[考察]

これまでの節で得られた国沢氏の行動の特徴について振り返ってみる。
  1. 彼は一見気丈に振る舞うが、それは自信のなさの裏返しであり内心では周囲の目を非常に気にする傾向がある。
  2. 自分の意見は読者(一般大衆)を代表する意見であると思い込んでいる(自負している)
  3. 彼は何故か行政・警察に極めて批判的である。
−これについては、恐らく大きくてかつ批判しても反駁されない(ここが重要である)相手を仮想敵にしたてあげて、「強大な敵に立ち向かう辛口批評家」を気取りたいだけなのだと思われる。
実際、右翼の大型街宣車が高速道路を軽車両料金で通行していたという報道に関し、彼は自身のページで批判を展開したが、その矛先は道路公団に対してのみであった。−

これらと国沢氏自身の日常生活の日記、および彼の性格(利己的かつ幼児性が強い?)を加味すれば掲示板の書き込みから彼の心理を読み取ることは難しくない。
(1) 

ちなみに新しい基準は1時間とか2時間じゃないです。4時間とか5時間のレベルでも出ます。
それでも飲むな、というのは、速度違反を1キロもするな、と同じです。
もちろんその通りです。ワタシは守ってますから。しかし現実に合ってると思いますか?
15キロの速度違反と、100キロの速度違反は根本的に違うモノだと考えています。
普通に飲んで4〜5時間後も反応が出る値ということを書いて「これは1キロも速度違反をするなと言うのと同じだ。現実的だと思うか?」と問題提起をしているのだが、この時点で既に国沢氏の認識している「現実」が「常識」と離れている?ように感じる。
仮に飲酒を止めて5時間後にもこの値になるとすれば、
朝7時に車に乗る場合は深夜2時まで飲んでいたことになる。飲酒開始時間と量にもよるだろうが、午前様になるまでの飲酒は「普通の飲酒」などではなく深酒というのではあるまいか。
対して多くのWEBページにおいては、飲酒後は7時間、余裕を持って10時間は車の運転を控えるように呼びかけているが、この値は体内でアルコールが完全に分解される時間である。
前述の仮定のように朝7時に車に乗る場合、その10時間前に飲酒を止めるとすれば飲酒リミットは夜9時。7時間だと深夜12時である。「1キロも速度超過をするなと言うのと同じほど非現実的だ」と声をあげるほどの制約ではないと思われるが、いかがだろうか。

ところで、国沢氏は大のお酒好きであり、加えて飲酒した翌早朝から車に乗る事も多々あるようだ。彼の日記を引用する。

10月22日 今日からヒョウロンカ生活に。とりあえず本日は原稿2本の予定なれど、午前中は溜まったメールや手紙の対応。お昼からパンクしたま まのプリウスや、ヨメが擦ったトラヴィックの修理など。それにしても10月は生まれてから一番忙しかったような気がする。仕事の量も半分くらいまで 落ち、編集の人にもたくさん迷惑掛けてしまった。今まで以上に楽しい原稿を書きます。とりあえず今宵はアメリカで買ってきた『オーパス1』の95年など開けてみました。ンまいです!

10月23日
朝7時に家を出て幕張で行われている新型ムーヴの試乗会へ

12月4日・・・夕食は『串揚げ太郎』という知る人ぞ知るお店。旭川の方に紹介してもらったのだが、以 後行くたびに食べに行ってます。5千円くらいから十分満足できるけれど、1万円くらいのコース頼むと至福の時を過ごせます。そのまま修行に出か け、2時に千鳥足でホテルに帰って寝

12月5日
7時に起き、テストコースを確保した富良野方面へ。美瑛あたりまでは全く雪ないが、山を登るにしたがって徐々に白くなっていく。やがて 文句の付けようがないほど美しい雪道になった。テストコースはここからさらに登った場所。カチカチに凍ったアイスバーンの上に圧雪が乗っていると いう典型的な雪道である。持って行った8台+8銘柄のスタッドレスタイヤを次々に試す。
この2例では、国沢氏は飲酒終了後10時間以内に車に乗っていると思われる。
更に新車の試乗会などにおいては、
試乗前日に宿をとり、深夜まで酒宴を設ける、という接待は自動車会社ではよくやられているのだ。(ここでは自動車評論家の接待の是非は問わない)

