6-15 相談の受付を終了します -もう飽きちゃいました?- |
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● 「本当にいいんですか?」 1990年代前半頃まではマニアの玩具のようにも思われてきたパソコンだが、Microsoft WindowsというGUIインターフェースの登場、PC-98x1の牙城を崩すべく富士通やAppleのとった低価格普及機戦略などもあいまってだと思うが、1990年代半ばよりパソコンは急激に普及していった。 だが、パソコンが好きでしかたなく買った人はともかく、仕事で使うためやむをえず買った人、なんとなく流行りらしいので買った人にとって、パソコンとは珍妙極まる代物である。使えば何かができるということは理解できているが、それをどう使えばそうなるか、買って机の上に置いておくだけでは分からない。他の家電機器のように、マニュアルをちょっと見ればとりあえず使える、というものでもない。 当然、詳しい人に聞くか、サポートに頼ることになる。 そんなこんなで、1990年代半ばから後半、PCのサポートには実に様々な質問がよせられたようである。この頃、「サポートセンターの秘密」というサイトが開設されている。 顧客の勘違いや失敗を公にさらして笑い飛ばすという行為には多少疑念が沸くのだが、それはさておき、ここによせられたサポートセンターの方の話の中には、「いくら何でもネタじゃないの?」と思ってしまうものもある。 また、パソコン教室などでの笑い話も聞いたことがある。例えば、「マウスを画面の左下に移動させてください」と言えば、「こうですか?」と、マウスカーソルではなくマウス自体をモニタの左下にくっつけた人。 パソコンが何の入力も受付けなくなった、と質問してきたため、 「ではパソコン本体をいったん落として再起動してみてください」と言えば、 「あの、本当にいいんですか?」 と答えるので 「いいですよ」 「壊れませんか?」 「それくらいでは壊れませんよ」 「あの、では何センチくらい上から落とせばいいんでしょうか?」 と言ってきたので、質問者が何を勘違いしているか分かった、という話。 だが、これらがネタとは言いきれない。実は筆者もPC初心者に教えた経験がある。 とある事情で、社内講習として講師となってパソコンの基本操作を教えていた時のことである。ソフトウェアのインストール方法も希望されたので、「じゃインストールをやってみましょうか。といっても難しくありません。CD-ROMをパソコンに入れると勝手にインストール作業が開始されます・・・(この間、講師席で実際のオペレーションをプロジェクターで説明)・・・では、やってみましょう。まずは実際にCD-ROMをパソコンに入れてみてください」と言って、やってもらおうとした。 しかし、その最初からつまずいている方がいた。その方はCDケース(ごく普通の音楽CDなどにも使われているアレ)を開けられず、ケースのあちこちを押すわ引くわ、爪でこじ開けようとするわ、あげくケースの角を机に叩き始めたのである。 まさかCDケースの開け方をご存じないとはこちらも思っていなかったので、最初その方が何をしているのか理解できず、数秒して気がついた。 慌てて近寄って、CDケースの開け方を教えたが、その次もまた分かっていなかった。どうやったらPCのCDトレーが開くかも分からなかった(説明を聞いていなかったという方が正しい)。そしてCD-ROMのレーベル面を上にして入れなくてはならない、ということも分からなかったのである。彼にとってみればレコードは両面式だし、カセットテープもそうであるから、どちらを上にしたって何かは読めると思っていたのであろう。CDケースの開け方を知らなかったという時点で、筆者はこれも予測すべきであった。 また、他のある方は、ダブルクリックを説明すると「その間隔は零コンマ何秒ですか?」と聞いてきた。このような質問をする方には「普通にカチカチと・・・」と説明しても無意味である。擬音などを使ったりした感覚や直感では理解できないのだ。 そこで具体的にやってみせたりと、Try&Errorを繰り返してやってみるのだが、彼は筆者がプロパティでタイミングを最大としてあげてもダブルクリックができなかった。だが最後の最後にたった1度だけできた。その時の彼の笑顔が筆者は忘れられない。 普段それを使っている人には何でもないことでも、最初に触れる方は、かくも混乱と思考錯誤をしてしまうということが、よく分かった講習であった。 パソコンに限らず、どの分野においても初心者の方に教えるには、かなりの労力と、そしてコツが必要である。 前述のマウスの事例においては、「マウスを机の上で動かして、画面上のマウスカーソルの矢印が左下にくるように」と言えばよいし、電源も「いったんパソコンの電源スイッチを切ってください」と、誰も誤解しないような表現で言えばよかったのである。 またよくあるのが、本人も理解不足であるため、質問自体が意味不明な場合もある。これも、再度聞きなおすなり、意図を汲み取るなりしなくてはならない。 これらのコツを元来持っている方もいるであろうが、多くの方は経験から得られているのではあるまいか。 ところで、PCなどのサポートについては、多くの企業で外注を雇うところが多い。 しかしこれはコスト的には有利だが諸刃の剣である。なにしろスキルの低いサポートでは、質問者を不快にさせ、その結果、そのメーカーにマイナスイメージを持つこととなる。当然リピーターとなる可能性が薄くなる。 また外注も、残念ながら愛社精神があるとはいい難いし、更に「所詮は期間限定の派遣のやっつけ仕事」という意識があれば、その場逃れの回答が多くなる。そのため、すぐ「再インストールして下さい」とか「相性なのであきらめてください」と言ってしまうのではあるまいか(その対処しかない場合が多いのも事実なのだが)。 もしサポートを本気でやろうとするならば、「次も買ってもらえる」ための、戦略的かつ営業的意味のあるサポートをすべきであるのだが、これも、コストを考えればただ時間をかけて手厚くサポートすればいいというものでもない。悲しいかな、サポートはそれが直接利益を生むものではないため、予算枠が厳しいことが多いのである。 ゆえに、サポート担当は本来最少の時間で最大効果を得られるようにしなくてはならないという、地味に見えても難しい業務なのである。 |
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● 40歳過ぎたらボランティアしたい 国沢氏がそのそもWEBを始めたのは、ご本人いわく「困った人を助けたい」というボランティア精神からだった。kunisawa.netには、当初「このHPの趣旨について」というページが存在した。2003年12月をもってこのページは削除されてしまったのだが、これをweb archiveより引用しておく。 元はどうやら、雑誌のコラムに、ニ号にわたって掲載されたもののようである。 |
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「出版物」というメディアには限界があると思う。例えば中古車買おうとして先代セルシオの試乗記など読みたかったとする。当時のベストカー探せば、入念に紹介されていのだけど、困ったことに雑誌のバックナンバー探しほど手間の掛かることはない。第一、その本が残ってなければアウトでしょ。残る手は二つ。古本屋サンで当時の雑誌を見つけることと、中古車雑誌の特集になる祈ることだ。いずれも大変でんな。 情報などもそう。雑誌で紹介するには、公共性がないとイケナイ。読者の1%しか感心無い内容だと、やっぱり取り上げにくい。安くて上手な修理工場などもベストカーで紹介したらどうか。一時的に混雑して迷惑掛けるだけ。個別の対応も難しい。磨き屋サンなんかもそう。そこで考えた。とりあえず流行のホームページなど作ってみようかと。インターネットなら出版物と違い、データを恒久的に残しておける。 早速チェックしてみたら、同業者でホームページ持ってる方は非常に少ない。ヤフー(ホームページを検索するための辞書みたいなもの)で探したトコロ大先輩である津々見友彦兄くらいしか見あたらないのだ。500人くらい居たら止めようかと思ったが、この業界なら二人くらいホームページ持ってていいんじゃないか、と思う。準備&構想2ヶ月。やっとブブン営業を開始しました。といってもタダですけど……。 内容はクルマの試乗&紹介記事や、業界ニュース、Q&Aなど。といってもコレまで書いてきたクルマの記事は膨大にある。