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あとがき 


● 失敗の本質

1章から5(6)章まで、kunisawa.netにおける数多くの小失敗を考察してきた。これらの失敗の1つ1つはどのWEBページでもあり得ることであって、読者諸氏の参考にもなるのではないかと筆者は思っている。しかし、ただ1つのWEBページでこれほどまでに多くの失敗のケースが見られてしまうというのはきわめて珍しい。

その原因を考えてみようとすると、何か根本的なところが間違っているのではないか、という考察に入らざるをえない。それがkunisawa.netの失敗の本質なのだ。

ここでいま一度、本ページのきっかけとなった「日本軍の小失敗の研究」の話題をさせて頂きたい。この著作の前書きには日本軍の失敗の本質が書かれている。その箇所を引用する。

「「日本軍の失敗の本質は、人口で2倍、生産力では10ないし50倍というアメリカおよびイギリスに、全面戦争を挑んだこと」がすべてなのであって、他のいかなる理由も枝葉末節にすぎない」
(「日本軍の小失敗の研究」より引用)

そして、中を読み進めていくと日本軍がいかに様々なミスをしているかが分かる。そのうちのいくつかを挙げる

1:情報の収集・分析の不足 
2:派手さを好み地道・地味な作業を軽視
3:旧態依然として頭が硬く、柔軟な発想ができない
4:のどもと過ぎて熱さを忘れる
5:専門家を絶対視し、素人などの意見を広く聞かない
6:異論、反論を許さない風潮
7:(自分に都合がいいような)責任追求はするが原因調査はしない

これらを総括して考えると、日本軍の失敗の根底には、これまでに各種文献でも何度も言われているように「身の程をわきまえない極端な思いあがり」があったのだ、と言わざるをえない。

1〜6章までに挙げたkunisawa.netでの出来事についていま一度考えてみると、kunisawa.netの小失敗は上記の日本軍のミスの多くに恐ろしいほど一致することがお分かりだろうか。

これが一体どういうことかは、もはや筆者が述べるまでもないだろうが、上記の日本軍の失敗の本質になぞらえて書くと、

「kunisawa.netの失敗の本質は、不特定多数かつ様々な思想の人物(専門家も含む)がいるInternet上で、きわめて独善的にふるまってしまったこと」であって、この本質の前には1〜6章の考察は枝葉末節と化してしまうのだ。

ということになってしまうのではないだろうか。

筆者が、この考察ページを作るにあたり、「日本軍の小失敗の研究」を参考にさせて頂き、かつタイトルまで拝借させていただいたのは、国沢氏はまさに旧日本軍がおかしていた過ちそのものをおかしているかのように見えるためである。


● 自分に合ったページとは何か



話題をがらりと変えて、成功するWEBページはどういうものかについて考察してみよう。

非常におおまかに見てみると、個人で開設したWEBページの特徴は以下のようになる。
情報重視 楽しみ重視
情報の内容密度 高い <−−−−−> 低い
1回の更新における情報追加量 比較的多い <−−−−−> 少ない
マニア度 高い <−−−−−> 低い
開設者の目立ちたがり指数 低い <−−−−−> 高い
おふざけ度 低い <−−−−−> 高い
用途 有用な情報源   暇つぶし
左側はごく一般的な、有用な情報を掲載したページである。しかしメジャー分野であれば競争は激しく、差別化が難しい。他方、右にいくほど「自己満足的なイケイケページ」となってくる。この中の一部が「勢いだけで理屈無しに面白い」と認識されるエンターテイメント的暇つぶしページに化ける。情報ページにしろ暇つぶしページにせよ、成功するには容易ではないのは同じである。

さて、読者諸氏はもうお気づきの方も多いと思うが、これまでの考察で露呈してしまったのは、国沢氏の「精神的な未熟さ」である。いきなりで恐縮だが、警察庁内の暴走族防止対策についてのページから、暴走族に入りやすい子供の特徴についての箇所を引用する。
○ 資質面について

・ 極めて未熟なまま、社会化されないまま増長し続けている。

昔は、家庭で社会に出たらどうするかを、ごく自然に親が教育していた。これが、社会化ということである。こういった働きかけがない、全くない家庭も現実にある。この結果、家庭と学校・社会との区別、けじめがなくなり、「家庭から出たらしてはいけない。」ことを学校や社会でしてしまう。
家庭の中で、甘やかされて庇護されている子どもたちは、必要とされる規制が加えられないまま成長し、社会に出ても欲求本位の行動に走る。自己のコントロールができないまま思春期を迎えた結果である。