結局、飲酒運転の規制強化(飲酒後5時間でも酒気帯びになる可能性がある)は、国沢氏自身にとって大問題なので、今回の改正は「自分にとって現実的ではない」と言いたいのだと解釈して間違いはないであろう。そして彼がいやらしい(あえてこう書くが)のは、「自分は違反は(1km/hの速度超過すらも?)していない」と強調する点だが、この問題は最後に回す。
(2)
公園の中に道があります。クルマは走らないように、と張り紙が出ています。
でも「15キロまでなら問題ありません」と書いてあります。
みんなは可能な限り走らないようにしているのですが、周囲の道が工事や渋滞などで通れないときは、やむをえず15キロ以下で走りたいと思っています。
50キロで走ったら危ないという公園管理者の意見もよく理解できます。

しかしヒステリックな人達は「なんで走るんだ」と文句をいいます。文句を言うなら管理者に言って欲しいと思います。何でもカンでもダメだ、というのはエゴです。そのために法律はあります。
もちろんワタシは飲んだら運転しません。ただ白と黒の間が大きい方が大人の社会だと思います。
加えて「大本営発表」は信じません。
ここでの彼の主張は「『悪質な気持ちを持ってとった行動』と、『やむをえず行った行動』とは明確に区別すべきである」と言いたいのだ、ということは理解できる。

しかし、ここでは面白いことに彼の性格がよく顕れているのだ。 筆者としてはそもそもこの例自体よくないと感じるが、このままで考察する。
まずこの場合、「公園内は原則として自動車の通行は禁止」である。だが、ある特殊な状況においては15km/h以下でなら通行が許されているということであろう。
この設定においては「原則」にまったく反する「特例」の扱いが厄介となる。 「やむをえない場合は通ってもいい」というルールがある場合、
その行為が自分に有利と思えば、何らかの「やむをえない」理屈を無理にでも作ってその恩恵にあずかろうとする人が必ず出てきてしまうのだ。

残念ながら国沢氏自身、そのようなことを行った人物である。6-2に紹介したように、彼は全席指定の列車に「急いでいてかつ自動券売機が混んでいるから」という理由で、券売機で並んでいる人を後目にして指定券を買わずに乗車券だけで乗り込んでいる。これこそが典型的なエゴではあるまいか。 もしこの状況で他の乗客、または券売機で行列を作っている人が「なんで券売機に並んで指定券を買って乗らないんだ」と文句言っても、彼は
「車内清算できるということはJRもワタシの行為を認めているということだ。文句があるならJRに言え」などと言って自分のマナー違反をガンとして認めないはずである(常習のようであるから実際認めていないのだが)。

閑話休題。さて、もし公園管理者が「通ってください」と車を誘導していれば、進入する車に文句を言う人はいないはずだ。車に文句を言うということは、公園利用者が「なぜこれくらいの渋滞でここを走るんだ」と、ドライバーの行為(判断の甘さ)に不快感を持ったからに他ならない。客観的に見れば相反する規則のエゴ同士のぶつかりあいである。他方だけをヒステリックなエゴと決め付けはできまい。
そしてこのような規則(法律)解釈の違いで生じた対立を仲裁するのは司法ではないかと思うのだが・・・。筆者の拙い読解力ではこの「そのために法律がある」という意味がよく理解できない。
「文句があるなら管理者に言え」というのは責任逃れとしか見えない。

蛇足だが、筆者の勤務する工場の敷地内での構内速度制限は見通しのいい直線でも20km/hであり、人の通行が多い場所では8km/hとなる(違反が判明したら構内乗り入れ禁止の上、始末書である)。公園の敷地内ではいつ子供が飛び出してもおかしくないので15km/hでも非現実的で高すぎる値だと筆者個人は思うのだが・・・あくまで例なので深くは言わないが。

