4-3  A級戦犯 -特攻隊の英霊の前で- (2001年8月)


[序文]

日本には、生半可な知識で参加すると痛い目にあう話題がある。被差別部落問題、在日韓国(朝鮮)人問題、戦争(責任)問題などである。
これらはいずれも「何がよくないか」ということに関してはほぼ明白な答えがある。しかし、その答えを出す解法は1つではなく、間に多くの定義・定理があり、その定義・定理のうち偏ったものだけ使っても解は出る。そしてこれらの問題は、解ではなく解法が重要であるため、そこで対立が起こっている。

深入りしなければ解は明白なのだから、解だけを言うのであればあまり波風は立たない。しかし一旦解法に足を踏み入れようものならよほど定理・定義を学んでおかないとなんとも無残に論破され、惨めな結果をさらすこととなる。
それが人権・生命に関る話題であれば、参加者はどうしても感情的に高ぶりやすい傾向がある。したがってこれらの問題を語るには、考えうるかぎりの慎重さと理性が求められるべきであろう。

正直なところ、筆者もまだこれらの問題を語れるほどの知識はなく、主義・主張も固まっていない。知るほどに深く、複雑な問題ということが分かる。自動車の評論という趣味性の強い分野であれば意見の違いは「好みの問題」と片付けられる場合も多いが、人権という人間の尊厳に関わる問題は、そういうわけにはいかないのだ。

[経緯]

● 終戦記念番組

国沢氏は −多くの人がそうかもしれないが− お盆が近づくと戦争の話題に触れたくなるようである。この時期は終戦特集番組も多いから、日記のネタとしてはどうしても触れざるをえないのかもしれないが。
そして2001年は小泉首相が公約していた「靖国神社公式参拝」問題があった。結局、小泉首相は8月15日ではなく13日に参拝し、周辺国の非難を避けると同時に国内の遺族の顔も立てようとした。しかし、どちらにとってもすっきりしない?形での決着となった。

その靖国参拝騒動の中、国沢氏は日記でこの問題に触れた。

8月6日

広島に原爆が落ちた日。広島や長崎に行くと、やはりこんな武器を一般市民に向けて使ったアメリカが嫌いになる。エノラゲイ号(広島に原爆落としたB29)や、原爆そのものを戦争終結の英雄のように扱うアメリカ人もいるようだけれど、やっぱり納得しがたい。中国や韓国の人にとってみれば、A級戦犯は原爆落としたヤツらと同じなんだと思う。今のアメリカを恨む気はないが、やっぱり心の痛手は抑える配慮をして欲しいです。首相の靖国参拝も、やっぱり心の配慮に欠けるような気がする。A級戦犯だけ分祀すればいいのだが、神道のしきたりたりからすれば一度合祀したA級戦犯(というかすでに神様)は分祀出来ない。ウチはワタシもヨメも偶然神道の家系で、そのくらい解る。でも神道のシキタリを持ち出すなら、宗教施設に公式参拝することになってしまう。ここはチカラずくで分祀するしかなかろう。一日原稿書き。


kunisawa.netより引用)
米国でヒロシマ・ナガサキへの原爆投下が英雄視されるのは、日本の靖国問題と同様、国内の退役軍人(政府に対する圧力を行使できる)へ配慮しているとも見ることができる。
国沢氏が「原爆=英雄」とされた経緯、その後の米国でのこの問題の取りあげられ方などをどの程度知っているかは存じあげないが、 彼の意見は「米国には原爆を英雄視する人がいる」という局部的事象だけを捉えて 話題を展開している感がある。
しかし、「相手に対する配慮」の大切さを訴えている点は同意できる部分もあり、1つの意見として納得できる内容である。

そして同じ頃、kunisawa.netの掲示板に戦争映画の感想が書き込まれた。それに対する国沢氏の返事は、特攻出撃で戦死した方やその遺族、そしてA級戦犯の遺族の方々への配慮に欠けている文章であったのである。
火垂るの墓 / TA [ Mail ]

