていたのである。迂闊といえば迂闊なミスといえるのだが、まあ、自業自得でもある。

次に、Cクラスのトップとの比較は国沢氏にとっても酷であろうので、ある特定のマシンに着目してタイムを見てみる。たとえばゼッケンNo.3に着目すると、SS1ではご覧のように国沢氏とのタイム差は大きいが、最終SSでは0.3秒にまで縮まっている。これは数字でみれば確かに「全日本勢の背中が見えた」と言っても、確かに間違いとは言えないかと思う。
もっとも、国沢氏に否定的な見方をすれば、このハイランドマスターズが全日本選手権の最終戦であったということも考慮すると、もしこの選手がポイント圏外であったとすれば、終盤になるにつれて積極的なアタックを避け、最後は実力を出さずにクルージングモードに入ったのだとも考えられる。もちろんそうかどうかはご本人に聞かなければわからないのだが・・・。

余談だが、このNo.3の選手が乗っていたのは、CP9A(ランサーエボリューション6)という最新型の国沢氏のインプレッサに比べると2世代前のマシンなのである。これは国沢氏よりも不利であろう点として1つ挙げられよう。なにしろ
国沢氏によれば、ランサーもインプレッサも世代が1つ変わると戦闘力が格段に向上するそうなので・・・(もちろんこれはちょっとした皮肉である)

閑話休題。それ以外の各SSでの他のCクラスの車両のタイムも見てみると、ほぼ全員が国沢氏よりもタイムがよい。SS3などで国沢氏よりもタイムが悪い者もいるが、次のSSは国沢氏はよりも遥かに速い。ということは、これらの方々はそのSSで何らかのトラブルが発生したゆえにタイムが悪かったと判断できる。

かように見るかぎりにおいて、
国沢氏は最終SSで飛躍的に進歩したというわけではなく、むしろSS1がひどすぎたため、以後のSSがそれよりよくなったので進歩したように見えるが、全体的にみれば最後までずっと同じように遅く(失礼)、ほんのちょっぴりだけ慣れた分速くはなったが、それはタイムに現れるようなものではなく単に気持ちとしてのものだった、とみる方が現実にあっているのではないかと思われる。

では、次に国沢氏とBクラス車両の選手を比較してみる。Bクラスは2000ccノンターボ4WDであり、2000ccターボ4WDであるCクラスよりも戦闘力は明らかに劣る。
しかし、
国沢氏はこのクラスの中位にもほぼすべてのSSで後塵を拝していることは一目瞭然なのである。

最後のAクラスは排気量1000cc以下の4WD。主なエントリはミラに代表される軽自動車の4WDや、無理矢理排気量を落として競技専用としたストーリア4WDである。このクラスはいわば全日本の登竜門であり、ここで優秀な成績をおさめてBクラス、Cクラスへステップアップ選手が多い。車両の絶対的な戦闘力は当然Bクラスよりも劣ると思われる。
国沢氏はいくつかのSSで、このAクラスのTOPであるNo.33よりもやや上のタイムとなっており、さすがに面目を保っているかのようだが、実はこれはAクラスの実力そのものを示したものではない可能性が高い。
というのは、2004年の全日本Aクラスでは2名の者が最後までチャンピオンを争っていたのだが、その両者のうち1名がSS2でリタイアしたのである。このラリーに参加していた他のAクラス参加者は、申し訳ないがチャンピオン争い圏外の者である。さすれば
残った1名は無理にアタックする必要もなく、完走してポイントさえ稼げればいいので鼻歌ドライブをすればよい。

実際、ご覧のようにAクラストップのNo.33ととCクラストップのタイム差は、SS1とそれ以外では大きく開きがある。ということは、
Aクラストップの実力はSS1にのみ現れているとみてよいだろう。そのSS1ではAクラスのトップと2位の選手は国沢氏よりも圧倒的に速い。排気量が国沢氏の車両の半分以下の車両で、である。

さらに言えば、SS1では国沢氏はインプレッサに乗りながら
ミラ(660ccターボ4WD)の後塵までをも拝しているのである。

これらから導き出せる結論は、自身を大きく見せたいであろう国沢氏にとっては意に沿わないものが出てきてしまう。国沢氏はCクラス車両に乗りながら、
全体にわたってタイム的にはせいぜい全日本のBクラス勢の中下位クラスにしか位置していなかったのだ。そして彼が最終SSで見た全日本Cクラス勢の背中と思ったそれは、何らかのトラブルを抱えたマシンばかりだったと思われるのである。 つまり彼は「お呼びではない」レベルであったのだ。


● 参戦効果はあったか?


