8−3 義捐金より押しかけボランティア −新潟県中越地震ボランティア− |
● 阪神淡路大震災 1995年1月17日の未明、淡路島と神戸地方を強い地震が襲った。 当初、情報はまるで入ってこなかったが、時間が経つにつれてその悲惨さが明らかになって来た。ライフラインは寸断され、多くの人が住む場所を失った。亡くなった方も、怪我をした方も大勢いた。 全国各地から神戸に援助物資が送られ、義援金が集まり、またボランティアの方も集まった。 そして神戸は完全とはいえないかもしれないが復興を遂げた。 この震災は多くの方に自然災害というものを考えさせ、また行政にも有事の対応策について一考させるきっかけとなった。ボランティアの活躍も大であり、この年が日本における「ボランティア元年」とさえ呼ばれるようになった。 だが同時に問題点もまたいくつか噴出した。そのうちの1つが善意の押し売りである。 TV報道によると、現地ボランティアが困ったことの1つに、善意で送られてきた援助物資の仕分けがあったという。特にその中でも多かったのが古着が送られてくることである。 しかも中には洗っていないもの、穴があいているものなど、捨てるに困って詰めて送ったのではないかと思われるものもあったそうである。 なるほど、送る方にしてみれば、家も何もかも失った方に少しでも暖かくなって欲しいと思ってのことかもしれない。しかし、送られる方は、その時そのようなものを必要としていたのだろうか?しかも洗ってもいない古着を送られても、避難所にはそれを気軽に洗うことはできないということは想像できなかったのだろうか。サイズ違いの服を詰め込んで、選別し、希望者を募る手間などを考えただろうか? 残念だがこれは親切の押し売りにしかすぎないのだ。避難所でのその時、その場所で、その人が必要とするものを、必要となる量だけ送らなければ、その他は単なる無駄なコストにしかならないのだ。 送られた古着の多くは使い物にならず、暖をとるために燃されたものもあるそうである。そういう意味ではほんの少しは役に立ったのかもしれないのは、皮肉なことである。 |
● 新潟県中越地震 2004年は災害の当たり年ともいえるほど災害が多かった。大雨や台風が西日本を襲い、九州地方、四国地方、近畿地方などが大きな被害にあった。 そして2004年10月23日、新潟地方を強い地震が襲った。以下はWikipediaからの引用である。 |
新潟県中越地震(にいがたけんちゅうえつじしん)は、日本時間の2004年(平成16年)10月23日(土)午後5時56分に新潟県のほぼ中央に位置する小千谷市を震源として発生したマグニチュード6.8の直下型の地震。同市南東に位置する北魚沼郡川口町では阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)以来9年ぶりとなる最大震度の震度7を観測した。気象庁命名の正式名称は平成16年(2004年)新潟県中越地震(英語:The Mid Niigata Prefecture Earthquake in 2004)。英語では気象庁の命名とは異なるNiigata Prefecture Chuetsu Earthquakeなどの表記が多く用いられた。 一般的ではないものの、新潟県は、同地震による震災を「新潟県中越大震災」と命名し、同呼称を11月29日より使用する事となった。 (中略) 被害 小千谷市、十日町市、長岡市、見附市周辺で、高齢者や子供を中心に51名が死亡(2005年10月16日時点)、4,794名が負傷、避難した住民は最大で約10万3千人(10月26日)を数えた。家屋の全半壊はおよそ1万6千棟に上り、一部で火災が発生したものの、瞬間的に阪神・淡路大震災を越えた規模と比べれば被害ははるかに少なかった。山間部で人口が密集する都市が少なかったこと、豪雪地帯のため雪に押しつぶされないよう建物が頑丈に作られていたこと、また小千谷市などでは阪神・淡路大震災以来災害に備えた街づくりを進めていた事などが、被害を抑えた要因だといわれている。 