初代セルシオからデータで残っているのだ。もちろん輸入車も大量にストックあり。これらをイッキにダウンロードするのは大変なので、リクエストあった順から掲載していきたいと思う。相当オタッキ〜なモデルでない限り対応可能。裏ネタなども披露出来るかもしれない。 ということで読みたいモデルあればワタシ宛メールを。また、クルマの買い方から修理方法、メインテナンス、警察とのトラブル等々、何でも聞きたいことあれば、同じアドレスまでどうぞ。Q&Aのコーナー作って可能な限り答えたいと思っている。最初のウチはページ数少なくて寂しいかもしれないけどね(90年〜95年にデビューしたモデルは、5インチのディスクからデータ出すので少し時間掛かる。御免)。 ちなみにインターネットの将来性だが、個人的には「大いにある」と思っている。8月に開設された津々見サンのホームページは延べ2万件近い”読者”がいるし、新車の販売も始まるらしい(アメリカは急増中)。もっと細かいところでは、プリウスユーザーのホーメページなど見ると、雑誌に書いていないような情報も。ま、出版物のように整理/厳選された内容でないため、信頼性という点で問題多いけれど。 また、メールでもらった情報のウチ、面白そうな内容は雑誌で取り上げることも可能。ワタシらみたいな仕事してても、知らないことは一杯ある。たくさんの情報を得られれば、正しい道も見えてくると思う。 引き続きインターネットのハナシなどしたい。先号はすでにインターネットを使っているヒトのための情報であった。しかし「興味あるけど……」というケースも多かろう。かくいうワタシでさえ1ヶ月前まで、ほとんど関心なかったのだから。実際、そんなモンなくても生きていけるし、仕事に差し障ることもない。果たしてインターネットでナニが出来るのだろうか? 例えばボディに小さな凹みが出来たとする。普通、知り合いの修理工場で板金塗装してもらうか、修理費を聞いて高ければガマンして乗るしかない。ま、デントリペアという安価で確実な方法もあるけれど、どこでやってくれるのか解らないし、ネダンも解らないとくる。雑誌で紹介してくれればいけど、同じような記事を何回も掲載するようなことはないもんだ。 交通違反でキップを切られたとする。ま、納得できる違反なら、ツベコベ言わず反省し、反則金払うのが正しい国民。でも昨今の警察ときたら、てんで信用でけん。かといって裁判やろうとしても、どうやっていいのか不明でしょ。そんなことから大人しく反則金払うことになってしまう。交通事故の時の賠償や示談などについても同じ。個人が仕入れられる知識は、あまりに少ない。おそらく損をしてることが多いハズ。 インターネットをキチンと利用すれば、こういった問題を全て解決出来ると言って間違いない。最初の凹みの件。やがて以下のようになると思う。例えばワタシのホームページでメインテナンスのコーナーを見る。すると板金修理の他、デントリペアという方法もあることが解る。ここで予算や、修理出来る場所と出来ない場所あるという情報も得られる。さらに”信頼出来る”業者リスト見て、そこに連絡すれば無事解決。 交通違反はもっと面白い。交通裁判って、特別弁護人制度といういうものがあり、弁護士の資格を持っていなくても弁護出来る。納得できない取り締まりを受けたなら、状況を例えばワタシのホームページで公開。一方、法学部の学生にとっちゃ、特別弁護人をするというのは素晴らしい勉強になる。ホンモノの法廷に立てるのだから。 ホームページ見て「こら面白そうだ」という違反あれば、名乗りを上げて特別弁護人になればいい。大学で講義受けるより、はるかに内容濃い勉強になるだけでなく、卒論のテーマとしても面白いだろう。交通違反も同じコト。軽い事故なら様々な前例で解決方法解るし、標準的な賠償金額等も決められる。大きな被害を受けた事故なら、弁護士が立候補してくるだろう。弁護士も仕事見つけられるのだ。 といった具合で夢のようなインターネットながら、残念なことに現状じゃ難しい。理由は簡単。まだ情報が圧倒的に不足しているためである。インターネットのホームページは雑誌のようなもの。したがって普通のヒトだと情報量が圧倒的に不足しており、正確さに欠ける。加えてお金儲けを狙っているヒトがあまりに多い。お金に負けると、もはや正確な情報と言えなくなってしまう(※11)。 ただ将来性はあるし、絶対みんなの役に立つメディアであること間違いない。そこで決心したのだ。ムカシから40歳を超えたら何かボランティアしたい、と考えてきた。だからPTA会長など引き受けたのである。同じくクルマ社会にもボランティアしたいと思う。少なくともワタシのホームページは、いい加減な情報を載せないので期待して欲しい。コンピューター買ったら見に来てね。 (web archiveよりkunisawa.netを検索して引用、文字色・文字修飾は筆者が実施。 ※は筆者が追加。誤字脱字は原文ママ) |
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この文面をそのまま見た限りでは、目的自体にやましいところはないように感じる。 しかし、彼はインターネットの黎明期からその思想に触れていないためか、またパソコン通信暦が長いはず(※)なのに、この時点で極めて重大な勘違いをしている。 (※)ご本人いわく、1986年からNiftyの会員であったそうであり、2003年になってもまだIDを持っているようだ。しかしそれでいて1999年半ばまでInternetに何の興味もなかったというのは少々疑問であるのだが・・・幽霊会員であったのであれば話は別だが。 インターネットは米国での軍事用ネットワークに端を発し、研究されてきた。日本ではJUNET(1984〜)という名称で大学や企業の研究所を中心として電話回線でのUUCP接続で行われてきて、完全に非営利であった。 このJUNETでの主な相互交流は、主にNetNewsという仕組みで行われていた。そこでは各ジャンルに分かれ、活発な議論が行われていた。NetNewsでは参加者はメアドが必須、また学生や企業の研究者などを問わず完全にボーダーレスであった。 だが、WIDE(1988〜)がNifty-Serveと接続された頃(1992)からその概念は揺らぎ始める。この時期の混乱はどういうものであったか、興味があれば調べてみられるとよい。 加えて、JUNETが解消(1994)し、プロバイダが登場した頃から、国沢氏の言うところである「自分に責任をもたず放言を繰り返す者」や「私利に走る者」が目に見えて増え始めた。 そのため、これまでJUNETにて活発に参加していた者も、個人でプロバイダ契約をしたら匿名またはハンドルを使用するようになってしまったのである。かくいう筆者もその1人である。なにしろ身近に、NetNewsでの言い争いが元で所属組織の大代表宛に脅迫が届いた人物がいるのだ。その方はNetNewsである人物を諫めただけなのだが・・・。 閑話休題。そもそもInternetは垣根のない自由な情報通信を目指したものである。 筆者も1994年初頭頃よりWWWに触れているが、URLを指定すれば、全世界のどの国のサーバーにもアクセスできる、というのは本当に驚きであった。当時は教育機関や研究所のサイトばかり(しかも英語)であったがそれでも将来性を垣間見せるには十分であった。 丁度そんな1994年秋、WIDEから派生したIIJが個人向けにダイアルアップ接続でのサービスを開始し、プロバイダも雨後の筍のように出現し始めた。同年のJUNETの解散もあってJUNETにて活動していた方々は個人でプロバイダと契約し、次第に各個人がWEBページを持つようになってきたのである。 ちなみに、この頃のWEB黎明期の日本全国のWWWサーバを紹介したページが残っているので紹介しよう。WWW Services in Japan がそれである(注:リンクが無効なものも多いので、前記ページ中のリンクURLはクリックしないが吉)。このページができたのはまだ日本にYahoo!などない頃(確か1995年頃)で、筆者にとってはこのページが日本のWEBサイトを調べる唯一ともいえるリンク集であった。このページのお世話になり、「懐かしい」と感じる方も多いであろう。 黎明期ですら、日本にはこれだけのWEBサイトがあったのである。 ちなみに、この中の日産自動車株式会社を見ると、ドメインが「http://www1.sony.co.jp/NISSAN/RASHEEN/」となっており、筆者がかつて国沢氏の掲示板で述べたように、SONYのドメイン内に存在していたことが分かるであろうか。 