「大本営発表は信じません」については以下の(3)とあわせて考察する。
(3)アメリカでレースやっている頃、「人種差に於けるアルコールの影響度調査」というのに協力しました。ワイン飲んで、血中濃度はかり、判断能力のチェックをするというテストです。
これを取り締まりの基準改訂の判断材料にしようという、非常に前向きなものです。
アメリカはこういったことをキチンと行うので、エラいと思いますね。
詳しくは書けませんが、今まで日本の道交法が定めていた「0,25」という数値、とても妥当だと思いました。
(略)
後は個人の意見でどうぞ。ワタシは0,25で妥当だと思っています。
少し考えればこの意見は信頼性があまりにも乏しいことがわかる。
まず
国沢氏がアメリカでレースをしていたのは1990年頃なので、この種の調査で10年以上前というのはいささか古すぎる。
更にこの調査の正式な名称や主宰者名はおろか、具体的数値データをまったく示せていない。 調査結果なるものを紹介する場合、これらの明示は必須といえる。「アメリカでの調査」というだけでは、ただのハッタリの役目にしかならない。
公式機関が主宰し、測定結果が広く公開されている日本での最新の調査と、無名のジャーナリストが海外で10年以上前に協力したという具体的数値を示せない曖昧な情報とではどちらが信用に値するかは考えるまでもない。後者を無条件に信用できるような人は、5000円の壺を100万円で売ろうとする人の格好の餌食となってしまうのではあるまいか。

この調査は10年以上前のことであるから国沢氏も既に詳細を忘れてしまい、要点しか覚えていないためと良心的な解釈もできよう。しかし国沢氏はジャーナリストであり、情報を取材して人に伝えるのが仕事であろう。曖昧にしか覚えていないのであれば再度調べ、大本営発表に真っ向から対決すべきではあるまいか。それをしないのは、する価値がないと判断したか、あるいは(この調査結果では大本営発表に)勝てないと分かりきっているからのいずれか、である。

それにしても、この短い文の中に「あまり詳しく書けないが」という文句がタイトルと本文の2箇所にあるのは、実にくどく感じる。人は苦しい言い訳をする際、自分を取り繕うために弁解の言葉が無意識的に多くなってしまうものだが・・・。

いずれにせよ、この調査については氏が言うことしか情報源がなく、読者は彼を無条件に信じるか否かのニ者択一を迫られることとなる。もし彼を信じなければ掲示板から追い出される羽目となる、というのはこれまで見て来た通りである。
(4) No.1516 これが日本の縮図です 国沢 2002年12月15日(日) 17時06分
Mさんのような”正論”に誰も反発出来ず、流れが決まってしまいます。
せめて掲示板では皆さんの真意を聞きたいモノです。
「真意を聞きたい」などという発言は、「ほとんどの人は少しくらいアルコールが残った運転は許されると思っているはずである」という発想がないと出てこない。また、「自分の考えは大衆の考え」と思っている国沢氏であるから、これはすなわち自分がそう思っていると言っているのと同じであるし、読者はそう感じるだろう。

加えて、ワンサイドの意見に荷担するのは掲示板主宰者(議長)としてはダメダメであることは誰の目にもお分かりだろう。 逆に言えば、このような発言をするということは、主宰者が非常に追い込まれているということでもある。そして遂に、次の発言に至る。


(6) No.1527 最後なので徹底的にやります 国沢 2002年12月16日(月) 00時53分
Sさん、ある事故調査センターの資料によれば、
酒気帯び運転で死亡事故に至った例より、
シラフで死亡事故を起こしたケースの方が圧倒的に多いです。
しかもワタシは酒気帯び運転を肯定しているワケでありません。
また、酒気帯び運転より酒酔い運転の方が死亡事故、多いです。
もし”本当に”事故に対して問題意識あるなら、クルマに乗ること自体、やめるべきです

この書き込みにおける認識のどうしようもない部分は既に2ちゃんねるでも話題となっている。統計には母数というものがあり、ただ絶対数だけを比べても意味をなさない。例えば人口50人の島での年間出生者数と、東京都のそれを比べたら後者の方が多いことは小学生でも分かる理屈である。同様に、酒を飲んで運転する人よりシラフで運転する人の方が桁違いに多いのだから、シラフでの死亡事故の絶対数が飲酒運転でのそれより多くてあたりまえである。もし両者を比較したいならば、死亡事故の絶対数ではなく、死亡事故を起こす確率で議論しなくてはならない。公式機関の調査では飲酒運転の場合の方が死亡事故を起こす確立が高いことは言うまでもない。
次に「酒酔い運手」よりも「酒気帯び運転」の方が死亡事故が少ないとのことだが、国沢氏の資料では、死亡数の高い順に、シラフ・酒酔い・酒気帯びである。しかし、事故を起こしてから数時間経ってからアルコールチェックを行えば(このようなケースは多かったようだ)当然体内で分解され反応は出ない。シラフの人が起こしたとされる死亡事故の中には、事故を起こした時、実際には酒気帯びであったという事例が少なからず含まれているとみなすべきではあるまいか。というよりも、これは「多少の飲酒ならシラフより事故を起こさない」と言いたいのであろうか?
更に付け加えると、
この書き込みもまた調査機関名、調査時期、数値がまったく示されていない。繰りかえしになるが、このような情報は無価値であり公式にはまったく信用されないし、信用してはならないのだ。