・ このような、
自己中心的な自分の思いどおりにしたいという気持ちが強いことから、自分の思いどおりにならないと今度は、周りの大人や社会が悪いという捉え方になり、悪いことをした自分が悪いという意識が生じにくくなっている。理屈では悪いことは、悪いと解っている。例えば、万引きは悪いと答える。しかし、ばれなければいい、捕まらなければいい、とも思っており、この意識が非行を更に助長している。最近の子どもは、しっぽを掴まなければなかなか白状しない。
覚せい剤使用の少年が逮捕され覚せい剤反応もでているのに、本人はあくまで「していない」と言い張る例もある。
もう逃げられないという状況まで追いつめられないと白状しない、認めない、という規範意識の薄さ、社会常識とのズレがある。

一方で彼らは、社会に出ると自分の力不足ということを感じるようになる。元々、小さい頃から精神的に強さが備わるような育ち方をしていないし、どう克服してよいかもわからないので現実を見ないようにする、又は、意識しないですむような自分と同じような人ばかりいて、あたりさわりがないつき合いができるグループが、彼らにとって居心地の良い場になる。(逆に、これ以外に居場所がないという捉え方もある。)先を見ることを避けながら、その場限りのせつな的、遊興志向の行動を取ってしまう。

警察庁 安全・快適な交通の確保:「暴走族への加入防止等施策検討懇談会」第3回議事録より引用
国沢氏の「自分は決して悪くない」という考え、公権力への過剰な攻撃反応、判断力の欠如(場をわきまえない)、反対意見への過剰な反応、イエスマンの取り込み・・・。これらはまさに「現代社会において非行に走る若者の傾向」として各所に記述されていることである。

普通の大人でも、このような未熟な傾向が残っている人はいるし、誰でもふとしかはずみでこのような面が出ることはある。
だが国沢氏のそれはあまりに顕著に出すぎている。いうなれば国沢氏は「精神的に思春期のままで止まってしまった大人」であり、深夜のファミレスでクルマ談義をしているような20歳前後の斜に構えたドリフト族やルーレット族(またはその予備軍)の意識のままなのではあるまいか。言葉を変えれば、根っからの「ヤンチャ親父」「不良中年」なのである。

それ以前に、国沢氏が原稿を寄稿している雑誌、および記事の文体をみれば、
国沢氏の原稿は「車好きの10代〜20代前半」がメインターゲットであることは明らかなのだが。

以上のことより、国沢氏の存在意義は「不安定な思春期の若者にクルマの楽しさを伝える、(自分たちの気持ちが分かり)話のわかるヤンチャな中年オヤジ」である、とは言えないだろうか。

誤解なきよう言っておくが、このような人物は珍しいが、それゆえに必要とされる場面があるのではないか、と筆者は考えている。

ヤンチャ親父がジャーナリストや評論家に向いているかどうか?といった個人の職業的な資質をここで問うことはしない。だがWEBページは自分自信が強くあらわれる情報発信媒体である。「自分はどういう人間であるか」という客観的自己認識は、もしWEBページで成功を得たいのであれば絶対に必要である。さらに他との差別化のために、その
自己の特徴が存分に発揮できるような環境を自ら作ることも大切である。

ここまで認識できれば、国沢氏にあったページはどのようなものかおぼろげながら全貌が見えてはこないだろうか。
「情報主体の堅いページ」ではなく、「理屈は不明だが楽しい、アウトロー的なページ」を目指すべきであったのだ。

国沢氏のページにおける失敗の最初は、この構想段階での自分の客観的分析不足である。多くの失敗したWEBページ管理者にありがちなのは「WEBページを開く自分は凄い、偉い」という選民思想的勘違いである。この考えでは同種のページに埋没するだけだ。

「自分が作ることができ、自分の特徴が発揮できる最高の事柄は何か」をまず考えることが、WEBページの製作においては、最も曖昧に考えられがちだが実は最も重要なことなのである。

● 特徴を活かす

さて、ここからはまったくのお節介であるが、kunisawa.netで発生している数々の小失敗を減少させるために、最初からとるべきであった方策を考察してみよう。

まず、あらためて国沢氏の持ち味を挙げる。
  • 思春期世代の話がわかるヤンチャ親父である
  • 享楽主義であり、興味があることにはすぐ飛びつく
  • 思った事はすぐに口にしてしまうタイプである
  • 誉め言葉にも批判にも弱い
  • ディベートは大の苦手である
こういうタイプは結構いることは多くの人が経験して知っているかとは思うが(苦笑)、このような人物の扱い方としては、「ここからここまで、という範囲を決めてその中では徹底的におだててやる気にさせる」と驚異的な実力を発揮するのだ。上司が制御できずに最後には退社してしまうパターンも多いのだが、締めつけるよりもある程度は自由にやらせる方がよい結果になる。 この考えをWEBページに応用すればよい。その「ヤンチャぶり」(というか、未熟さ)を発揮できるよう、自身の特徴を正当化してしまうのだ。

● 身勝手を正当化する方法

その方法の1つは、ごく一般的にみられるように、「このページは自分の好き勝手なことを書くところである」と宣言してしまうことである。

こう宣言すれば、読者の一部には「なに様だおまえ!?」という反応は当然おこるが、「独善で運営するページです」と宣言して独裁をするのと、「常識と良識にあふれたページです」と書いて独裁をするのでは、雲泥の違いがある。この1文だけでもツッコミをうける頻度はかなり減少するはずである。
この手法は国沢氏の同業の小沢コージ氏がとり入れている。小沢氏のページの冒頭にはこのように書かれている。
文章「ノリ」だけ!文句あっか!

