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6−1 マイバッハ (2002年10月) 

関連項目4-4 「文章を書くには少しは調べてから書くべき」

2002年10月、国沢氏は自身のページで「マイバッハ」について評論を行った。以下はその抜粋である。

(略)
なんでこんなクルマを作ったのか? ここから本題。元々ベンツという会社は、覇権主義である。つまり「世界一になりたい」という願望を持つ。

実際、第二次世界大戦で大敗するまでは、世界一の高級車である770K(グロッサーメルセデスと呼ばれる)を作った実績を持つ。
これ、ヒットラーの愛車だったことは有名。

しかし日本同様、周囲の国に多大なるダメージを与え、旧ドイツ帝国は倒れてしまう。

精神的痛手は大きかったらしく、
ベンツは今までロールスロイスやベントレーに匹敵するプレスティッジカーを封印してきたのである。
(略)
凄いのが『マイバッハ』というブランドのウンチク紹介。
さすがにヒットラーを強くイメージさせる『グロッサー』(大きい、という意味)という呼び方は使えないだろうから、マイバッハを掘り起こしてきたということなんだと思う。

当然知らないヒトも多いため、歴史から作らねばならないワケ。38ページという厚いプレスリリースのウチ、現代のマイバッハに付いて記載されているのは12ページのみ。残りは戦前のマイバッハの紹介に終始する。簡単に記すと

「マイバッハとは
1919年から昭和16年まで生産された『ジャーマン・ハイエンド・ラグジュアリーカー・ブランド』(プレスリリースのまま)。
つまりドイツ有数の高級車ブランドで、V12気筒エンジンを特徴とする。
1909年にはドイツが誇る巨大飛行船『ツェッペリン』のエンジンとしても採用されるほどの信頼性を持っていた。
60年後の今、再びデビューします」。

ま、第二次世界大戦前のベンツのエンジンは軍事色が強く、歴史を語れば重くなってしまう。

ちなみに
ベンツの液冷V12はドイツ自慢の戦闘機、メッサーシュミットに搭載された。余談ながら日本でもライセンス生産されたけれど(川崎と愛知航空機で作られ、飛燕や彗星に載せられた)、技術レベル高すぎて冷却水漏れなどに悩まされ最後まで信頼性を確保出来なかったです。

開戦と同時に自動車の生産を止めたマイバッハにはそういった負のイメージが無い。

マイバッハという音韻も好ましいと思わないだろうか? どことなく高貴で、いかにもドイツらしい雰囲気。
ショー会場には
1929年製のマイバッハである巨大な『Type12』と当時のV12気筒エンジンが展示され、キチンと歴史の裏付けもされていた。

参考までに書いておくと
『MM』というエンブレムは「マイバッハ・マニファクチャー」の略。以後、このエンブレムが使われるそうな。

(kunisawa.netより引用)
この内容は恐らくプレスキットを斜めに見ただけで書いたと思われるのだが、上の評論には、自動車ジャーナリストとしては致命的な間違いがいくつも出てくる。

筆者としては「一体、何を調べて書いたんですか?」と彼に小一時間問いつめたい気分になる。

思いつくだけでこれだけある。
  1. マイバッハはダイムラーと共にダイムラー社を興した技術者の名前である
  2. 彼は後にダイムラー社を去り、1909年からツェッペリン飛行船用エンジンを専門に手がけていた。この時は6気筒である
  3. ドイツがWW1に敗れ、航空機用(飛行船用)エンジンが作れなくなり、マイバッハ社は高級車に活路を見出そうとする
  4. 最初のマイバッハ製自動車は6気筒エンジンである
  5. 1929年に飛行船グラーフ・ツェッペリン号用の12気筒エンジンを作成。翌年、12気筒エンジン搭載の高級車ツェッペリンを作成
  6. WW2の開戦は1939年。マイバッハの自動車生産終了は1941年。真珠湾奇襲も1941年。
  7. DBのエンジンは多くのドイツ製航空機に搭載されたが、マイバッハのエンジンはほとんどのドイツ製戦車に搭載されたどちらも思い切り軍事産業に関わっている
  8. 戦後、1963年にDBはロールスに匹敵するプレステージカーを目指し、W100を作っている。W100は1981年まで生産された。
特に8. に関してなど自動車の評論で飯を食っている人間にとってはあるまじき大失態であろう。たとえWEBとはいえこれほどまでの大間違いをしてもなお自動車ジャーナリストを名乗れるのであれば、自動車評論家&ジャーナリストとというのはあまりにもレベルの低い職業とみなされても仕方がないのではあるまいか。

ちなみに、徳大寺有恒氏は高級車のブランド戦略において、ちゃんとW100にも触れている。

マイバッハとダイムラークライスラー等に関連すると思われる歴史を記した年表を作成したので、参考にしていただきたい。灰色の文は直接関係はないが参考にはなるかもしれない出来事である。