何より最悪なのは、事故で最愛の女性を失った方に対して、まったく共感していないことである。相手の悲しい気持ちは共感できる感情としては最大のものの1つであろう。社交儀礼的にでも「ご愁傷様」の言葉くらいはあってしかるべきである。 しかし彼のこの発言は、とりようによっては「恋人が交通事故で死んだくらいで偉そうにガタガタ言うな。文句あるなら車に乗るのをやめちまえ」という印象を読者に与える。 これでは「相手の気持ちになって考える能力が完全に欠如している冷徹な人間」とみなされても文句は言えまい。
あくまで個人的感想なのだが、
最愛の人を事故で失った方に同情もできない人物に「ユーザーの視点でヒョウロンしています」と言われても筆者はまるで信用できないのだが。

感情をぬいて論理的に考えてみると、おそらく国沢氏がこのような発言に至った理由は、掲示板上での「飲酒運転完全否定派」の封殺のためである。飲酒運転による事故で恋人を失った人の飲酒運転否定発言は読者の感情を揺さぶるため非常に重みがあり、「飲んだら乗るな」という正論を後押しして、国沢氏の意見を霞ませる。
「多少の飲酒は許容されるべきだ」という方向へ議論を向かわせたい国沢氏にとって、この書き込みは最大最強の障害である。そこで、慌てて自分の覚えている情報を都合よく継ぎ合せて、彼としては冷静にこの障害の論破を試みたのではあるまいか。 逆に、この意見を封じないことには国沢氏の勝ちは有り得ないのだ。

しかし、これが裏目に出た。論理があまりにお粗末すぎるし、かつ読者の心情を無視しているのは致命的であろう。(6)の書き込みを見た方の多くは国沢氏の無神経さに呆れ果てるはずだ。彼の意図がどうであれ、この書き込みは彼の評価を失墜させるに値する不用意な書き込みである。
酔いが醒めて(??)その重大性に気がついたのか、この書き込みは早朝に削除されている。そして最後のこの書き込みとなる。

(7)
No.1531やっぱり正論にゃ負けます 国沢 2002年12月16日(月) 08時37分
別に飲酒運転の肩を持つ気もないのでやめましょう。
これは事実上の敗北宣言ととってもよい。彼は「たとえ少量でも飲酒運転はダメ」という意見を論破できなかったのだ。言い方を変えれば素人が持つ知識(それがたとえ何であれ)を論破できるだけの情報を、専門家であるはずの国沢氏が持っていなかったということである。加えて負け惜しみに読者の知識を「頭でっかちで優等生的な発想」と決めつけ、小馬鹿にしているかのようである。
この書き込みの後、掲示板は一時的に不調となる。後日復活した時、掲示板の名称は「オピニオンズ ボイス」という名前に変わっており、「雑誌と同じように掲載するかどうか主宰者が判断する掲示板」になっていたのである。そして復活直後の書き込みがこれである。
No.1536 ここから新しい書き込みになります。 国沢 2002年12月16日(月) 22時01分

楽しいのがいいですね。
そういえばポルシェのこと聞いていたNOさんはどうなったのだろうか?
もし目的果たせたら、なんか書いてください。

もう一つ気になるのは、飲酒運転で捕まった後。
どうなるんだろう?
ウワサによれば「気を付けて帰れ」と言われるとか。
う〜ん! 真実は?