日本でWEBが歩き始めた頃は、このようなこともあったのである。知っている方には古きよき時代に映ることであろう。 1995年1月の阪神淡路大震災の際、神戸大学の研究室がInternetでリアルタイムに燃える神戸の画像を発信していたことなどが報道され(筆者もその画像を見られる環境にあった1人であるが)、Internetは急速に知名度を増した。WEBページの作り方などの本も山ほど出版され(程度の低いものもあまりに多かったが)、1997年初頭にはすでに必要にして十分な数のWEBコンテンツが素人達の手によって作られていた。 いくつか例を挙げると、東京トイレマップという東京における公衆トイレを紹介したページがある。一見くだらなそうではあるが使い方によって有効なこのページの開設は1996年1月である。WWWのイロハを紹介したとほほのWWW入門の開設も1996年。かなりエンスーな車のページでもこの時期に開設されており、世界最小のスーパーカー(笑)AZ-1のページの開設は1996年。そういう状態であるから、ラーメン屋やスキー場、温泉ガイド、TDL攻略法などは既にいくつも存在していた。(余談だが、筆者が最初のWEBページを開設したのも1996年である) その後、WEBが単に情報や交流ページとしてだけではなく、個人や素人でも企業と対等に渡り合える手段である、という認識が生まれる。それがあの「東芝クレーマー事件」であり、これは1998年末に発生、翌6月に大騒動に発展している。ディーラーに修理に出した車(MR2)が、なぜか修理すべき箇所以外まで修理され、醜い姿で返って来た(ディーラーに預けている間にどこかぶつけた?)ということをWEBで告発した「ネッツトヨタ真実の行方」騒動も同じ頃である。 国沢氏がWEBページを開設したのは1999年11月。この時期は既に2000年問題のおかげで、ありとあらゆる企業が−主要な企業は例に漏れず−2000年問題についての情報を自社のページで紹介していた。いや、逆にInternetを使わなければ2000年問題の情報は満足に入手できなかったと言ってもよい。加えて、東芝事件、ネッツトヨタ事件などのように、素人個人の力でもInternetを使えば企業(公の報道)に勝ることすらあるという認識が生まれ始めた頃である。 このような状況下で、「インターネットには情報量が圧倒的に不足している」とか「素人の情報は信頼できない」と言うのは、客観的に考えても検索能力不足か客観的認識不足、または読者を騙しているだけであるとしか言いようがない。実際には、不足していたのは得たい情報を検索するための手段だったのである。 また、彼は所詮素人と馬鹿にしたような書き方をしているが、例えばアーシング1つにとっても、アーシングに特化したページではベンチをとってまで検証している。 他方国沢氏が誌上でやったことは、あてにならないパーシャルスロットでの実車での加速タイムの測定(しかも測定装置の精度も不明)のみ。この1点のみでも、素人の方が検証能力が上であることは言うまでもない。 ここに垣間見えるのは、国沢氏の根拠なき自尊心である。 おそらく「インターネットは所詮素人だらけだ。そこに俺が入っていけば、きっとちやほやされるに違いない。雑誌では巨匠たちにかなわないが、こっちでは俺が一番になれるはずだ」と思ったのではあるまいか。 しかし、これが大間違いの元である。Internetは本質的に階層のない誰もが平等な空間なのである。であるから、たとえ専門家であろうと素人のツッコミを受けるし、受けなくてはならない。また素人といえど、特定分野に関しては専門家などよりも遥かに詳しい人物はいくらでもいる。それらの不特定多数の人物の情報量の総数に真っ向から勝負を挑むことになってしまうのである。 彼はInternetの参加者をなめきっていたのだ。 それまでインターネットを支えてきたのは、そのほとんどが大学(しかも修士・博士課程多数)・民間企業の研究職の方であった、という認識さえあればインターネット参加者をなめるようなことはしなかったかもしれない。 それにしても、上の文章からは、国沢氏の「情報の中心になりたい」という願望がひしひしと伝わってくる。このように個人で壮大な目標をたててしまった場合、そのページは大抵は全般的に話題が浅く、拡散してどうにもつまらないものになり下がるのが通例である。現在の国沢氏のサイトを見れば、その原則があてはまっているかどうかは明らかであろう。 |
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● もう質問なんかしてくるな こうして始まったkunisawa.netであるが、その中での騒動は既に書いた通りである。 目に見える最初の騒動は開設から2ヶ月で発生し、その後も断続的に続いた。これらの騒動のさ中に、彼への相談がどれほどよせられていたのかは分からない。 そして強硬さを次第に増して行くkunisawa.netは2003年の末、運営方針に大きな転機が訪れた。12月30日のミニコラムにて、国沢氏はこれから(読者の)相談は受け付けないと明言したのである。 |
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12月30日 Webサイトを始めて3年少々。いろいろ思うことがあります。 当初の目的はこのページの最後にもある通り「困っている人を助けられたら」というものでした。実際、クルマの不具合や違反、事故で困っている人からメールを多数頂きます。その度、クルマの不具合であればメーカーにコンタクトを取って確認してもらったり(チーフエンジニアが直接対応してくれることも珍しくありません)、保険屋さんや弁護士に聞いてきました。 ところが経過は惨憺たるもの。クルマのトラブルに付いて言えば、使い方に問題あったり、カン違いや過度の過敏症ということも少なくありません。クレーマーのバックアップをしそうになったことすらあります(幸いギリギリで回避出来ました)。 直接会って話をするという人間関係じゃないネットの難しさを痛感した次第。いや、難しさを痛感しているだけならいいのですが、こんなことばかり続くとキチンと対応する気まで無くなってしまいます。 ということでクルマの不具合や事故、取り締まりについての相談を終了させていただきます。 その代わり来年早々、お互いの顔が見えるもっと濃くて役に立って楽しめる関係のネットワークを作りたいと思っています。 (kunisawa.netより引用、改行位置変更) |
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突然かつ一方的な終了宣言といってもよい。しかも、自分にはまったく落ち度はないという認識である。 この書きこみ後、国沢氏個人宛のメイルアドレスへのURLには「仕事のメイルはこちらにお願いします」となり、上記の「このHPの趣旨について」も消え去った。彼の「困った人を助けるため」という理想は、過去のものとなった。いや振り返れる過去ではない。彼のページから綺麗に消え去ってしまったのである。 では、このようなことになってしまったのは、一体なぜなのであろうか? その原因の多くは、彼が言うように質問者にあったのではなく、彼自身にあったと言わざるをえない。しかもそれは、政策面と資質面の両方に存在するのだ。 |