奥さんと2人して大泣きしてしまいました。映画でこれだけ泣けたの
「野麦峠」以来で、主人公?の女の子が娘にだぶってしまい・・・
2度と戦争は、おこしてはならないと再認識いたしました。

Re: 火垂るの墓 / 国沢光宏

鹿児島県に知覧という場所があり、そこに特攻隊の資料館があります。それまで特攻機は零戦などだと思っていたのですが、驚いたことに足の引っ込まない旧式機が大半でした。速度も出ず、当時すでにレーダーを装備し、近接信管(目標物に近づいた時点で爆発するショットガンのような命中率高い弾)を使っていた米軍からすれば、たやすく落とせたことでしょう。大戦末期はほとんど特攻による米側の被害はありません。むろん命令を出す側は解っていたでしょう。A級戦犯は日本人にとってもA級戦犯だと思います

Re: 火垂るの墓 / TK

近接信管(VT信管)と、ショットガンでは、ずいぶんと仕組みが違います。

このあたりのことは、省略せずにきちんと説明して書かれた方が良いと思います。
愚かな戦争を2度と起こさないためにも。

Re: 火垂るの墓 / RR

国沢光宏様

細かいことで恐縮ですが、
>大戦末期はほとんど特攻による米側の被害はありません。
との記述は事実に反しているのでは無いでしょうか?

大戦末期とはいつからなのか?という見解の相違はあるかとは思いますが、 明らかに末期と思われる昭和20年5月27日には駆逐艦ドレクスラーが沖縄沖で特攻機により撃沈されています。他に大戦末期の沖縄戦で特攻機により損害を被った艦船は大型の物だけで正規空母1隻(バンカーヒル)、戦艦10隻(コロラド、ウエストバージニア、メリーランド、ミズーリ、カリフォルニア、テネシー、ミシシッピ、ニューメキシコ、ネヴァダ、ニューヨーク)と多くの艦船(駆逐艦や護衛空母も含めると100隻以上)が何らかの被害を受けています。

特攻を美化するつもりはまったくありません。ただ、この無意味な作戦に命を捧げた若者達の名誉のためにも、せめて事実関係を明らかにした記述をお願い致します。

Re: 火垂るの墓 / O1 [ Home ] [ Mail ]

毎回見るたびに大泣きしています。現代の子供(自分もですけど)には、是非とも見て欲しい映画です。アニメだから見やすい映画だし。この映画を見れば 戦争の悲惨さも少しは分かると思います。自分が親になったら子供には絶対見せたい映画のひとつです。

先生もKKさんも知覧にいらした事があるようですね。本当にあそこは1度は行ってもらいたい所です。僕はあそこに親戚らしい人を見つけたので他人事のようには思えません。子連れになったら連れて行かないと、と思いました。

Re: 火垂るの墓 / SI [ Home ] [ Mail ]

こんにちは。

私も去年、会社の旅行で知覧に行きました。
あの資料館に置いてある自由に書きこみが出来るノートに目を通したのですが、学生の方たちを初め、とても多くの方たちがこの戦争についての気持ちを真剣に書きこんであり、思わず涙がでました。
今度は会社の旅行ではなく、自分の足で直接訪れたいと思っております。

Re: 火垂るの墓 / LU

RR さん。

>特攻を美化するつもりはまったくありません。
>ただ、この無意味な作戦に命を捧げた若者達の名誉のためにも、
>せめて事実関係を明らかにした記述をお願い致します。

小説家の山岡氏は報道員時代に特攻志願したある中尉に
「何故、特攻にいくのか」と尋ねたそうです。答えはこうです。

「もちろん我々も簡単にこの戦争で勝てるとは思っていません。
しかし、負けたとしても、その後の日本はどうなりますか?
お解かりでしょう。我々の生命は後の講和条件、その後の日本人の
生命にもつながっていくのです」