齢40半ばを過ぎて新しいことにチャレンジするのは非常に勇気が必要である。この点については、国沢氏は素直に評価されるべきであろう。 だが、そのチャレンジが周囲に迷惑をかけてしまうものであってはならないはずだ。ハイランドマスターズでの国沢氏のリザルトを見る限り、
彼は全日本の登竜門にも遥かに及ばないレベルの実力でしかないようにしか見えない(もちろんこれはまったく恥じることではない。誰しも最初はヘタクソなのだ)。

しかし彼はあくまでトップカテゴリにこだわっている。地方選手権で腕を磨こうとも、 クラスAやVitsチャレンジ等のエントリクラスで気軽にやろうともしない。それは恐らく20年間も自動車業界でやってきたプライドが邪魔をするのであろう。彼のこのプライドはkunisawa.netでも彼の発言を束縛してきた。そして実際の生活においても彼を大いにしばりつけているようである。

トップカテゴリに至るまでに、下位カテゴリから地道に努力をせず、外の力を借りていきなり参加する行為自体は必ずしも「悪い」とは言えまい。有力者の助力を得られるのも、見方をかえればそれは彼の実力の1つでもあるからだ。実際そのような事情で、実力には疑問符がつきながら代表選手に推挙された方はモータースポーツに留まらず、どこの分野にもいる。

しかしそのような場合、自身の立場と役割は明確であるので、自身を代表に推挙してくれた方の期待に沿うための行動をとるべきであろう。その目的の多くはやはり「客寄せ」や「話題作り」であろうから、できるだけ目立つこと、メディアに露出すること、そしてあわよくば結果を残すことが、彼らの使命となるのではあるまいか。
では、その点において国沢氏は一体どうだったのであろうか。

国沢氏のハイランドマスターズ参戦のレポートは、確かに国沢氏が寄稿している雑誌に掲載された。その点をもって話題作りは成功したともいえるかもしれない。
が、しかし、2ちゃんねるが国沢氏に対して冷ややかなのは当たり前としても、他のラリーファンのサイトにおいても好意的な話題はみられず、またラリーやモータースポーツ誌のWebサイトでも、紙媒体でも、まったくと言ってもいいほど扱いがなかった。そして前回のアルペンラリーのようにTV放映されることもなかった(この時はG+がスポンサーであったせいもあるが、宣伝効果として一定の成果はあったものと思われる)。つまり、この件を話題にしていたのは、国沢氏本人のみといってもいい状態だったのである。

もっとも、ラリー&モータースポーツ界において、全日本のトップラリーストよりも国沢氏の知名度が高いかというと、決してそうとは言えないであろう(国沢氏には悪いがこれが現実であろう)から、これは当たり前といえば、当たり前であるかもしれない。

もっといやらしい見方をすれば、易々とマシンを手にいれた国沢氏を妬んで村八分状態のいじめをしたのか?、という考えもできるのだが、さすがにそこまで周囲(というか日本のラリー界)が悪意に満ちているとも思えない(というか思いたくもない)から、常識的に考えれば「話題とするに値しない」と思われたと判断するのが妥当であろうか。

もっとも、そちらとしても国沢氏にとっては面白くないことなのかもしれないが・・・。

● 画竜点睛を欠く

このようにお世辞にもよいとは言えない成績と、効果があったかどうか分からない結果となってしまった国沢氏であるが、何度も書くように実質初参戦のようなものだから、それは川の水が上流から下流へ流れていくほど当たり前のことであろう。その結果は結果として実力のほどを知った上で、これからどうするかを考えればよい。むしろ前回のアルペンのように勝負を捨てておちゃらけた結果としてのような(失礼)事故もなく、今回は遅いなりにも完走したのであるから、そのことは前回から一歩前進したこととして、素直に評価すべきことなのであろう。