1882 ・ゴッドリープ・ダイムラーとヴィルヘルム・マイバッハ、初のオットーサイクルエンジンを作成したガスモトローレン・ファブリーク・ドイツ社を退社
1883 ・カール・ベンツ、「ベンツ&Cieライニッシェ・ ガスモトーレン・ファブリーク・イン・マインハイム」社を創立 エンブレムは月桂樹をあしらったもの
1885 ・カール・ベンツ、内燃機関を搭載した3輪自動車を作成。
1886 ・ゴッドリープ・ダイムラー、内燃機関を搭載した4輪自動車を作成
・カール・ベンツ、3輪自動車の特許を申請(No.37435)
1890 ・ゴッドリープ・ダイムラーとヴィルヘルム・マイバッハ、「ダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト」社を創立 エンブレムはスリーポインテッドスター
1895 イギリスにダイムラー社の子会社「ダイムラー・モーターカンパニー」設立。後の「ディムラー」に
1900 ・ツェッペリン伯爵、自身の手による硬式飛行船LZ-1を作成。発動機はダイムラー製
・ゴッドリープ・ダイムラー死去 以後ヴィルヘルム・マイバッハがダイムラー社を発展させる
1901 ・ダイムラー社、35PSを発表。ダイムラー社の役員(初の顧客でもあった)エミール・イェリネック卿、35PSの輸出仕様に愛称(ブランド名)をつけることを提案。イェリネック卿の末娘「メルセデス」の名を採用。以後、ドイツ国内で発売されるダイムラー社の自動車にも「メルセデス」の名がつけられるようになる。
1903 ・ライト兄弟、人類初の動力式飛行機の初飛行に成功
1904 ・F.H.ロイス社の電気技師フレデリック・ヘンリー・ロイス、試作1号の自動車を作成
・チャールズ・スチュアート・ロールス、
自身の自動車輸入販売会社C.S.ロールス社にてロイスの自動車を独占的に販売する契約を交わす。車名を「ロールス・ロイス」とした。二人は「音も無く静かに動き、(可能であれば)永久に壊れないエンジンを積む車」を目指す
1906 ・F.H.ロイス社とC.S.ロールス社の自動車部門が合併。「ロールス・ロイス」社となる
1907 ・ヴィルヘルム・マイバッハ ダイムラー社を去る
1908 ・ヘンリー・フォード、T型フォードを発表。自動車の低価格化はじまる
1909 ・ヴィルヘルム・マイバッハ、ツェッペリン伯爵の助けを借りて飛行船用のエンジン製作のための会社「マイバッハ・モトーレン」社を興す エンブレムは「マイバッハ・モトーレン」の頭文字「MM」を縦に並べたデザイン
1910 ・マイバッハ製エンジンを搭載した初のツェッペリン飛行船LZ-9が完成。エンジンは直列6気筒
1914 ・第一次世界大戦はじまる。    
1915 ・ツェッペリンの硬式飛行船、ロンドン・パリ等への都市爆撃に使用される
1918 ・第一次世界大戦終結
1919 ・ベルサイユ条約締結。敗戦国ドイツ、航空機用エンジンの製造を禁止される
・ヴィルヘルム・マイバッハの息子カール・マイバッハ、高級自動車の製作に着手する
・ダイムラー社とベンツ社も痛手をうけ、再建の道を模索し後に歩み寄ることになる

・ウォルター・オーエン・ベントレー、ベントレー社を創業
1921 ・マイバッハ初の自動車「W3」完成。直6 5.8Lエンジンを搭載。
1926 ・ダイムラー社とベンツ社が合併。「ダイムラー・ベンツ」社となる。
エンブレムはスリーポインテッドスターの周囲に月桂樹をあしらったものとなる
1928 ・超大型豪華飛行船LZ-127「グラーフ・ツェッペリン」完成する。エンジンはマイバッハ製 V型12気筒を5基。
1929 ・LZ-127「グラーフ・ツェッペリン」、世界を一周する
・マイバッハ、V12搭載の高級車「ツェッペリン」発表
ヴィルヘルム・マイバッハ死去
・カール・ベンツ死去
・世界大恐慌はじまる
1930 ・ダイムラー・ベンツ社、プレステージ車のメルセデス770Kグローサー(初期型)を発表。各国の王族、貴族などがこぞって購入。このうち日本は32年型を4台、34年型を8台、天皇家御料車として購入する(うち1台は今もメルセデス・ベンツ・ミュージアムに「770K ヒロヒト仕様」として菊の御文もついた状態で現存)。総生産台数100台ほど?
1931 ・満州事変勃発
・ロールス・ロイス社、ベントレー社を買収
1933 ・アドルフ・ヒトラー、ドイツ首相に就任 愛車がメルセデスであったことからダイムラー・ベンツ社へのバックアップを行うようになる
・日本、国際連盟を脱退
1934 ・マイバッハNL38TR(直6)搭載のI号戦車、極秘に生産開始(名目は農業用トラクター)
1935 ・ドイツ、再軍備宣言 徴兵制復活
1936 ・マイバッハHL62TR(直6)搭載のII号戦車生産開始 
・2.26事件
1937 ・超大型豪華飛行船LZ-129 「ヒンデンブルク」号、原因不明の爆発炎上 (現在では静電気がマグネシウム含有の機体表面塗料へ引火したという説が有力)
・ダイムラー・ベンツ、新型770Kグローサーを製作。1940年までに17台が生産され、その全てがヒトラー及びナチス高官に使用される。