一方、山崩れや土砂崩れなどで鉄道・道路がいたるところで分断された。2004年は、7月13日に新潟県地方で大規模な水害が起こり(平成16年7月新潟・福島豪雨)、また夏から秋にかけて台風が過去最多の10個上陸するという、例年にない多雨に見舞われた年であった。このため、元々地滑りの発生しやすい地形であったところに、降雨によって地盤が緩み、それが地震が発生した際に多くの土砂崩れを引き起こしたものと思われる。 地震発生当時、幸いにも水位が低かった為に被害は発生しなかったが、信濃川の堤防の一部にも亀裂が生じた。 (略) 道路は、北陸自動車道や関越自動車道などの高速道路、国道17号や国道8号などの多くの一般国道、多くの県道や生活道路も亀裂や陥没、土砂崩れ・がけ崩れによって寸断された。このため山間部の集落の一部は全ての通信・輸送手段を失って孤立。とりわけ古志郡山古志村(現長岡市山古志地区)は村域に通じる全ての道路が寸断されたため、ほぼ全村民が村内に取り残され、自衛隊のヘリコプターにより長岡市・小千谷市などへ避難させる作業が行われた。また山古志村や小千谷市では、数ヶ所で発生した土砂崩れによって河道閉塞が発生し、複数の集落で大規模な浸水の被害が出ており、下流域では土石流が発生する危険性があるため、ポンプによる排水や、河道付近の民家を撤去するなどの措置が取られている。 |
この地震の報があった翌日から、この節は本題に入ることになる。 ● 国沢氏のボランティア観 本題に入る前に、まず国沢氏のボランティアに対する関心の深さをあらためて記述しておいた方がよいだろう。まずは別章でも触れたが、交通事故を起こした方を救護した時である。 |
2001年5月10日 7時に家を出てMR−Sで羽田空港に向かう。けっこう流れよく8時ちょっと過ぎに到着。9時25分発のANAに乗って旭川。今日は鷹栖のテストコースで雑誌向けに行われた『インテグラ タイプRのプロトタイプ』の試乗回である。 (略) 試乗会の帰りバスが急に停車。見ると前方で事故。ぐったりしてるケガ人もいる。救急車おらず、遠くから見てると仰向けの体勢。こりゃマズい、ということで駆けつけた。 状況チェックすると右足スネの複雑骨折。出血もしているので、救急の手順通り側臥位にする。仰向けだと舌が気道に落ちて呼吸出来なくなる危険性あるからだ。 さらに痛い所や動かない所の確認していると救急車到着。イキナリ体を動かそうとするでないの。おいおい!「日赤救急法救急員の資格を持っている」と告げ右足を複雑骨折してるなど状況を伝える。するとやおらベルトを緩めようとした。交通事故の際は腹部損傷の可能性高いので、慎重に対応するべき、と先日も救急の専門医に聞いたのだが。 ま、これ以上口出ししても仕方ないので「ではお願いします」と言ってその場を離れたが、救急隊員から一言も無し。そんなにボランティアの人間がイヤなら、資格なんか取らせなければいいのに。次から事故見ても知らんぷりを決め込みたくなりました。鷹栖近辺では事故を起こしたくないな、と思う。もう少しケガ人に対し注意を払って欲しい。 夜はホテルで清水草一改めMJブロンディにカラまれる。 (kunisawa.netより引用) |
救護行為をしたこと自体は立派なことで、これは褒められるべきことである。しかし残念だが、その後の文言がせっかくの彼の善行を打ち消してしまっている。なぜに救急隊員への文句を書いてしまったのであろうか。このような愚痴さえ書かなければ読み手も少しも不快感を感じないものを。
次は米国での同時多発テロの後である。 |