しかし、そのプラス評価をすることにはやぶさかではないものの、筆者は一読者として、歯の隙間に挟まったスルメのように微妙に気になる点がいくつかあるのだ。まずは以下引用の赤文字箇所である。




ただ困ったことに初めて作ったグラベルのペースノートがイマイチ。ターマックなら割と正確にコーナーを評価できたのだけれど、グラベルは若干イメージが違う。『2』の評価したのに『3』だったり、『4』だと思ってたら『3』だったり。危ないぞおい! さらに夜なのでコーナーの先も見えません。これだけ”初めて”と”悪条件”が重なると、やはりフルアタックなど不可能。何度も書く通り、今回は実績作り。コースアウトしたら何の意味もない。それにWRCならレグ1の午前中の距離。1歩づつ行きましょう!

(kunisawa.netより引用)
これは3-1で触れている「半分食うのが精一杯」と同じで、「まあ、そうかもしれんけど、不利だったのは貴方だけなんですか?」と言いたくなるような文章なのである。いや、むしろ、「(誰かが)即出場可能な車を貸してくれた」わけだから、普通に考えればこれだけでも非常に幸運であるし、さらには夜というのは皆同じ条件である。また後に引用しているように、トップクラスの選手でも何人もトラブルが発生していて、奴田原選手などは補助ライトの故障という事態に陥ったのである。しかしその誰も、そのトラブルを成績不振の言い訳などしていないように見える。しかも奴田原氏はその条件でありながら国沢氏よりもタイムがいいのだ。これでは上の国沢氏の言い訳も完全に霞んでしまう。

さらには国沢氏はこのような文章も書いてある。
 お昼前に表彰式が終了。帰路に付く。今回25年前からの夢が1つかないました。この仕事を始めた頃、徳大寺さんから「昔は家から乗っていき、しっかりした格式のあるモータースポーツイベントに参加し、乗って帰ってこられたクルマがあった。そして普段はスポーツカーとして乗る。だから後輪駆動時代のフェラーリとかポルシェがクルマ好きの間で高く評価されたんだよ」。これを聞いたとき「そんなクルマに乗れたらどんなのに楽しいことだろう!」。
以来、私にとって”スポーツカー”の理想像だったのだ。帰り道の中央道を走りながら、少しづつ実感湧いてきました。ここ数日抱いてきた楽しさの理由は、ここにあったのね! ホントにめちゃくちゃ楽しいです! 
なにしろノーマル車両にロールバーを組み、市販のダンパーとアンダーガード、LSDを入れただけ。ボディの補強さえしておらず、内張もそのまま。車両重量計ったらノーマルより30kgも重い1450kgあったほど。
なのにウデさえあれば、全日本クラスで中位に入れる速さを持つ。それでいて2時間にわたる事故渋滞を含め、高山から6時間掛かって自走してきても何らストレス無し。ラリードライバーとしての国沢光宏はシオシオのパーなれど、クルマ好きの国沢光宏の気分は雲一つ無い晴天であります。ラリーという競技にもクルマにも敬意の念で一杯です。ヘタクソ運転手のコ・ドラをやってくれた菅野総一郎さん、ありがとう!

(kunisawa.netより引用)
全体としては謙遜と感謝にみちあふれているものの、だがそれゆえに、筆者は上記の赤文字部分が文章の流れとして微妙に不自然と感じるのだ。この場合は「だが、これだけで全日本ラリーにも参戦できる十分な戦闘力のある競技車両、すなわち戦うクルマとなるのだ」などというように書けばよかったのではないだろうか。なぜ「腕さえあれば」などという文言を入れる必要があったのであろうか。これは「国沢氏はウデがあるからこのようなクルマでも全日本の中位なのだ」というミスリードを誘いかねない表現なのである。 というのは、もう一度表を見ていただきたい。全クラスをあわせた総合タイムでは国沢氏は37台中16位であるから、まさに中位に位置しているのである。これは上にも書いたように、クラスによってはキャンセルされたSSもあるからであって、本来この総合タイムはクラスが違えば参考にもならないものなのだ。しかし、全クラスをあわせた公式な総合成績では、国沢氏は「中位」なのだ。