・蘆溝橋事件 日中戦争はじまる
・南京攻略(南京大虐殺?)
1938 ・マイバッハHL120TR(V12)搭載のIII号戦車生産開始
1939 ・ドイツ、ポーランドに侵攻。イギリスとフランス、ドイツに宣戦布告。第二次世界大戦はじまる
・マイバッハHL120TR(V12)搭載のIV号戦車生産開始。総生産台数約9,000両
1940 ・イタリア、イギリスとフランスに宣戦布告
・フランス、ドイツに降伏
・イギリス本土防空戦(バトル・オブ・ブリテン)
(ロールス・ロイス製マーリンエンジン(V12)搭載の「スピットファイア」「ハリケーン」対ダイムラー・ベンツ製DB601エンジン(V12)搭載の「メッサーシュミットBf109」の対決である)
・日独伊三国同盟に調印

・ダイムラー・ベンツ製DB601エンジン(V12)のライセンス生産 アルファロメオRA1000RC41を搭載した戦闘機マッキMC202「フォルゴーレ」が初飛行 総生産約1500機
・ダイムラー・ベンツ製DB601エンジン(V12)のライセンス生産 愛知「熱田21型」を搭載した艦上爆撃機「彗星」が初飛行 生産機数2157機(熱田32型、空冷エンジンの金星搭載型も含む)
1941 ・マイバッハ社、自動車の生産を終了する。戦車用発動機に専念?
・ドイツ、ソ連侵攻開始。ソ連が連合国に加わる
・12月 日本、アメリカ及びイギリスに宣戦布告と同時に真珠湾奇襲。
太平洋戦争はじまる
・ドイツとイタリア、アメリカに宣戦布告。

・ダイムラー・ベンツ製DB601エンジン(V12)のライセンス生産 川崎「ハ−40」を搭載した陸軍三式戦闘機「飛燕」が初飛行 生産機数2750機(ハ−140搭載型含む?)
1942 ・マイバッハ製HL210P(後にHL230P30)エンジン(V12)搭載の重戦車ティーゲル(タイガー)生産開始 1944年迄に約1350両製造
ダイムラー・ベンツ製DB605A-1エンジン(V12)のライセンス生産 フィアットRA1050RC58搭載のフィアットG55「チェンタウロ」戦闘機が初飛行 生産機数105機
・ミッドウェイ海戦
1943 ・マイバッハ製HL210P30(後にHL230P30)エンジン(V12)搭載のV号戦車パンテル(パンサー)生産開始 
・イタリア降伏。イタリア臨時政府、ドイツに宣戦布告
1944 ・マイバッハ製HL230P30エンジン(V12)搭載の重戦車ティーゲルII(キングタイガー) ヘンシェル砲塔型 生産開始 1945年3月迄に489両製造 ポルシェ砲塔型はキャンセル
・ノルマンディ(ノルマンジー)上陸作戦
1945 ・ベルリン陥落 ドイツ降伏    
・広島・長崎に原爆投下。ソ連対日参戦。日本降伏。
・第二次世界大戦終結

・ドイツ東西に分かれる。軍需産業解体。
・国力を使い果たし、植民地が次々と独立していった英国は次第に衰退していく
1957 ・ダイムラー・ベンツ、高級車300Dを生産する
1961 ・マイバッハ、ダイムラー・ベンツ社傘下に?。商標権がダイムラー・ベンツ社に移る。
1963 ・ダイムラー・ベンツ社 プレステージカー600シリーズ(W100)の生産を開始する 完全受注生産方式。1981年に生産を終了するまでの生産台数わずか2500台。
1971 ・ロールス・ロイス社、航空機部門の赤字により倒産。自動車部門を独立、航空機部門は国営に
1998 ・ダイムラー・ベンツ社とクライスラー社が合併。「ダイムラー・クライスラー」社となる。
・ロールス・ロイス社(&ベントレー)の自動車生産部門 VW傘下に
・ロールス・ロイス社の商標権(及び航空機部門)はBMWに
2002 ・ダイムラー・クライスラー社、新型マイバッハを発表 
2003 ・BMW、「ロールス・ロイス」の商標を使用可能となる(予定)
6−2 乗車券だけで成田エクスプレスに飛び乗る(2002年10月)