そして彼らは懸命に戦い、その戦果はRRさんが書かれて
いる通りです。それをあたかも犬死のように書かれるのは確かに
問題だと思います。こういう方々の犠牲の上に私たちが平和を
享受できていることを考慮すれば自ずと言葉が変わるのですけど、

長々と失礼をしました。


http://archive.disk.ne.jp/keijiban/kunibbs_26.html より引用)
これらの問いかけに対する国沢氏の返答はない



[考察]

● 特攻隊の戦果

まず国沢氏が行った鹿児島の知覧は、旧日本陸軍の航空基地があった。そして戦争末期、1,500隻を越える大艦隊((!!)で沖縄に来襲した連合軍を阻止すべく、特攻隊がここから飛びたっていった。(「神風」のページの「知覧特攻平和会館」参照)

国沢氏が考える「戦争末期」がいつのことかは不明だが、沖縄戦が戦争末期であると仮定すると、掲示板での指摘でもあったが、「特攻による米軍の被害はほとんどない」という見解はまったく事実に即さないものである。
WEBで検索した他のページを参考にしてみることにする。
特攻による戦果によると、沖縄菊水作戦(1945.3〜1945.8)時の特攻機の出撃機数1900機、命中機数295機(15.5%)、撃沈33隻、損傷275隻、戦死者3,593名、戦傷者3,400名である。「日本軍の小失敗の研究」では撃沈26隻、損傷140隻余となっておりかなり差があるが、 いずれにせよ、「戦果がほとんどない」というのは事実に反することは分かる。 なお沖縄戦に投入した航空機は、総計で海軍8,200機、陸軍2,300機。この中には特攻機はもちろん、特攻機の護衛にあたったり、夜間の通常攻撃を実施した機なども含まれている。
15.5%という命中率は、練度の低いパイロットの爆弾命中率と比較すると遥かに高く、いくら冷徹に考えても生命を犠牲にした代償としての戦果は確かにあったといえるのではあるまいか。



更にレーダーとVT信管について。彼が指摘されたようにVT信管とショットガンはまるで違う。ショットガンは複数の小さな弾(時には数百発)を最初から放射状に撃ち出す構造で作られた銃自体のことである。発射直後から小さな弾を発射するため弾の運動エネルギーが不足し、射程距離は非常に短い。しかし比較的近くに細かい弾をばら撒く場合には有効である。

VT信管を説明するには、そもそも高射砲自体の説明からしなくてはならない。 従来の高射砲の弾も、弾自体が爆発して破片を巻き散らすような構造になっていた。ただし、その爆発のタイミングは弾を撃つ前に手動で時間調整しておかなくてはならなかった。
つまり高射砲で敵機を撃墜するには、飛んでいる飛行機を補足したら、高度と速度を算定して弾の時間調整をし、飛行機の未来位置に向けて、弾の破片が有効な範囲(数十メートル?)となるよう撃たなければならないという、とんでもない職人芸が要求されたのだ。
このため、高射砲は「敵機の進路を妨害する」という効果は非常にあるが、撃墜の効果はあまり望めないということになっていた。

これに対し、弾自体に小型のレーダーをつけ、目標付近で自動的に爆発するように改良されたのがVT信管付きの弾である。この弾は目標付近で爆発するので、命中精度が確実にあがる。しかし、もう1つ着目すべきは、弾の時限調整をする時間と手間も省略できるようになったということだ。仮に発射のために時限信管砲弾の場合10秒かかっていて、VT信管は5秒ですむとすれば、単位時間あたりの弾の発射量は実に2倍になる。 弾数が増えれば当たる可能性も高くなるのは当然である。

それとVT信管は確かに画期的技術であるが、その命中率はそれだけで戦局を左右するほどのものではない。当ページのタイトル元である「日本軍の小失敗の研究」の続編によれば、命中率はせいぜい0.6%なのだ。(これでも従来の対空砲の実に3倍という驚異的数字である)
軍事関係の書物によれば、特攻機阻止にもっとも効果的だったのは、艦隊外周にレーダーピケット艦を配備した早期警戒システム、そしてそのシステム下で適切に出撃できる防空戦闘機隊だったともいわれている。これらは日本軍の特攻機による攻撃への対策として整備されたものだ。