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● 相談とはなぜ発生するのか まず、政策面として国沢氏にまったく欠けていたのは、この「相談ごと」の原点についての分析である。 ある人物が、何か困ったこと、悩んだことなど(以下、これをトラブルと定義する)があって、他人に聞こうとする場合、一体どういう内容が多いのであろうか。 質問のほとんどを占めるのは言うまでもなく、「無知からくる疑問」であろう(この場合の無知は悪い意味で使っていないので注意)。 子供が親に「どうして〜なの?」と聞くことがまさにこれである。 ただし、この「無知」にはレベルがあり、マニュアルなどにも記載されていたり、普段自動車を使っている人であれば常識的なものから、工学知識を持っていないと理解できないほどのものまで様々である。 そして、質問は、トラブルの解決方法はもちろん、解決への筋道も分からないから発せられる。専門知識が多少なりともあるということは、それらの知識修得手段をいくつか知っているということでもあるため、トラブルのレベルが高くなるほど質問数は減少する。 逆に、トラブルの解決方法が分からない人は、その方法を含め質問することになる。 このため、無知のレベルが低いほど質問数は増え、かつ内容は簡単なものが多い。 つまり、質問というものは、「内容が簡単なものほど数が多く、複雑なものほど少ない」という傾向にあるのだ。 そこで国沢氏であるが、彼は、「よろず相談受付けます」と公表することには大きなデメリットが存在する、という意識がまるで無かったとしか言いようがない。 なるほど、「困った事があったら何でも聞いてね」と言えば、相手に対する自分の株はあがるであろう。 ただ、これがアイボール圏内コミュニケーションの場合は、相手が自分の圏内に入ってこないと成立しないし、それなりに気を遣うため、実際にはかなり困ったことがあっても、そうそう気軽に頼るということもないと思われる。 だがインターネットは距離と時間を無くしたコミュニケーションが可能であるため、相談するきっかけも頻度もアイボール圏内での相談よりも高くなると予想される。 加えて大半の人にとって国沢氏はまったくの他人なのだから、しがらみもない。 当然ながら、「なんでこんなことまで」という質問が増えるのは、結果としてしかたがないことなのである。 また、筆者がこれまで何度も指摘しているように、彼の文体は名詞や助詞の省略、変な例え、話題の飛躍などで文章がぶちぶち切れているため、真の意味をとろうとすれば読者が個々の灰色の脳細胞を使って補完しなくてはならない。そのため、何が言いたいか分からないことも多い。 だが、あまり文を読んで「考える」ということをしない人にとっては、国沢氏のようにコマ切れ状態になった散文を少しずつ理解していくのは、非常に簡単なのである。 というのは、小説や論文などをよく読み、長文読解等に慣れていれば全体を見て「この作者は何が言いたいか」を無意識的に考えてしまう。そのため、前後でつじつまがあわなくなりがちな国沢氏のブチブチ文体は我慢がならない。 しかしそれができない人にとっては、国沢氏の文のブチブチ切れる間隔は、ちょうど文を理解できる範疇に入り、それが飽和したらまた次の文(話題)となっているため、テンポよく意識の中に入ってくるのである。 当然、前後でつじつまがあいづらくなっても、全体を見るということなどしない(できない)ため、気がつかないか、気がついても疑問を理論的にまとめられない(そういうことをした経験が少ないため)。 また、彼の記事は論じ方が「まず結論ありき」で、それを証明するための誘導を行うという方式が非常に多いため、やはり文章の全体を見て総括するような癖のない人にとっては彼の文章は分かり易く感じるのであろう。 このような「考える」という癖のない人は、実はマニュアルすら読まずに製品を使う人が多いであろうことも事実である。そもそも国沢氏の執筆誌はベストカーとかカートップとかの、読みおわったら電車の棚に置いていかれるような雑誌であり、大半の方は「ただの暇つぶし」にすぎず、記名原稿ですら何の印象も抱かなくても当然(失礼ながら)なのだが、そんな雑誌を読んで国沢氏の文章に惹かれてファンになるのだから、読者の考察能力もそれなりの方が多いはずである。 もっとも、彼の記事はあまりにも自信たっぷりに書かれているため(それは自身の思い込みが激しすぎることが主原因なのだが)、そこに何か恐ろしい怪物のようなイメージが発生し、畏怖に似た感覚が生まれてコロリと騙されてしまう人もいるのであろうが。 加えて、彼は自分自身を「辛口評論家」と名乗り、かつ読者にウケがいいであろう行政・警察批判を好んでいるし、アングラ的な裏技?なども披露したりしている。これでは、読者少なからず「ちょっと強引な要求でもこの人なら何かうまい方法を知っているに違いない」と思っても不思議ではあるまい。 つまり、彼は「困ったことなら何でも質問して欲しい」という言葉の表現は言うにおよばず、それ以前の段階でも、ごく簡単な大量の質問や、回答に困るであろう人物(クレーマーもどき?)や内容(無理難題)をも呼び入れる素地を作っていたといえるのだ。 ● 質問を減らす工夫をしない怠慢 以上のように、kunisawa.netには繁雑かつ厄介な質問が寄せられる素地はあったと思われるわけであるが、ここまではしかたのない面もあって、具体的にとるべきであった対策は無かったに等しい。ゆえに国沢氏が失策をしていたとしても責めるべきではない。 だが、ここから当「小失敗の研究」の考察の主題ともいえるべき内容となっていく。 彼は「簡単な質問(ユーザーに問題がある)が多い」「クレームもどきが多い」と嘆いているのだが、では、そのような質問が多くなってきて、彼は何を対策したのであろうか?筆者が記憶している限りにおいては、
これは場合によっては確かに効果的な方法である。 だが、そのためには
まずFAQ集があると、何か疑問があればまずそこを見る方が増える。 そこで自分が疑問に思っていた事柄と似た質問があれば、そこを見れば解決するため、質問される側にとってみれば質問が減るし、質問しようとしていた者にとっても質問の手間も回答待ちの時間も省略されるため、一石ニ鳥のおいしさがある。 そのため相談を受け付けるケースが多いであろうサイトではFAQ集というものは絶対不可欠なものと言ってもよい。 次に回答者を増やす場合、回答者によって回答が違っていたのでは相談の解決にはならないし、特定の人物のみに集中して回答させるのも、回答者を増やすという目的には反することになる。そのため、あらゆる意味で均質となるように主催者はマネジメントを行う必要があるのだ。 これらの視点から国沢氏の対応を見ていくと、まずWEBページの構成自体がお粗末な代物であることは何度も述べて来たところであるが、3年の間にそれが改善される兆しはまったくと言ってよいほど無かった。更に、当初より作成すると明言していたFAQ集のようなもの(設けると言っていた質問コーナー)も同じく設置されなかった。 まああえて言うなら「知っとくと便利」等なのであろうが、国沢氏はタイトルですら遊んでしまっているので読者は中を読まないと何について書かれているか分からないという不親切さである。FAQなるものは、何はなくとも最初に見つけ易いものでなくてはならないのがセオリーであるため、国沢氏はこの点で完全に落第である。 唯一、質問のFAQ集らしきものを作成したのは、大学院生と名乗る人物の質問メイルを無断で掲示板に掲載し、常連に袋叩きさせた醜い行状の際の質問と常連の回答を残したものであるが、これにせよ、掲示板のログの氏名(ハンドル)などのヘッダをとって並べただけというものであった。FAQなるものは回答も必要最低限なものを抑えて極力文章を減らすのが定石である。回答内容の重複はもちろんのこと、質問者への嫌味などまで含んだ生ログをそのまま掲載するようではFAQ集の体裁をなさない。 つまり彼は、「相談を受付ける」立場にある人物(組織)であれば必須であるべきページを最後まで作らなかったことになる。 これでは運転免許のない自動車試乗ライターのようなもので、まあ絶対にできないとは言わないが、かなり無理があることは確かなのである。 次に人的資源であるが、彼がやったことは、掲示板で有志の者をその分野の代表回答者に任命したことのみ、と言ってもよい。そして質問がきたら、しかるべき者へ丸投げするのみであったのだ。 掲示板サポートチーム等との会合はやっていたようであるし、その中に代表回答者も含まれていた可能性もあるが、質問への回答という面では、その成果はkunisawa.net上にてまったく現れていないように見える。いくら連絡を密にしてもそれが成果に出ないようではそのプロジェクトは失敗である。筆者としてはミーティングと称して酒宴をしていただけではないかと下衆の勘ぐりをしてしまうのだが。 こう見ていくと、本来であれば有効であろう対策を国沢氏はまったく有効な形で使ってはいなかった。 ここでもう一度上記の2通りの対策を考えると、有効に使う場合以外に、まったく対極の目的で使われることがあるということにお気付きになるだろうか。 それは「体のいい逃げ口上」である。 確かに「既に書いたから読め」と言えば、筋は通っている上に回答者の負担はない。「この質問は○×君に」というのも同様であり、刹那的に質問から逃れるにはうってつけである。 国沢氏がどういう目的で「自分のページを読め」と言ったか、掲示板に親方制度を導入したかは憶測の域を出るものではないが、状況からみれば、限りなく「繁雑な事象から逃れることが第一目的」であったと考えざるをえないのではあるまいか。 |