その前の「全日本の背中が見えた」といい、ここで挙げた表現といい、やはり国沢氏はどうにかして自分を大きく立派に見せたいという本能に抗しきれないのかな、と思ってしまう。
もっとも誰しもそのような気持ちになることはあるはずであろうし、また「全日本の背中が見えた」発言は、自身のモチベーションを高めたかったのであろうし、今後の国沢氏がとるであろう行動について、どうにか理解を求めようとするアピールでもあろう。それはそれで(事実とは違っていたとしても)、理にはかなっていることであるので、本来この程度の内容は当コンテンツで扱うべきでもない、小失敗としてカウントするにも値しないような、本当に本当に些細なことなのではあるが、しかし、やはり身についた性格というものはなかなか直らないのかな、とも思って筆者は少し悲しい思いがするような、反面、彼はやっぱり変わらないのだな、と奇妙だが安堵にも似たほほえましく思えるような感情もまた湧いてしまう、国沢氏の全日本ラリー参戦記であった。

● そして・・・2005年へ

このハイランドマスターズで、自身の実力が全日本レベルに達してはいないと思い知らされたはずの国沢氏は、次のステップとして、なぜか更に上位を目指すことになる。これはあまりに性急であるが、とある目的 -2005年のWRCジャパン参戦- のためには、やり方はともかくとしてもなるほどそれは確実な方法であるとも思われるものであった。

しかし、その「黄昏野郎が誰しも思っていたであろう、国沢氏の目的」はともかくとして、国沢氏の次のステップには、
およそ誰も考えつかなかった、とんでもなく荒唐無稽ないちゃもんがついてしまうことになる。

それは、次の節で触れることとして、蛇足ながらWEB上にみられた2004年ハイランドマスターズのレポートをいくつか引用してこの節を終わりとしたい。
SS1を綾部美津雄につぐ3番手のタイムをマークするなど好調なスタートを切った勝田。しかし台風の影響によって路面が荒れ、勝田は次のSS2ではたまらずタイヤバーストを喫してしまう。しかし、チャンピオンを賭けた最終戦とあって踏ん張り、ラス前のSS6でセカンドベストをマークしてトップ田口につぐ2番手に浮上。最終のSS7を前に7秒差にまで迫った。こうしてシリーズを賭けた最終最後のバトルがスタートした。が、好事魔多し。勝田はスタート早々にタイヤバーストに見舞われて大きくタイムロス。そのまま走りきったが、残念ながらポジションを落し5位入賞にとどまった。結果、4位となった奴田原がチャンピオンとなり、今回優勝した田口がシリーズ2位に浮上。期待された勝田は3位で04年シーズンを終えた。

SUBARUモータースポーツ2004より
昨年は初のベストタイム獲得、リタイヤするまでは6位を走行していた堀田。
今回も期待がかかるがバーストで後退、残念な最下位フィニッシュとなった。


TEINより引用
ラリーが始まると、序盤の勝負どころであった距離の長いSS2がキャンセルとなり、延長1kmほどのショートSSで鎬を削り合う展開に。
そんな中、前週にフランスで開催されたツール・ド・コルスでの5位入賞で勢いを増している奴田原選手は、トップで折り返してナイトセクションに備えた。
 
ところがナイトセクションに入ると、奴田原選手のマシンのヘッドライトにトラブルが発生。
運悪く、18kmと今回のラリーで最長のSSだったがために、ここで52秒もの手痛いタイムロスを喫してしまう。


ADVANより引用
また、AクラスはBRIGブレーキパッドを装着するダイハツワークスの2台、平塚選手と小野寺選手の戦いとなりました。しかしこの戦いは序盤であっけない幕切れ。小野寺選手がSS2でミッショントラブルによりリタイヤし、平塚選手は2位に5分以上の差をつけて優勝。この結果、平塚選手のシリーズチャンピオンが決定しました。

BRIGより引用
’04全日本ラリー選手権4輪駆動部門第6戦(最終戦)の「第32回M.C.S.