関連項目4−5 「道徳的に問題がある話題は避ける」

10月3日 日付変更線を越えてからずっと原稿書きしつつ成田まで。荷物を預けていないため、そのままイミグレーションと税関を通過しJRの駅に行くと、ちょうど成田EXPが入ってくるトコロ。指定券並んでたので乗車券だけ買って乗る。幸いガラガラなれど連絡事項多く、大半をデッキで過ごす。7時20分に西荻着。(略)

10月9日 今日は一日原稿書きに没頭出来る貴重な日。7時に起きてず〜っと原稿。10月3日の日記で「成田EXPに指定券買わずに飛び乗った」と書いた。成田EXPに乗ったことのある方なら必ず検札があることを御存知だろうが、このあたりの事情を知らない地方在住の知人から「キセルしてるのだと誤解を受けるのではないか?」とアドバイスを頂いたので補記しておきます。成田の券売所が混んでいるときは、いつも乗車券だけ買い、車内で精算している。盆暮れでもない限り、グリーン車なら満席ということなどありません。というか、ワタシがキセルしてるのではないか、と勘ぐられること事態、非常にムカつきますけどね。駐車違反もそうだけれど、捕まるより駐車場を探す方が絶対に得だと思う。(略)

(kunisawa.netより引用)
自由席がある特急ならともかく、全席指定(立席もあるが、立席券の発行は指定席が全て埋まった時のみ)の特急で指定券を買わずに乗り込むのはマナーとしていかがなものだろうか?
以下に2ちゃんねるより引用したJR東日本の見解を掲載する。
まず、10/10 19:30過ぎに
https://voice.jreast.co.jp
の『ご意見・ご要望は、こちらのフォームから入力してください。』へ以下の文書を送付しました。

前略
早速ですが、下記のウェブサイトをご覧下さい。
http://www.linkclub.or.jp/~kunisawa/kuni/profile1.html
これは高名な自動車評論家、国沢光宏氏の日記として公開されているものです。
この中で10月3日と10月9日に御社の成田エクスプレスに関する記事があります。
彼曰く、「指定券並んでたので乗車券だけ買って乗る。」(10/3)あるいは
「成田の券売所が混んでいるときは、いつも乗車券だけ買い、車内で精算している。」(10/9)と述べています。
これは御社としてどう捉えられますか?
これまで私共が利用する際、並んで指定席券を買ってきた事は無意味だったのでしょうか?
急ぎの場合であれば乗車してしまっても良いのでしょうか?
お忙しい所恐縮ですがご回答願います。
草々


それで、ご返事が以下。

いつもJR東日本ならびにJR東日本ホームページをご利用いただきましてありがとうございます。

この度は、貴重なご意見を頂戴いたしましてありがとうございます。
弊社といたしましては、お客さまにはご乗車前に乗車券・特急券等のご購入をお願いして>いるところでございます。窓口混雑時に、お客さまをお待たせしないよう社員の応対はもちろん、指定席券売機の設置を行う等設備の整備も進め、スピーディーな発売に努めているところでございますが、今回お客さまよりご指摘いただきました通り、指定券を購入せずご乗車いただくお客さまにつきましては、他のお客さまのご迷惑となる場合があることから、弊社といたしましても、頭を悩ますところでございます。特に、成田エクスプレスにつきましては、全車両指定席のため、他のお客さまにご迷惑をおかけする場合があることは、否めません。
指定席をご利用いただく場合はもちろん自由席をご利用の場合でも、お客さま皆様に快適にご乗車いただくことから、事前購入のお願いをさせていただいております。日頃より、お客さまからは「きっぷを買わず乗車するのは不公平ではないか」等多くのご意見を頂戴いたします。弊社といたしましては、お客さま同士のトラブルにもつながりかねないことから、皆様がご不快な思いをせずご乗車いただけますよう、乗車前のご購入をお願いする次第でございます。
今回ご指摘いただきましたご意見を真摯に受け止め、お客さまへのご案内はもちろん、スピーディーな発売を目指してまいりますので、何卒ご理解賜りたくお願い申し上げます。

今後も、みなさまに愛され、親しまれるJR東日本をめざしてまいりますので、引き続きご愛顧賜りますようよろしくお願い申し上げます。
                          東日本旅客鉄道株式会社
(後略)

(2ちゃんねるより一部編集して引用)
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