No.1537 1番乗りかな?? D  2002年12月16日(月) 23時19分

国沢さん、ご無沙汰しております。みなさん、こんにちは。

さて、
>もう一つ気になるのは、飲酒運転で捕まった後。
と国沢さんが気になるようなので僕の経験をお話します。

2年以上前のことですが、一時停止無視で捕まって(ギリギリまで減速したのに……)
そのついでに、「念のため…」ってことで風船を膨らまさせられたことがあります。
すいません、ちょっと飲んでました。でも、数値は0.075くらいで基準は超えてません。

で、その後どうしたかというと「ちょっと休んでいきなさい……」と告げられ、
1時間ほど交番で雑談をしてクルマを運転して帰りました。

参考までに。

No.1538 I  2002年12月17日(火) 00時11分

>もう一つ気になるのは、飲酒運転で捕まった後。

数年前ですが、街中をのんびり歩いているとき
見ず知らずの酔っ払いに「友達が迎えにきたということにして代わりに運転してくれ」と
頼まれて、検問が見えなくなるあたりまで運転してやったことがあります。


No.1555 10年以上前ですが E 2002年12月19日(木) 10時01分

>飲酒運転で捕まった後。
基準値以下でしたが、車に乗ることは許されず、交番(だったかな?)に置いて帰りました。
最初の「楽しいのがいいですね」という発言は、掲示板閉鎖直前の飲酒運転の是非の話題が楽しくなかった(と国沢氏が思っている)のだと判断して間違いない。ところが、この話題においてただ1人だけ楽しくなかったと思われるのは国沢氏のみなのではないか。要は国沢氏は、自分の主張がほとんど受け入れられなかったのが面白くなかっただけなのだ。そして掲示板の不具合にかこつけて(本当に不具合があったかどうかは筆者は知らない)過去の話題を抹消し、完全に話題を変えたのではあるまいか。

 また、言うまでもないことだが、I氏の行動は法律的にも道徳的にも決して許されないものだ。もしその酔っぱらいが検問通過後の道中で死傷事故を起こしていたとしたら、I氏には厳しい社会的懲罰が待っていただろう。

飲酒運転否定派の発言を封殺しようとしながら、飲酒運転を後押しした人の書き込みを残すのは、いかなる意図があるのか?。国沢氏は反社会的書き込みで掲示板が埋まるのを望んでいるのだろうか。
これでは、まさに2ちゃんねる以上のアングラ掲示板である。


最後に残しておいた問題点に入ろう。

国沢氏はこの話題で「自分は飲酒運転はしない」「飲酒運転の肩を持つ気はない」等、法律を遵守しているということをしつこいまでに書いている。しかし本人は明らかな酒好きである。かつ、掲示板での意見の流れを「規制が厳しすぎる(少しくらい許容しろ?)」という方向へ向かうように誘導しているのは明らかである。

ところで、国沢氏が書いた試乗記事では「特設の試乗コースで」「
公道を模した」という文言がまれに見られる。しかしその記事の中には、どう見ても一般公道を走っているとしか思えない写真があり、そこでは真横を向いたり、ラインオーバーしているのだ。これは明らかに一般公道で法規を破って試乗をしていることをごまかすための表現であろう。(最近、ホンダ技研のフィット塾のアリアの試乗時の写真が公道であることがホンダ自らの見解として明らかとなった。下の写真では明らかに通常ではありえない走行ラインをとっているのが分かるし、何より路面やガードレール等の状況から、確かに公道のようである。)

補足:後日、2ちゃんねるにおいて、この撮影場所がお台場であるという客相の電話の録音テープが公開されてしまった。
…意外だったのが足まわり。コントローラブルな限界特性や、ワインディングロードでのハンドリングなどフィットと大差なし。でも乗り心地はハッキリとアリア良い。(略)

快適な乗り心地なれど走りも楽しいアリア。タイヤサイズは175/65R14で、フィット のように15インチの設定はない スペックに変わりはないがデビュー当時から比べると乗り心地がよくなっている。 タイヤサイズはアリアと同じ175/65R14 サスセッティングが1.3リッターと少し違うものの、それほど差はない。試乗車は185/55R15タイヤを装着。一段と楽しい走り