ちなみに当時の米国機動艦隊に300機の大編隊で通常攻撃をした場合、帰投できる機はせいぜい1〜2機、という旧日本海軍の研究結果もあったそうだ。それほどまでに当時の米国機動艦隊は強大無比であったのだ。特攻を正当化するつもりはないが、それ以外に、この機動部隊に対抗できる方法もなかったという意見を、筆者は頭ごなしに否定しがたいのである。

また、特攻機が死を恐れず突入することによる相手に対する心理効果は絶大なものがあった(中にはPTSDで本国へ帰還した兵士もいるらしい)、とは各種の資料で見られるし、そして以下のような沖縄の女性の談話もある。 特攻はいちがいに戦果のみでは語れないとは思われないだろうか?そして、その「戦果のみでは語れない」がゆえに、戦後60年近くたってなお特攻が語られるのではあるまいか。
(略)
その沖縄公演で、うれしい言葉をきいた。
当時、高女生であったというその女性は、「特攻隊の突入のおかげで救われました」という。

鉄の暴風と称われた米軍の間断ない艦砲射撃も、特攻突入のその時だけは、砲撃はすべて 特攻機に向けられる。
女学生たちは、その隙を狙って洞窟から飛びだし、いのちの水を汲みに走った。
「いまでも、特攻の人たちには感謝しています」
と、その老女は涙をにじませる。

沖縄まできて、よかった。
十八歳の敗戦のあの日から、五十年目の夏。
わたしの”戦後”は、まだ終わってはいないようだ。

(引用:「特攻隊員の命の声がきこえる」)


(沖縄の人々 より引用)

● 靖国とA級戦犯

続いて靖国の問題であるが、2ちゃんねるによると、A級戦犯の合祀問題はかなり奥が深いようであり、素人が首をつっこめるものでもないようだ。
今日たまたまラジオで公式参拝の話が出ていたので、神主でもあるうちの親父に聞いてみた。
その結果は
  • 神道のしきたりとして分祀できないということはない。
  • そもそも合祀したのは靖国神社の意志で行ったものである。
  • これは合祀前から議論されていた(ここ重要)のだが、
    松平某という宮司(あの松平家ね)の時に半ば強引に合祀してしまった。
ということであった。
ようするに、神道のしきたりということではなく、根はもっと深いところにあるのですよ。


過去ログ保管所@国沢親方より引用)
更にA級戦犯の話になると、東京裁判の合法性の問題にまで発展してしまい、とてもではないが少ない知識で軽々しく語れる問題ではなくなるのは言うまでもない。google等で「東京裁判」を検索してみられたら凄い数の情報が得られると思う。この件は筆者の知識ではとても語れない問題なので、言及は避ける。

加えて、特攻作戦の産みの親であり責任者は大西瀧治郎中将とされているが、このようなエピソードが残されているのを国沢氏は知っているのだろうか。知っていても死者に鞭打つのであれば止めはしないが。
昭和20年5月、大西は軍令部次長として内地に帰還した。官舎に独居して妻とは一緒に住まなかった。それを聞いた者が「週に一度は帰宅して奥さんの家庭料理を食べてはどうですか」と勧めた。大西は「君、家庭料理どころか、特攻隊員は家庭生活も知らないで死んでいったんだよ。614人もだ。俺と握手していったのが614人もいるんだよ」と答えた。大西の目には涙がいっぱい溜まっていたという。 大西には、最期には必ず自分も特攻隊員の後を追うという覚悟ができあがっていたのであろう。しかし、自らにそのような覚悟があるからといって、特攻が正当化されることはないということを彼は次のように語っていたようである。