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● Q&Aをするにあたって必要な心がけ 次に国沢氏の、相談を受けるにあたっての能力について考察する。そもそも相談(Q&A)を受けるにあたって、何を心がけなければならないのであろうか? 以下は筆者のこれまでの経験(Net上での相談や実社会でのサポートを含む)から筆者が自分なりに得たコツを書いていくこととする。なおこれはあくまで筆者の考えであって必ずしも一般論ではないかもしれない、ということはご了承願いたい。 もし読者諸氏が何らかの相談を受付けなくてはならなくなった場合、内心では不安であろう。きちんと答えられるだろうか、クレーマーから質問がきたらどうしようか、などと心配してしまう人もいるのではないだろうか。 しかしうまくQ&Aをこなすコツというのは、特別な技術が必要なわけではない。ほんの少し注意すれば、誰でもこなせるのだ。その注意すべきことは、
最初から見ていこう。まず相談が来た、ということは質問者は何らかの心配事、不愉快な事象を抱えている。これを払拭し、すっきりとした気分にさせるのが回答者の役目である。 それはその事象を解決させることだ、と多くの方は単純に思うかもしれない。もちろん解決させることに向けて努力するのは当然だが、人の考えは千差万別であって、質問者にとっては問題と感じても、他の人(自分)は問題と感じないことはいくらでもある。 そのため、まず最初に自分の先入観を捨て、質問者がいったいどういう人で、どういう背景があり、何を考え、何を問題と思っているかを考える必要があるのだ。その上で、解決するための材料を極力集めなくてはならない。 仮に「エンジンがかかりにくくなった」とだけしか書かれていない質問がきたとしよう。この場合、多くの方は「バッテリーを交換してみよう」と回答する。 が、それは解決案の回答としては正しいが、解決プロセス上の返答としては正しくない。 ここでまず回答者がすべきは、質問者に情報の整理をさせ、かつそれらを入手することである。つまり、この返答としては、 「そのような場合、まず一番考えられるのはバッテリーのヘタリですが、ご質問の様子だとそうではなく、他の原因も考えられます。車種・年式やバッテリー交換時期、オプションや追加電装品に何をつけているか、どこをいじっているか、など詳しく教えていただけますか?また毎回発生するのか、それともたまになのか、などについても教えてくだされば、お力になれるかもしれません。お願いします」 というように、質問者に状況をもう一度冷静に整理させる必要がある。 そうすると、例えば、電装品をDIYでつけた時にバッテリーターミナルの締め付けが甘かったとか、エアコンや大出力オーディオのスイッチを常時いれっぱなしだとか、実は古い車でキャブがカブっているとか、単純な問題であったということは発見しやすい。 これを怠って、「まあバッテリー交換してみろ」だけだと、バッテリーは新品だった場合など、質問者は「そんくらい分かってるわ!素人と思ってなめてるのか」と、不快に感じる可能性がある。心当たりのある方も多いのではないだろうか。 次に、得た情報を整理し、原因及び解決方法を考える。ここは本人の技術知識や判断力、情報量、根気などが関わってくるのだが、これらのファクターのレベル差はさほど重要ではなく、それに向かってどれだけ努力をしたか、ということが肝要である。何も調べずに「そりゃ無理です」と回答するのと、調べたあげく「分かりませんでした」という回答することの違いは、質問者は感覚で察知できるものなのだ。 最後に、−これが重要なところだが−質問をうまくクロージングする必要がある。 解決策が見つけだされた場合は、それを答えればいいのだが(答え方の工夫も必要だが)、そうではない場合には、「それは無理だ」と軽く答えてしまってはダメである。 ここにサポートの最大のコツがあるのだが、 解決しないということを教えるのではなく、解決しないことを納得させるのである。 これにはあらゆる方法があるのだが、しつこそうな相談者への1つの方法としては、例えば「これはナイショなのですが、実は・・・らしいので、それで無理なんです」というように、相手だけを特別扱いしたような返答をするのだ。 これはかなり効果があり、たとえ解決しなくても何らかの得るものがあれば(ましてそれが特別なものであれば)、質問してくるほどの問題が、我慢できる程度の問題に変貌し得るのである。(当然問題の程度によるが) このように、多少のコツはあるが、相談を受けるにあたって必要な能力は単純である。 問題の解答を見つける能力はむろんとして、それ以外の重要なファクターは
● 不適切な回答の数々 では、国沢氏にこれらの能力は備わっているといえるのであろうか? 実際に彼が行った相談への回答例で検証していくこととする。まず、以下はオートバイテルというサイトでの車の購入相談での、国沢氏の回答である(現在、この購入相談は行われていない)。 なおこれらの質問と回答はすべて2ちゃんねるの過去ログからの二次引用である。 |
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●MR-S、アコードユーロR、アルテッツァで悩んでいます。 37歳会社員男性です。ヴィッツに加える2台目のクルマで悩んでいます。私用のクルマなので走りにこだわってみようと、MR-S、アルテッツアRS、アコードユーロRで考えています。走り、乗り心地、デザインについては、 MR-S Vエディションシーケンシャルシフトが、ベストチョイスだったのですが、いかんせん荷物がのらないので、ちょっとした旅行すらヴィッツでと割り切る必要があると思っています。それで、スポーティセダンもターゲットに入れて考えています。
(東京都・N. Seichanさん) 良いクルマ、という判断基準で選ぶなら圧倒的にユーロRだと思います。気持ちよくエンジンは回るし、ハンドリングも良好です。楽しいクルマ、という判断基準であれば、MR−Sも有力候補です。確かに実用性は低いですけれど、狭い室内のクルマに工夫しながら乗るというのも想い出深い経験になると思います。もし実用性を気にしすぎた結果、MR−Sを断念するというのであればもったいない話だと思います。 一度くらいミッドシップ2シーターに乗るのも悪くありません。また、もし輸入車でもよければ、プジョー206あたりを考えてみたらどうでしょうか?質問内容からすれば、理想に近いような気がします。 (国沢光宏相談員) |
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この回答は説明が不足し、かつ文章構成がよくない。 恐らくこれを見た多くの方が抱くのは、「ヴィッツを持っているから、セカンドカーは思い切り趣味に走ろうとしているのになぜヴィッツとかぶってしまうような206を勧めるのか?」という疑問であろう。「質問内容からすれば理想」と言ってはいるが、その理由をまったく書いてないので説得力が皆無である。お話にならない。 もしやすると、MR−Sの「しなやかな脚まわりが気に入った」ということで、安直にしなやか→ネコ足→プジョー、と連想したのかもしれないが、に、してもである。 更に、トランクを持たないMR−Sがどの程度不便なものか、にも具体的に答えていない。これではMR−S購入へ向けて背中を押すにはちょっと弱いと思われる。 更には質問者が箇条書きで要点を質問しているのだから、同様に箇条書きで回答した方が親切であるし、読者も要点を掴み易い。 というわけで、この場合の回答例としてはこのような形が望ましいと思われる。 (なお回答の内容に関してはあくまで例であって現実とは一致しない点も多々あることとお断りしておく。以下の回答例も同様である)