フィット塾より引用)
また国沢氏の令嬢が自動車免許を取得するにあたり、踏み切りで一時停止して左右確認するよう指導を受けた際、彼女は「え?そんなことするの?」と驚いた日記を書いた。それを受けた国沢氏は「ワタシはいつも完全停止の上窓をあけて『右よし!左よし!』と指差確認しているのになあ」と日記に書いたのである。 さすがにこれはジョーク以外のなにものでもないが、公道での暴走に限りなく近い試乗や飲酒運転に関しても、同じように自らの保身のために「俺はちゃんと法律を守ってる」という表現をしているのだ。

そして今回も、
彼は自分を「法を守る清廉潔白な人物」にしておきながら、自分と同じはずの「道徳心の強い、法を遵守する人」の意見には真っ向から反対し、「法を守れない人間」の立場にたっているという、実に奇妙な議論展開なのである。

さて、国沢氏(と小沢氏)が飲酒運転の規制強化について批判する意図であるが、 彼はもちろん飲酒運転を肯定しているわけではない。 本質はただの反体制思想、いやこの件に関してはもっと幼稚であって、 オモチャ(飲酒から数時間経っての運転)をとりあげた大人(警察)への反発である。 要はただの
いちゃもんなのだ。それゆえ、まず批判するという目的と結論があって、それに(屁)理屈を肉付けしている形をとっている。警察を叩けばとりあえず読者受けはするのだから、書く側としてはこれほど楽なネタもあるまい。

もし公式に反論できる材料があるなら行うかもしれないが、悲しいことに彼は自分が正規の手順を経て意見・抗議する材料も技量も持っていないことを知っているのではあるまいか。それゆえ彼に出来る精一杯の抵抗は、自分の書く雑誌の記事やWEBページ、掲示板で愚痴を言うことだけなのである。

ところで国沢氏の掲示板での読者の大半は社会のルールについて話していたともいえる。 社会で守るべき最低のものは憲法、その上に法律がある。そして更に上にルールがあって、一番上がマナーとなるだろう。少々強引に言えば、0.15mgで違反(罰則)となるのは法律なのだが、「少しでも飲んだら乗ってはいけない」というのはルールともいえる。
恐らくルールを守れる人は法律違反を進んですることはない。今回の飲酒運転の件のようなケースでは、法律はルールを守れない人に、ルールを守らせようとするための規則(罰則)とみることができるのだ。
そんな条件で、ルールの話をしている中に、罰則を策定した組織へ文句をいいたい人がいたら議論が食い違って当然である。しかも国沢氏は組織の批判へと誘導する方法が誠に下手糞である。その最大のものは、上に書いたように、自らの保身のため自分を清廉潔白な人間と偽ってしまっている点であろう。

少し脱線して、罰則の法律が無く、道徳や社会ルールのみ支配される分野において今回の国沢氏の発言をあてはめてみよう。(現在、日本に姦通罪はない)

「俺はもちろん浮気も不倫もしない。でも一時の過ちや風俗ですら駄目というのは非現実的だろ?ここではせめてみんなの本音を聞きたい」

これでは非常にいやらしい感じとなる。自分の本音は「あわよくばエッチしたい」と思っているにも関わらず、世間体を意識して自分を綺麗に装っているだけ、というのが誰の目にも分かる。
これが「俺は不倫はしたくない。でも非常に魅力的で自分に好意をよせる人が目前にいれば、少し決心が揺らぐかもしれない。みんなはどうか?」というのであれば、まったく違う印象となるであろう。

今回、もし彼が「これまでの自分の生活では飲酒後6時間程度で「完全に醒めた」と判断して運転することもよくあったので非常にキツイ。当然これからは守らなければいけないのだが、皆はどうだろう?」 とでも書いていれば掲示板での意見も違ってきていたのではあるまいか。
自分が本音を言わない限り、相手も本音を言うはずがないではないか。
この節での結論らしきものは敢えて書かない。1〜5章で既に彼の直すべきところは語り尽くしたと思っているからである。ただ唯一、付け加えるとすれば、「自分を必要以上に綺麗に装うのは、おやめなさい」ということである。



付録として、2ちゃんねるの方々が探してくださった血中アルコール量に関する一次引用元の明らかな資料を紹介することにしよう。名も無き方々に、ここであらためて感謝したい。

読者諸氏も、くれぐれも「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」を守るよう心がけられたい。
参考資料URL及び引用
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