C.ラリーハイランドマスターズ2004」が、10月23日(土)〜24日(日)

に岐阜県の大野郡宮村「飛騨位山スノーパーク」を拠点に開催された。昨年JAFの国内競技規則/車両規則が大幅に見直され、国際交流を視野に入れてFIAグループN仕様に合致させる方向で改造範囲が変更された同選手権は、今季全8戦がカレンダー登録されていたが、2戦がキャンセルされたため、全6戦で戦われた。今大会には選手権対象外のオープンクラスを含む4クラスに合計45台の参加があり、三菱車はCクラス24台中16台のランサー、Bクラス7台中4台のランサー/ミラージュがエントリーして両クラスの過半数を占めた。また、オープンクラスにも9台中4台のランサーがエントリーした。SSはオールグラベルで、林道3箇所を使い、再走、逆走を交えて合計7本を設定。全開の台風23号によりSSの路肩が一部陥落する事態が発生、主催者の懸命の復旧努力により無事開催にこぎつけた。当日の天候は晴れ〜曇りで基本的に路面はドライだったが、山間部には水がしみだすなど、競技にも微妙に影響した。

Cクラスではディフェンディングチャンピオンでポイントリーダーの奴田原文雄選手が、前週開催のプロダクションカー世界ラリー選手権(PWRC)第6戦ラリー・フランス/ツール・ド・コルス初出場で5位入賞の疲れも見せず、三菱ランサーエボリューションVIIIを駆って快走。SS1からコースアウト車両発生でキャンセルされたSS2をはさんでSS3でも連続トップタイムを記録して首位を堅持した。ところがナイトステージのSS4で、ライトのアッパービームが点灯しないトラブルに見舞われた奴田原選手は9位まで後退。しかし修理後、そこから気迫の走りで続くSS5、SS6と連続トップタイムを奪取すると自力タイトル確定条件の5位に浮上した。さらに最終のSS7でもトップタイムを記録。唯一逆転の可能性を持っていた勝田範彦選手(スバル・インプレッサ)がタイヤバーストで遅れて2位から5位へと後退したため、奴田原選手は4位でゴール。見事、圧倒的な3年連続Cクラスチャンピオンを確定*した。今回のタイトルはCクラスでは99、00、02、03年に次ぐ5度目。95年のBクラスを含めると実に6度目の栄冠となる。なお、ラリーはSS4で首位に浮上した田口幸宏選手(CMSC埼玉・三菱ランサー)がそのまま逃げ切り、97年のCクラス参戦以来8シーズン目にしてうれしい初優勝を獲得。これに石田雅之選手が続いて三菱ランサーエボリューションのワン・ツー・フィニッシュとなった。田口選手はポイントランキングでも勝田選手を逆転して2位を確定*した。

一方Bクラスでは、
既にチャンピオンを確定*した原口真選手(スバル・インプレッサ)が欠場する中、序盤から田中伸幸選手(CMSC道北・三菱ランサー)と大嶋治夫選手(スバル・インプレッサ)の一騎打ちとなり、SS4のトップタイム獲得で再逆転首位に立った田中選手がそのまま逃げきって優勝を果たした。

国内モータースポーツニュースより
この時点でSS5まででトップの石田正史選手がトラブルの為リタイヤした為、5番手なった。
 しかし、トラブル?は自分にも降りかかってきた(自滅)。SS6青谷スタート後1.5km地点でペースノートで言うと左3ロングのコーナー(ヘアピンよりもゆるいコーナー)の立ち上がりで、イン側の側溝に引っかかりスピンしかもバーストさせてしまい残り距離もまだ4km以上あったので、
安全の為SS中に交換して、6分ぐらいロスしてしまいました。
悔やんでも仕方ないが、バーストしたイン側の側溝は気になっていなく、その次のコーナーを見ていたので一瞬なぜスピンしたか分からなかった。レッキ中に走りのイメージ不足で作り間違えた為、この様なことになったと反省している。次回に活かしたいと感じた。当然SS中にタイヤ交換したことで、順位はビリ近くまで落ちたが、最終SS7八本原の逆走を、来年に繋がる走りがしたかった為、思いっきり走った、何度かコースアウトしかけたが、あの走りで無駄を削って走ればタイムが出るかと感じた。

 余り書きたくないがこうして最終戦ハイランドはクラス17位で終わった。

炭山裕矢 全日本選手権最終戦ハイランドマスターズ2004参戦記より引用
2005.12.10 基本草案作成
2007.04.09 大幅加筆訂正、β版作成
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