「特攻は統率の外道である」
「わが声価は棺を覆うて定まらず、百年ののち、また知己なからんとす」

つまり、自分が死んで後その評価は百年経っても定まらない、誰も自分がやったことを理解しないだろうと語っていたのである。 大西は、敗戦の翌日未明、自らの命を絶つことによって責任をとった。


(大西瀧治郎中将 より引用)



大西は、「特攻隊生みの親」として、戦後「暴将」「愚将」の汚名を着せられたりもしている。「人間の声価は棺を覆うて定まるというが、自分のような者は、百年ののちも知己はないだろう」と予言していた。しかし、特攻は大西がマニラに着任する前から、海軍内で検討されてきており、様々な特攻兵器も開発され、大西が発案者ではない。しかし、武人・大西瀧治郎中将は、一切の責任を一身に負い、昭和20年8月16日未明、渋谷区南平台の軍令部次長官舎において、介錯なしで割腹自決をする

(http://www2b.biglobe.ne.jp/~yorozu/sub3-10.html より引用)


昭和20年 8月16日未明、軍令部次長:大西瀧治郎中将が渋谷南平台の官舎で自決した。かけつけた軍医に対して「生きるようにはしてくれるな」と言い、介錯も拒んで長く苦しんで死ぬことを望み、あふれる血の中で十数時間後に息絶えた。
(後略)

特殊奇襲兵器 より引用)
● 知覧での興味は戦闘機に


以上のことから、国沢氏はどうも特攻のみならず先の大戦に関する知識・情報が、それを語るには少々不足しているのではないかと感じる。 結論は当然ながら一般的なものである(戦争がよくない、など年端もいかぬ子供でも分かる)が、そこに至る過程で持ち出す事例の知識の関連づけがどうにも短絡的でかみ砕けていないのだ。

さて、ここで国沢氏の過日の日記を引用しよう。彼は、知覧の特攻記念館に行った時の感想を綴っていたのだ。

2001年2月1日
(略)
途中、ムカシ陸軍の飛行場あった知覧に寄った。ここにある『特攻記念館』に
世界で唯一の飛燕が展示されているのだ。割合軽い気分で行ったのだけれど、中に入ってみたら泣きながら展示物を見ているお年寄りが大勢おり、改めて戦争を考えさせられる。意外なことに京都にあった 疾風もここに引っ越していた。飛燕も疾風も初めて見たので感慨深い戦争の遺品など全て見切れなかったこともあり、今度はコドモを連れてこようと思う。試乗終了後、ANAで大阪に飛ぶ。打ち合わせの後、やや厳しい修行を行う。

kunisawa.netより引用)
この「飛燕」「疾風」については、あれそれこれ博覧会の帝国陸海軍残存兵器一覧、というページの中に載っている。

この日記によると、国沢氏は、どうやら特攻記念館には三式戦・飛燕と四式戦・疾風を見るのが主目的で行ったように見うけられる。

この記念館に旧日本軍機を見に来たという目的自体はまったく個人の自由なのでかまわないし、言わんや特攻の資料を全部見られなかったことを責めるべきではない。 が、遺品を全て見ていないということは、
特攻作戦の背景、特攻隊員の決意・心情、等に関しての関心は、飛行機ほどはなかったと判断せざるをえない(これもまた個人の自由)。ついでに言えば、その日の夜には大酒をくらってドンチャン騒ぎをやっているようだ(当然ながらこれまた・・・)。

おそらく、国沢氏は知覧に飛行機を見る目的で行ったので、特攻に固定脚の機体まで使われたことが最大の印象となったのではあるまいか。対して、
知覧の記念館に行った他の方は主に特攻隊の方々の心情的な面などについての感想に終始している。その資料館に行く目的が違うのだから、視点は違って当然である。

●結論は同じだが…

そもそも「火垂るの墓」は、市民(子供)の視点にて戦争の悲惨さを訴えかけている映画である。 そして、知覧に行った方なども、特攻に散った若人の遺品、手記、遺言などを通じて「戦争の悲惨さ、むごさ、やるせなさ」を主に感じている。これは戦争の資料を見た場合、まず最初に生じる感情であろう。 そしてここから「戦争はこういうことが起こるから、よくないんだな、しちゃいけないんだな」というムーブメントにつながる。