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● タイヤについて相談させてください。 パジェロ8年式のV6 3000に乗っております。現在履いているタイヤがミシュランのMud&Snowです。あるタイヤ屋さんで聞いたところによるとパジェロは純正のタイヤもMud&Snowなので気にすることはないという回答でしたが、タイヤの減りや性能について教えてください。このタイヤを夏も続けて履くか、H/Tに履き替えるかで迷っていますが、Mud&Snow は真夏の炎天下のアスファルトで使用しても溶けたりしませんか? また、そのまま夏も使用して、冬を迎えて雪道でスノータイヤとしての効力が果たして残っているのでしょうか?なお、僕のタイヤはMud&Snowですが、もしこれがスタッドレスだった場合の回答も併せていただければ幸甚です。宜しくお願い致します。因みにタイヤの山は9分程度です。(東京都 Deanさん) パジェロに関わらず大半のクロカンやSUVは標準でマッド&スノーを履いています。このタイプのタイヤは普通のタイヤより泥が詰まりにくく、凍っていない雪道なら走れるようなパターンを持っています。したがってパジェロもマッド&スノーで全く問題ありません。また、ミシュランはスタッドレスタイヤに近い氷雪性能を持つタイプや、標準タイヤに限りなく近い高速走行性能を有するタイプで何種類かラインナップしていますので、現在履いているタイヤを調べてみたらいいと思います。どのマッド&スノーであっても、真夏の炎天下も問題なく走ると思ってください。夏に走りこんでも溝があれば、スノータイヤとしての効力も十分です。ただし、スタッドレスタイヤの場合は、マッド&スノーより舗装路での性能は劣ります。 (国沢光宏相談員) |
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この回答は同じく説明不足で文章構成も悪く、おまけに質問者の立場の考察が不足している。 上記の国沢氏は回答の文章の繋がりが非常に悪く、思いついたように説明している。そのため、言いたいことが十分に伝わらない可能性が非常に高い。知識があれば国沢氏が言いたいことは理解できるが、相談をした人(知識のない方)にとっては非常に危ない。 また筆者が気になったのは、質問者が「スノータイヤ」と「スタッドレスタイヤ」の違いを理解しているのかどうかである。知識があればもちろん別として考えるであろうし、質問でも両者を区別できているように見える。しかし、「冬でも大丈夫か?」という質問自体をしていることを考えると、スノータイヤに過度の期待(凍結路性能)を抱いているのではないか?と配慮した方がよいと思われる。 しかし国沢氏の回答では、「M&Sは夏でも問題ない」という項目が2箇所もあり、これだけでM&Sへの(過度の)安心感を与える。 さらには、「M&Sは凍結路以外はOK」と書いた後に「スタッドレスに近い性能を持つものがある」として読者に幻想を抱かせ、最後に「スノータイヤとしての効力も十分」とだめ押しをしてしまっている。これでは、質問者(及びこの回答を見ている読者)はその気がなくともM&Sの性能を過信しかねない。最後にスタッドレスは「舗装性能が劣る」とは書いてあるが、肝心の夏場の使用についての質問には答えていない。つまり、すべての質問に答えていないばかりか誤った認識をいだかせかねない回答なのである。 というわけで、この場合の解答はこうあるべきであろう。
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● レガシィ、インプレッサ、BMW3、アテンザの4台で迷ってます。 55歳で自営業をしています。 レガシィB4RSK、インプレッサWRX−S Ti、BMW3シリーズ、アテンザ この4台で迷っています。 私は以前BMWに乗っていてBMWもいいかなと思っているんですが街で他の車を見るとかなり迷ってしまうんです。 家族は4人ですので、当然、室内は広いほうがいいです。 (それを考えるとインプレッサはきつい気がしますが・・・。)それと燃費も気になります。 ロングドライブや山にもたまに行くので、長時間乗っても全然疲れない車やパワーのある車がいいです。 どれがいいでしょうか? (兵庫県・カズさん) 人生一度しかありません。もしBMWに乗った経験があり、それでも他のクルマに興味あるなら、いろいろ試してみたらいかがでしょうか? 長時間乗っても疲れないという点ではレガシィB4RSKだと思います。 パワフルですし、フルタイム4WDなので高速道路を走っているときの安定感からして違います(雪や雨でなくても4つの車輪に駆動力が掛かっている4WDは直進安定性が高いのです)。また、(独)ビルシュタイン社のダンパーを採用しているため、乗り心地も快適です。ぜひ一度試乗してみてください。 アテンザだって疲れるクルマじゃないです。コストパフォーマンスからすれば十分魅力的でしょう。個人的なおすすめはインプレッサです。ただし買う前に絶対試乗してください。おそらく「全然ダメ」か「こんなクルマが日本にもあったのか!」だと思います。 レガシィB4の試乗のときに乗ってみたらいいですね。おそらくイメージがガラリと変わるはずです。 (国沢光宏相談員) |
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この回答は質問内容を十分に汲み取れていないために不適切となっている。 質問者はインプレッサの室内居住性をかなり気にしているのに、その点について何も答えずに、限りなく手放しで勧めている。おまけに燃費についても答えていない。BMWについても何も言及していないところなど、彼の「BMW嫌い」が顕れている。またスバルに誘導しようとしながらも(まるでスバルのセールスマンのような回答に見える)、マツダへも媚びているような印象を受ける。 この場合は、例えばこのように回答すべきである。
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●ステージア、マークIIワゴン、アコードワゴンで悩んでいます。 ステージア250tRX、マークII2.5iRS、アコードワゴン24Tエクスクルーシブパッケージ。の3車種で非常に悩んでます。年数回家族でキャンプに出かけるため。 どうしてもステーションワゴンにこだわるのです。私の家は雪国の為、床の高さが1.8メートル(高床式)車庫なので、ワンボックスは入りません。 値段は大差ないと思われます。どれを選べばいいのでしょう? ちなみに室内が一番静かな車はこのなかのどれですか。 装備はあまりこだわりません。アドバイスお願いします。 (新潟県・nabeさん) 4WDを必要とするかしないかで大きく状況は変わります。もし4WDが必要なら、滑った時だけ後輪に駆動力を伝えるというシステムのアコードのみ若干評価低くなります。静かさは3車揃って国産ではトップクラス。良い勝負だと思います。ただ「もの凄く敏感」な方であれば、バランスの良い直列6気筒を搭載するマーク2がいいんじゃないでしょうか。 また、ラゲッジスペースの広さを重視すると、マーク2は厳しくなってしまいます。ラゲッジスペースの床面が高く、ステージアより完全に一回り狭いというイメージ。以上がスペック的な違いです。 もう少し単純に「良いステーションワゴンはどれか?」と聞かれたら、迷わずアコードワゴンとします。ボディはガッシリしており、エンジンもスムース。燃費は3車のトップ。エクスクルーシブパッケージなら装備が良く満足出来るんじゃないでしょうか。そうそう。雪道を走るなら『VSA』というスピン防止装置を装置をオプション装着してください。大幅に事故回避能力が上がります。 (国沢光宏相談員) |
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この回答では、質問の解釈と、説明の両面で失敗している。 まず質問者は「装備にこだわらない」と言っているのに、「エクスクルーシブなら装備もよく満足できる」という回答はトンチンカンとしか言いようがない。「室内が静かなのは?」という内容にもマークIIである、とだけ答えればいいのに、「でもラゲージが狭い」と聞かれてもいないマイナス面も述べている。どうにかしてアコードに誘導しようとしているのがみえみえの恣意的回答であろう。 それに、最初は4WDが必要ならアコードの評価は低いのに、最後ではVSAを装着すれば雪道は格段に安全だとしている。これでは読者は結局アコードが雪道に強いのか弱いのか分かず混乱する。VSAは24TのFFにのみオプションであることを知っていれば混乱はないし、質問者もそれは分かっているとは思うが、その他の読者に対しては不親切であろう。 おまけに、質問者は雪国に住んでいると書いてあるのに、雪道を走るならVSAをつけろとは本当に質問者の立場で考えているのかと疑われかねない。 (雪国に住んでいて冬に車に乗らない人もいるのかもしれないが。) これの回答としてはこのような形が望ましい。