このページは俺様、新進気鋭のエンターテイメント系モータージャーナリスト、小沢コージの勝手なる戯言である。
多忙がゆえに「てにをは」いい加減でヨロシク!

(「バラエティ自動車評論家 小沢コージでDON!」より引用)
小沢氏のページと国沢氏のページの内容を比較したら、さほど大きな違いがあるというわけでもないし、小沢氏のほうが口調が乱暴であったりもする。しかし、さほどの批判も起きないのは、掲示板がないこともあるがこの冒頭の一文の効果によるところが大きいと思われる。

● 私は国沢ではなくカニ沢です

更に踏み込んだ方法は、WEB上に
仮想人格を作ってしまい、その人物に好き勝手にやらせることである。

これは読者にとっては子供騙し以外のなにものでもないが、本人にとっては以下の2つの絶大な効果がある。
  1. 雑誌に掲載している内容とWEBの内容はそれぞれ独立したものである、という住み分けが行える。そのため雑誌記事の批判に対して「それは当WEBとは関係ないので編集部へどうぞ」ということが堂々と言える。雑誌記事専用の意見箱(メイルのみ)も作っておけばベターである
  2. 所詮はWEBでは主人格ではない、という割りきりができるため、WEB上での批判に対しての耐性が、そうではない場合に比べ比較にならないほど向上する。いくら謝っても、謝るのは自分ではなく別人格であって自分は痛まない、と発想を切り替えることが可能であるためである
つまり、ヨタ話 & クレーム担当者である。

実は国沢氏は仮想人物をでっちあげることを既にやっている。そう、蟹を食べる時に変身するという、
カニ沢である。ごく一般の読解力があれば、これが完全に「おふざけ」であることが理解できるはずであろう。

そして、欲望に溢れたり、我侭であったりする話題は、この本能の権化たるカニ沢の人格にでっちあげて書いてしまうのである。(当然、「このページではカニ沢という無責任な別人格がたまに暴れることがあるので注意して欲しい」と書いておくことは忘れてはならない)

この無責任な人物にクレーム対応もやらせると、なにしろ無責任人格であるから、ふざけて謝ることができる。例えば
いや、スマンでした。国沢はよく調べずに書いたようですね。よーく言ってきかせておきますのでご勘弁を。
(カニ沢)
というような返答も書けてしまう。また、
「アタマには脳ミソじゃなくてカニミソが詰まってるものでバカです」
「カニだけについ試乗ではカニ走りしてしまう」
「指が2本しかないので不器用でキーをよく打ち間違える」
「参った。カニだけにアワ吹きました」
「ワタシには殻だけで芯はございません」
などという返答も可能である。

真面目な方は「誠意が感じられない」と怒るかもしれないが、恐らく多くの方は「場を柔らかくするためにこういう表現をしているのではないか」と少しは感じるはずで、そしてこれが続くと、それは1つのやり方として読者は受け入れるようになる。少なくとも、批判に対し罵倒を返したり、コソコソと修正するよりも遥かにマシである。

このように、国沢氏の特性を活かし、かつ多くのトラブルを未然に回避するためには、ほんの少し工夫するだけでよかったはずなのだ。

以上が、国沢氏のページに見る、「自分を客観的に見ることができなかっ」たがための失敗の本質であり、本章に書かれたことが、誰にでも起きるかもしれないWEBでの小失敗の数々である。
もし読者諸氏が今後WEBページを作る場合は、このページに書かれたことを少しでも思い出して欲しい。そして、「自分はWEBで何を一番したいのか。またどのようなページが自分に向いているか」を、最も時間をかけて考えて欲しいのである。

最後に、このページを作るために、2ちゃんねるの方々や、かつてのkunisawa.netの参加者の方々のお力を大いに頂いたことに感謝したい。また、当ページの方針について、または当ページを見て不快に感じた方には心よりお詫び申し上げる。

そして、筆者も大いに勉強させられた書である「日本軍の小失敗の研究」の著者、三野正洋氏に謝意を示し、最後に同書からもう一度、含蓄ある言葉を引用してペンを置くこととしたい。

「敗者の側にこそ教訓は多く残っている」(「日本軍の小失敗の研究」のまえがきより引用)
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(1−0版 2003.10.05)