だが、国沢氏の書きこみからは「戦争を起こさないようにしよう」という視点があまり見られない。

彼は、知覧において「固定脚機が特攻に使われた」ということにかなり強い印象を受けたと思われる。 そして、若干飛行機のこと(と、軍事知識)を知っているから、「こんなものが戦果をあげるわけがない」という意識が生まれた。この2つがセットとなると、向かう先は「こりゃダメだ」→「こんなこと決めた奴が悪い」という発想である。

つまり、彼の書きこみは特攻について「兵器としての性能とその効果」という面でしか語っていないのだ。(実はその性能と効果についても間違った思いこみが元なのだが)

少し違う例で考えてみる。 昭和20年3月、B29の大編隊による東京大空襲で東京は焼け野原となり、10万人の市民が亡くなった。その資料館に行ったとしよう。兵器等にまったく知識のない方は、焼けただれた人の写真などを見て衝撃を受け、「うわ、戦争は悲惨だなあ」という感想になる。

しかし、
生半可に兵器や軍事に興味があったとすると、B29に対抗するレーダー等の防空体制、高射砲、高空を飛べる戦闘機が日本には不足していたことを知っている。そして、こういう人の中には、当時はレーダー技術者をも一兵卒として徴兵したということや、高々度戦闘機の開発の遅れを話題に出して「こういうことやってるから市民が犠牲になるんだ。A級戦犯は日本にとってもA級戦犯だ」と言う人もいるだろう。

国沢氏の発言はまさにこれなのである。 本来違う話題であるはずのものを、無理矢理割りこませてしまっているのだ。 これには、多分に自分の博学ぶりを(無知な人達に)示そうという意図が働いているのではあるまいか。おまけに、自分の博学を披露し、かつ絶対悪(当時の軍部)も批判して正義を気取れるので、2倍オイシイわけである。

しかし、一般に軍オタと呼ばれる人は兵器だけに興味があるわけではなく、戦略、戦術、兵器開発能力から資源、司令官の性格や組織に至るまで実に細かいところまで勉強している。このような人にとっては、国沢氏は九九を覚えたばかりで微分積分を語っている小学生のように映る。ましてや、特攻のみならずA級戦犯問題にまで言及するなど、相対性理論にまで発展しているようなものだ。
彼らが本気になれば国沢氏など赤子の手を捻るように容易く論破できてしまうはずだ。国沢氏は、自分の説があの程度の反論で済んだことを感謝しなくてはならない。

筆者の私見だが、日本国民の多くは「A級戦犯」を頂点とした絶対悪たる軍の存在により、大東亜戦争の罪の意識からまぬがれることができたのではあるまいか。だが、「あれは当時の軍が悪かった」「マスコミが悪かった」という、
単なる責任追求だけで終わっては、次の「A級戦犯」を阻止できはしない。「では何故軍は暴走したのか」「暴走を食い止めるにはどうすればいいか」を考えることが、未来のためには遥かに大切なのではないかと思う。

kunisawa.netの掲示板の方々のように「戦争は悲惨だ」という発想が「子供のためにも戦争はやめよう」となればよい。しかし「あれは軍が悪かった」というだけの国沢氏の発想では、何も生まれはしない。それこそ、正義の味方ゴッコにすぎないのではあるまいか。


● そして歴史は繰り返す

このように自分が少しだけ得た知識で戦争の全てを語ろうとする傾向は翌2002年の夏にも変わっていない。TVの特集だけを見て全てが分かったように書いてしまっている。1時間程度のTV番組だけの情報で全てを語れるほど戦争問題は簡単ではないのだ。原爆をなぜ日本に使用したかというのはかなり複雑な事情があるようだし、8月15日のNEWS STATIONの特集(南京虐殺?事件)などはかなり偏向した内容であったと筆者は思うのだが。