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●ゴルフバッグがゆったり積めるステーションワゴンでおすすめは? 現在は妻と2人です。今後、子供が生まれても乗れる車を考えています。 ゴルフによく行くのでゴルフバッグも積めるステーションワゴンがよいかなぁーと思っています。 仲間とよく一緒に出かけることが多いです。 現在、候補に上がっているのがアルテッツア・ジータ、セディアワゴン、マークIIブリットです。 車には移住性、安定感を求めています。予算は税金など入れて200万〜300万。 また、他におすすめのワゴンがあれば教えてください。よろしくお願いします。 (東京都・JJさん) ご希望の予算内で売れているステーションワゴンというと、1位がレガシィ。2位ステージアです。 セディアワゴンも200万円以上の上級グレードの売れ行きは伸び悩んでいるようです。 したがって現時点でステーションワゴンを選ぶなら、上記2車にアテンザを加えた3車から選ぶというのが一般的だと思います。 もちろん欲しいクルマを買う、というのはクルマ選びの王道。 候補となっている3車も決して悪いクルマじゃないですから、最も気に入ってるクルマにすることをすすめます。 ちなみにジータは「ラゲッジスペースが小さい」。マークIIブリッドだと「ライバルのステージアと比べて割高で、ラゲッジスペース小さい」という弱点を持っています。 ただ居住性に関していえば、どちらも良好です。 (国沢光宏相談員) |
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この回答は説明能力、というか文章構成能力の未熟さが顕著に出ている。 何故、のっけから候補にあげた3車とまったく違う3車を引き合いに出して、そちらの方がいいよと勧めるのか。 質問者が候補にあげたのを質問中の3車にしたのには、ディーラーが近いとか何らかの要因があるはずである。そういうことをまったく無視している。 更に候補の3車について、だめ押しに頼まれてもいないのに欠点を挙げるところなどは最悪である。 このような場合は、回答としては、3車のうちどれがよいか、を述べてから、他にはこれがよい、と回答するのが通例ではあるまいか。国沢氏の書き方は、「レガシィが一番売れてるんだからレガシィを買っときなさい」と言っているように見えるのである。 これの回答としては、このような形が望ましい。
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香川県在住のストリームユーザーです。国沢先生のウェブサイトで気になった赤外線吸収フィルムを愛車のフロントにも貼りたいと思い、ディーラーで聞いたところ、そういう名称のフィルムは耳にしたことがないとの事でした。また熱線吸収のフィルムならあるが、価格が3万以上するとも言っていたので、先生が言われたように3枚で1万8000円位では収まりそうにありません。もし香川県内で先生のサイトのとおり施工してくれる業者等があれば是非教えていただきたい次第です。 (香川県 kiyoさん) 問い合わせたディーラーがたまたま知らなかったということだと思います。赤外線吸収フィルムと熱線吸収フィルムは同じもので、これを窓ガラスに貼れば 太陽熱を大幅にカット出来るという効果があります。エアコンの効率アップや、 内装の傷みなどがグッと少なくなるので輸入中古車に乗っているような方なら試してみるのもいいでしょう。どういったルートからフィルムを買うかによって価格は異なり、私が紹介した埼玉県の業者なら今でも1万8000円でやってくれます。香川県で紹介できる業者は、残念ながらありませんが、窓ガラスのフィルムを貼ってくれる業者に問い合わせてみたら知っていると思います。 |
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ここでの問題は、質問車の乗っている車がストリームであるという点である。 実はストリームは装備一覧によると全車、全面に高熱線吸収UVカットガラスが標準装備で、本来の目的においてはわざわざフィルムを貼る必要はない。 更に、「(熱線吸収フィルムを安く貼ってくれる)業者を知らないか?」という質問に対し「ガラスフィルムを貼ってくれる業者に問い合わせろ」というのは、まったく回答になっていない。質問者は、その業者自体のことを尋ねているのである。 これはこう書くべきである。
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免許を取ったばかりなのですが、VITAの新車の購入を考えています。車の知識が何も無いので、初歩的な質問かもしれませんが、外車は維持費や車検代が異常に高いと言う話を耳にしました。また初心者と言うことでぶつけることを考えると、中古が良いかとも思っていますが、中古で外車だと修理代も高く、部品が無い場合取り寄せるのにとても時間がかかったり、その部品自体も高くつくと聞きました。これらの話は本当なのでしょうか?また高いと言うのはどのぐらい高いのでしょうか?(北海道 マキコさん) 輸入車の維持費が高いというのは本当です。一昔前までは輸入車の部品など国産車より高いという理由もありましたけれど、今や高いといっても最大1.5倍程度。ブレーキ関係や窓ガラスなど国産車より安い部品さえ多くなってきました。それでも修理に出すと高いのは、一般的に外車のオーナーはお金持ちが多く、高い請求書を出しても値切らず払ってくれるためでしょう。逆に考えると、良心的な修理工場さえ見つければ中古の輸入車であっても国産車と同じくらいの維持費で乗ることが可能です。また、新車なら最初の3年間は保証付き。最初の車検までによい修理屋サンを探せばいいのではないかと思います。 |
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この回答でのおかしな点は、質問者がVITAを買いたいと言っているにも関わらず、VITAに対する回答になっていない点である。 というのは、国沢氏は自身のページでこう書いている。 日本車と比べた際のウィークポイントになりそうな部分は二つ。一つはアイドリング時の振動だ。(略)もう一つは左ハンドルであるということ。(略) 右ハンドルが登場してくれば、日本車と真っ向から激突するのではなかろうか?価格的に高い競争力を持っているのはもちろん、専門家もスタイルや雰囲気を高く評価している。気になるランニングコストだってヤナセはオペルだけ低く抑えているようで、点検や修理費用は日本車と同等か、高いものでも20%程度のアップで済む。特に輸入車だと構える必要はない。パワステ付きハンドルの操作力も軽く、女性ドライバーだって気軽に運転出来るだろう。(kunisawa.netより引用) ということで、ことVITAに関する限りでは、国沢氏は「維持費はさほどかからない」と、かつての雑誌記事で述べているのである。にも関わらず、オートバイテルの質問では「輸入車は維持費が高い」と述べているのだ。 以上をふまえると、あるべき回答は例えばこのようなものであろう。
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以上のオートバイテルの回答において、概して筆者が非常に気になるのは、「回答の途中から、質問自体への回答になっていず、第三者への推薦」のように変貌しているところである。もちろんこれはオートバイテルというページ上での回答であるため、質問者以外の第三者が読むであろうことを考慮した回答であろうということは理解できるが、だからといって質問者の質問項目を無視していたのでは、質問者ははっきり言って不快であろうし、第三者の読者でも疑念を持つ人は少なくないであろう。 もっともこのオートバイテルの相談自体がヤラセであるということも否定はできないのだが…。 (しかしそれにしても国沢氏は特定のメーカーの車をよく勧めているものである。) ● そらもう徹底的に支持しましょう 残っている限り、2004年1月時点までで国沢氏が最後に「困ったことや交通取締りに関して」の質問への回答を行ったのは、2003年末に掲示板に書き込まれた内容についてである。まずはその質問と、国沢氏や他の方々(一般の方)のアドバイスを見ていただこう。 |