2001年 9月13日 TOPコラム アメリカ人のボランティアに対する意識は驚くほど高い。集まってくるボランティアの人々をコントロールするのもボランティア、というくらい組織だった動きをしている。そして政府側の人達もボランティアを喜んで受けているのだ。日本だと「素人は帰りなさい」くらいの対応。阪神・淡路大震災の時も、追い返されたボランティアの方々が多かった。アメリカの良い部分は見習いたいと強く思う。私はアメリカのために何か出来るだろうかと考えています。 2001年 9月19日 TOPコラム 日本の株が安い! 18日の終値は4千円以上の実力を持つと思うトヨタが3180円。5千円以上の実力あるホンダも3770円まで落ちてしまっている。一方、定期預金の金利はゼロに近いです。だったら長く持つつもりで好きなメーカーの株を買ったらいかがか? トヨタなら100株から買えるから、31万8千円あればOKということ。4千円に回復すると手数料など差し引いたって8万円近く浮く。株が上がれば危機にならずに済むし、皆さんもニコニコ出来るという寸法。その他、BSやスバル、ダイハツあたりはお買い得だと思う。それにしてもトヨタの金庫番は地団駄踏んでるんじゃなかろうか。なんせつい先日のこと、4千円以上の時に自社株を大量に買い込み、廃棄してしまったのだから(株の価値を高めるため発行株数を減らした)。今なら同じ予算でもっと多くの株を買えた。こんな時だからみんなで株を買い、経済を支えましょう! 日本で株が下がらなければ、ニューヨークだって暴落しない。少しはアメリカも元気になる。 2001年 9月25日 TOPコラム 先週「自動車好きなら関連会社の株を買うのもボランティアの一つ」と紹介したら「買いましたよ」というメールをけっこう頂いた。目先の利益を追えば、もしかするともう少し安くなるようなことも考えられるけれど、やっぱり現在の株価は尋常でないくらい安いと思う。ダメで元々くらいのイメージを持てる方には依然超安値圏が続いているからおすすめておきます。トヨタとホンダ、BSを昨日終値で1000株買っていれば、それぞれ288万円/330万円/82万5千円。1年後と2年後は? (kunisawa.netより引用) |
それをボランティアと呼ぶのは無理があると感じる読者も多いであろう。筆者も非常に違和感を感じる。しかし「ボランティア」とさえ呼ばなければその行為自体に意味がまったくないわけではないので、用語としての意味を除けばことさらに問題にすることではないと思われるのではあるが・・・。
このように、国沢氏のボランティア観は、恐らく多くの方が描いているそれとは微妙に異なっているように思われる。ただし彼はこれまで実際に継続してボランティア活動を行ってはいなかったので、その隠れた問題が思い切り表面に出てくることはなかったのであろう。 |
● 義捐金はもう送らない
時間的な話としては冒頭に戻ってしまうことになるが、国沢氏が大規模災害に対して支援を考えたのは、氏のページを見る限りでは1995年の阪神・淡路大震災が最初である。その当時、何をしたかについては国沢氏の日記において綴られた。 |
2004年11月14日 日記 私も阪神淡路の際、CT誌のチャリティオークションにランサーターボを供出し、 売れた金額全て(60万円くらいだったと思う)義援金としたけれど、どう使われたか不明。 CT誌に聞くと、集まった全額を義援金として出したが使途の報告はこなかったと言う。 行政の予算に組み込まれたりされれば納得しがたい。 だから今回、私は義援金でなく”行動”にしたのである。いろんな団体で義援金を募っているが、 まずWebサイトなどで「何に使っているのか」をチェック。 使途が納得できなかったり、詳細の記載の無かった団体は義援金を送らないようにしましょう。 自分達に変わって行動してくれているボランティア組織をバックアップするのもいい。 どこに義援金を送りたいのかハッキリすることが重要。 (kunisawa.netより引用) |