国沢氏には、もし今後も戦争について突っ込んで語りたいのであれば、
もっと歴史を勉強してからにして頂きたいと切に思う。このままいけば早晩立場を完全になくしてしまうだろう。ちなみに南京攻略は第二次世界大戦中ではない。これはどの教科書にも載っているはずである。また、ご興味ある方は通州事件や米国での日系人の扱い、満州引き上げ時の旧ソ連軍のふるまいなどについても調べてみられたい(五木寛之氏の「運命の足音」 [幻冬舎]など)。多極的な知識と情報を得るほど安易な発言はできなくなってくるはずである。

8月6日
今日も夕方まで韓国から来たお客さんのご案内。夜は天王洲アイルでマツダの新社長の懇親パーティに行く。何か御意見ありますか、と聞かれたので「昨年まで文句ばっかり書いてきましたが、今は何も言うべきことはありません。マツダファンのためにもこの調子でドンドン良いクルマを出して欲しいです」と答えました。早めに切り上げ帰宅し原稿書き。9時から広島に落とされた原爆を扱ったNHKスペシャルを真剣に見る。民放では難しい重くて辛く悲しいテーマながら、絶対忘れてはいけないと思う。こういった番組に接するとNHKの存在意義を改めて感じます。一緒に見ていたヨメは、泣きながら「悲惨な兵器を使ったアメリカが憎い! 白人の国だったら落とさなかったと思う」という。確かに人口密集地域に原爆を落とす国も悪い。でも罪のない子供を無理矢理戦争に巻き込み、酷い目に遭わせたのは日本の政府であり、その尻馬に乗っかって戦争をあおった新聞じゃなかろうか。改めてマツダと広島、そしてアメリカの企業であるフォードの関係を考える。
以前はフォードの強い存在感を意識したものの、今年になって日本人の勢いを実感するようになってきた。おそらく長い勢力争いがあったんだろう。戦争じゃなければ、どんなにモメたって笑える日が来ると思う。8月6日と9日は忘れてはいけない。

8月15日
敗戦の日。昭和20年の8月15日も暑い日だったそうだ。夜、ニュースステーションを見ていたら、第2次世界大戦で中国に出征した元日本陸軍兵士のインタビューが流れていた。
聞きしに勝る惨さである。強姦など当たり前。いや、強姦したのがバレると憲兵に捕まるからと、強姦した後、命乞いをする若い女性を銃殺したこともあったと言う。こういった話を当事者から聞くと、中国の怒りも当然に思う。日本は原爆を落とされた被害者であると同時に、許されるべきでない非道なことをやった加害者でもある。このあたり、隠さないで次世代に伝えるべきじゃなかろうか。教科書の偽善さや、第二次世界大戦を教えない学校教育が情けなくなります。こうなると中国産の農作物の危険さをキッチリ伝えることなどまで含め(ウチは絶対買わない)、マスコミが頑張らなければならない。終日原稿書き。

kunisawa.netより引用)
[結論]

実は既に結論は序言で書いてしまっているため、この項では再度結論を書く事はあえて控える。しかし先の掲示板の書き込みに限って言えば、この程度に留め、深入りはしない方がよかったのではないかと思う。
戦争を突っ込んで語るのは、知識を十分に得てからでも遅くは無い。いま筆者らが生きている世界ではまだ戦争・紛争を防ぐ有効な解法が得られていないのだから

歴史は、過ちを繰り返さないために学ぶものである。

Re: 火垂るの墓 / 国沢光宏

鹿児島県の知覧の特攻隊の資料館に行ったことがあります。
それまで特攻機は零戦などだと思っていたのですが、驚いたことに足の引っ込まない旧式機が大半でした。
このような機体で祖国の勝利を信じ、絶望的ともいえる特攻をした方々のことを思うと胸が痛くなりました。

このような方々のためにも戦争は二度と起こしてはいけませんね。
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(β0-5版 2002.09.10)
(1−0版 2003.03.29)