後日に出版されたBCにおいては、この車両は「お値打ちモノのランサーターボ」と修飾されていた(さすがにCT誌のチャリティーとは書いていなかったようだ)。 詳細は不明ではあるが、確か国沢氏が所持していたランサーターボは、彼が自分が所持した車のミニカーを集めるという趣味のことを考えれば、A175型のランサーターボであろうと推測される。とすれば1995年当時は既にその2世代後のランサーエボリューション(II)が出ていた。A175は確かに硬派には人気がなかったわけではないが、背景を考えればちょっと「お値打ち物」と表現するにはどうかと思われる。 もっともA175にはごく少数の2000cc版(170ps)が逆輸入されており、こちらであったとすれば希少さもあいまって確かにお値打ち物と呼んでもよいのかもしれない。まあ、これは蛇足である。 さて、確かに国沢氏の気持ちはまったくわからないでもない。確かに自分が出した義援金がどのように使われたかということには少なからず関心をもってしまうであろう。 しかしながら、「行政の予算に組み込まれたら納得しがたい」という文言にはちょっと首をかしげる。 これがどういうことを意味して入るのかは分からないが、例えば集めた義援金を市町村の役場に渡して、その義援金で復興のための予算を組んだり、避難所の建屋を建てたりするのは「行政の予算に組み込まれ」ているのではあるまいか。それも立派な義援金の使い道であろうと思う。 もし「使い道が分からない」ということだけが分からないのであれば、行政であればまず確実に会計報告を公開する。その中で義援金とその使い道は必ず報告されるはずであるから、「ああ、自分の義援金の一部かここに使われたんだな」と思えばすむことではあるまいか。 彼としては「せっかく60万円もの額を出したのに使途報告がないのはケシカラン」という気持ちなのかもしれないが、あくまでこれは筆者個人の考えだが、義援金は額の問題ではなく心の問題ではないだろうか。国沢氏のような売れっ子ジャーナリストの60万円も、小学生の子供が日々のおこづかいを溜めていた1000円も同等・同価に尊重されるべきであろう。だからいくら高額な義援金を送ったからといってそれを特別扱いする必要はないかと思う。 CT誌がどの団体を通じて義援金を送ったのかは不明だが、高額寄付であれば義援金の使い道を「特別に報告されるはず」というのであれば、筆者の上記の義援金の平等性を欠くものではないかと思われる。 というか、恐らくCT誌であれば、義援金を送った先の広報紙などで「ご協力企業・団体」として名を連ねるはずであろう。それで十分であって、それ以上の特別扱いは必要ないと筆者は思うのだが。 加えて、義援金であれば被災地の方が「それを使いたい時に、いかなることにでも」使うことができる。この利点はかなり大きいのだ。 ボランティアであれ義援金であれ、最も大切なことは「自分がいまできることで、被災地の役にたちたい」ということは同じであろう。 もっとも、新潟中越地震でも義援金詐欺はあったらしいので、国沢氏の言っている「信用できる団体に義援金を送れ」という内容には一理以上あることは確かであるのだが。 ● 新潟中越地震への関心 さて、国沢氏は新潟中越地震が発生した時は、全日本ラリーに参加している最中であった。 国沢氏は当日の日記ですぐさまこの地震について触れた。 |
2004年10月23日 日記 (略)それよりゴール後に知った新潟の大地震が心配である。被害の状況は解らないが、すでに死傷者も出ている模様。 20日の台風といい、浅間山の噴火といい今年は自然災害が多い。特に雨は未だ気を許せない状況。ラリーで通った岐阜の山の中も、すでに水が飽和状態にある感じ。現在西進中の台風24号がUターンするような気配を見せているので大いに心配です。 こういった時に被災者の気分を暗くさせるのは「遊びに行くのは失礼なので」という宿や旅行のキャンセル。 宿泊している高山地域の宿も「台風で大変でしょうから」と、旅行を取りやめる人が少なくないそうな。ラリーを開催したのも、そういった気分になりたくないからとのこと。 「被害を受けてしまいどうしても受け入れられない」というなら話は別ながら、営業しているならぜひ行って欲しい。台風でキャンセル続出となっている沖縄も同じ。 2004年10月24日 TOP 大きな地震などの被害に遭った場合、クルマを置いて逃げるケースも出てくる。 そんな場合、必ず覚えて欲しいのが「キーを付けたままにしておく」ということ。道路が閉鎖になったから、とキーを持って逃げてしまうとクルマは巨大な障害物になってしまう。幸いこの国の国民の大半が未だ良心を持っている。貴重品や車検証など持ち出し、キーを付けたまま。 これを覚えて置いて欲しい。被災された新潟の方々にお見舞い申し上げます。 |
ここまでの段階では、国沢氏の震災に関する発言は別に叩かれるような内容ではなく、むしろ正論である。23日の日記も「必要以上に被災地を敬遠するな」という啓蒙であると考えれば、叩かれる内容でもないだろう。誤解を生む可能性がないではない表現ではあるのだが。
しかし、国沢氏は翌日からいよいよ彼の本領(?)を発揮しはじめた。自らの限られた知識での思い込みの(?)理論で被災地の支援・救護活動を語り始めたのである。そしてその主眼はやはり行政への批判であった。 |
2004年10月25日 TOP 新潟の地震で交通が遮断された地域が多く出た。ヘリコプターを大量に導入すれば問題ないものの、なかなかそうもいかない。一方、生活に必要な物資も必要。 こんな時、トライアル用バイクで現場に入り、細かい対応をすればいいと思うのだけれど、警察や消防関係者は歓迎しないと言う。確かにガレ場を走れば二次災害の可能性だってある。 市民は引っ込んでろ、という気持ちなんだろう。 でもウデのあるライダーは、シロウトじゃ考えられないような走りが出来るのだ。というか、通れないと判断した場所は走りません。 ある程度の競技の成績を残しているトライアルライダーに認定を与え、ボランティアとして登録してもらったらいいんじゃなかろうか。状況が良い場所ならさらに多くの物資を運搬できるオフロードバイクも投入すればいい。こちらはモトクロスの競技経験者を登録すればよかろう。 ちなみに自衛隊はそういった判断能力をしっかり持っており、今回もバイク部隊を真っ先に投入した。さすがだと感心。 |
この日記に2ちゃんねるでは早速突っ込みの嵐がまきおこった。 |
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これらの意見の内容につけくわえることができるほど筆者は知識を持っていないが、なるほどこれらを総合すると国沢氏は明らかに無知な思いつきで書いてしまったとみてよいだろう。
指摘の文言が過激すぎる面は多少あるが、しかしこれは2ちゃんねるならではであって、まだ少々波がたった程度のものであった。
そして日を追うごとに、国沢氏の現地の行政への批判は高まっていった。そして批判の激烈さが増すにつれて、思い込みも激しくなっていった。 |
2005年10月25日 日記 (略) 夜TVニュース見ていたら、新潟の被災者のところに救援物資が届いていないという。 500億円からの巨費を投じてるにも関わらず何をやってるんだか解らない(全く報道もされないので現地の人の役に立っているのかも不明)イラクの駐屯をするのなら、 自国の国民の援助をして欲しい。500億円あれば、10万人といわれる避難している人に毎日5千円ずつの物資提供を100日間も出来るのだ。 (kunisawa.netより引用) |
これも当然のことながら、2ちゃんねるでツッコミを受けることになる。 |
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ここに書くまでもないが、震災で被害にあったのは新潟県の人々だけではなく、公共インフラも大打撃を受けているのだ。人々に救援物資がいきわたったとして、道路も河川もズタズタではお話にもならないであろう。
「○○円は1人に○円として△日ぶん」という説明は、相手が小学生であればどのくらいの金額か分からせるために有効かもしれないが、およそ40歳の大人が行政批判の論拠とするにはあまりにも無理があるのではあるまいか。 そして彼は行政への不満からか、次の行動にでようとすることになる。 |