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違法取締りを受けたときの対処法について 投稿者:沖縄の車好き 投稿日:12月22日(月)20時09分30秒 はじめまして。 国沢先生やみなさんの御意見を、お伺いしたいと思います。 本日、うちの母親がシートベルトをちゃんと締めて法廷速度で走行していたにもかかわらず、 パトカーに呼び止められ、「シートベルトをしていなかった」などと難癖つけられて、 違反キップを切られてしまいました。 本人と同乗者(叔父と祖母)が、「ベルトは締めて走行していた!」(実際、車を止められたときもベルトはしていたのに)と、主張を繰り返しても一向に聞き入れず、あげくには「パトカーに気づいて、ベルトを締めるところを見た」と、その巡査長が言い出したのです。 ウチの母親は、20年近く無事故無違反の優良ドライバーでもあります。 シートベルトをちゃんとしていたにもかかわらず、難癖付けられキップを切られるとは・・・(もちろん、納得がいかないということで、キップにはサインはしていませんが)。 本当に腹が立ってしまいます。 こんなことでは警官一人の独断や都合、ミスなどで、無違反者を簡単に違反者に仕立てあげられてしまいます。(犯罪かどうか?は、警官のさじ加減次第なのか???) どうしても納得がいかないので、県警本部の相談室に電話を入れ苦情を申し立てましたが、その結果によっては弁護士を立て裁判を起こそうかと考えています。 なんとしても警察の非を、実証させたいです。 何かアドバイスがあれば、ご協力お願いします。 沖縄のさん 投稿者:国沢光宏 投稿日:12月22日(月)23時42分47秒 そらもう徹底的に支持しましょう! 明日、対応策を伝授します。 通裁判 投稿者:UNIT 投稿日:12月23日(火)00時39分55秒 沖縄の車好き様 ご家族のことゆえ心配もひとしおとは思いますが、裁判の前には色々と準備が必要です。 まずは現在の正直な気持ちをお聞かせ下さい。 1)サインしなかった反則キップが事実上無効となれば良しとする。つまり不起訴になればOKである。 2)不起訴は当然、その上で違法な取り締まりを行った警官に何らかのペナルティを課したい。 このどちらの道を選択するかで対処法は大きく異なってくることとなります。 現状ではおそらくこのまま何のおとがめも無し、すなわち不起訴となる可能性が大だとは思いますが。 ちなみに私は過去に実際に正式交通裁判を行ったことがあります。 その時の経験も踏まえてアドバイスさせていただきたいと思います。 ご返答ありがどうございます。 投稿者:沖縄の車好き 投稿日:12月23日(火)02時10分17秒 国沢先生、ご返答ありがとうございます。 ベストカーのコラムで、毎月知識を付けさせていただいております。 さて、今回私の母に起きた違法取締りについてですが、態度の悪い警官にも怒りが湧いてきます。その巡査長はウチの母親の車を停車させるやいなや、停車させた理由も告げずに免許証を取り上げ、違反キップの作成を始めたようです。 はじめは母も年末恒例の検問か何かのために、車を停められ免許証の提示を求められたと思っていたようです。 しかし、どうも様子がおかしい、ということでこちらから理由を尋ねてみると、そこで初めてシートベルト違反だと告げられたそうです。 しかし、実際には母も同乗者もシートベルトをしており、そのことを主張し続けると、あげくには「パトカーに気づき、慌ててシートベルトを締める所を見た!」と難癖つけ、キップを切ったそうです。 これには、普段温厚な母もさすがにキレてしまい、再度叔父と一緒にベルトを締めていたことを主張したようですがまったく聞き入れられず、詳しい状況説明もされることなく違反キップを突きつけられたようです。 現場は沖縄県北部、今帰仁村(なきじんそん)の片側一車線の県道(田舎道)で、そのパトカーははじめウチの母が走行している反対車線の路肩にいたそうです。(違反車両を捕まえたあとだったようです。) 母の車とすれ違うやいなや、そのパトカーはUターンして母の車の後ろに付き、追走してきたようです。その後、パトカーのマイクで呼び止められ、前述した警官とのやりとりが始まりました。 ここで疑問なのが、巡査長が主張する(「慌ててベルトを締めるのを見た」)ことです。母の車とのすれ違いざまの一瞬だけでベルトをしていない、又は慌ててベルトを締めたと判断したのか?、それとも後ろから追走しているときにベルトを確認したのか?(後ろからでは、はっきり確認することは不可能)、いずれにしても詳しい状況説明を行わないで違反キップを突き出してくる警官に対して、怒りを抑えることができません。 こんなことでは、いくらドライバーが法を守っていたとしても、警官の言葉一つで簡単に違反者にさせられてしまう。 本当に許せないです。 このまま泣き寝入りは、絶対したくありません!! 警察のミスを実証させたいです。 国沢先生のお力をぜひ、貸してください。 警察の謝罪 投稿者:国沢光宏 投稿日:12月23日(火)16時06分9秒 謝罪を勝ち取るのは相当難しいと思います。 なんせマトモな組織じゃないですから。 ただ抵抗するだけで向こうは相当なダメージを与えられると思います。 キップにサインしていないとのこと。 普通の違反ならこれで十分なのですが、シートベルトの着用義務違反は点数だけ。 つまり刑事処分はなく、行政処分の対象になるだけです。 したがって裁判所で争うことも出来ません。 だからこそ敵も簡単にデッチ上げられるのがこの違反の腹立たしい点です。 沖縄以外でも神奈川県と北海道でデッチ上げが発覚。処分されています。 方法は三つあります。 この件を沖縄の新聞に訴え、取り上げてもらうこと。 正義感のある記者なら話を聞いてくれると思います。 おそらく他の人もキップを切られているでしょう。 数名集まれば力も強くなります。 二つ目は有力者に圧力をかけてもらうこと。 議員さんなどが好適です。 三つ目は興信所などに頼んでキップを切った警察官を追ってもらうこと。 速度違反や駐車違反などあったら、即座に警察に通報。 これを繰り返します。 そのくらいのことをやっても問題ないくらい、国民の信頼を裏切る行為だと思います。 ご返答ありがとうございます。 投稿者:沖縄の車好き 投稿日:12月23日(火)22時58分25秒 >国沢先生 いろいろ、対処法ありがどうございます。 まずは、新聞社に連絡をとってみます。 経過報告は随時、この掲示板に行います。 >UNIT さん 私の思いは、「2)不起訴は当然、その上で違法な取り締まりを行った警官に何らかのペナルティを課したい」です。(実際には厳しいですが) 詳しいお話と、アドバイスよろしくおねがいします。 しかし、本当に今の警察とはなんなんでしょう? でっち上げで、シートベルト違反を取り締まる時間あるなら、 もっと他にやるべきことあるだろっっ!! 今回の件で、本当に警察には失望しました。 点数は 投稿者:国沢光宏 投稿日:12月23日(火)23時26分32秒 残念ながら点数は行政処分。 刑事処分と違って起訴されないんです。 もちろん反則金もありません。 警察内部で処分は終了してしまいます。 そこがシートベルト着用義務違反のズルいところ。 だからキップもらっただけで減点されてしまいます。 その点数を自分だけの力で取り返すのは、非常に困難です。 マスコミに相談するのが最もいいと思います。 追伸 投稿者:国沢光宏 投稿日:12月23日(火)23時30分51秒 もし沖縄のマスコミがダメなら再度御相談下さい。 微力ながら取材させていただき、私が問題提起します。 何誌かで取り上げられると思います。 違反 投稿者:Furu 投稿日:12月23日(火)23時31分34秒 お久しぶりです。先ずは沖縄の車好き様、ご心労深くお察し申し上げます。 私もお聞きしたいのですが、行政処分は取り消されることがほとんど無いのでしょうか?刑事では不起訴でも点数はしっかり付いてしまったという話を雑誌か何かで読んだことがあります。 今回の冤罪ともいえる例でも違反の記録は残ってしまうのでしょうか?(次回はゴールド免許では無くなる?) (略) お願いします 投稿者:沖縄の車好き 投稿日:12月24日(水)00時14分2秒 もし、沖縄県内の新聞社が取り上げてくれない場合は、 どうか国沢先生、そのときはお力をお貸しください。 お願い致します。 私の方でも、ベストを尽くしてみます。 >Furuさん ご返答ありがとうございます。 警官のでっち上げで、点数が1点とはいえ違反をしていないのに減点をされるのはどうにも納得がいきません。 また、この警官の横柄な態度が、絶対に許すことができません。 こんなことでは、何処の誰でも違反をしていなくても車を運転している限り、違反者に仕立て上げられてしまうということです。 正々堂々と行きましょう! 投稿者:UNIT 投稿日:12月24日(水)00時35分28秒 投稿タイムラグのせいか話がすれ違っておりますが、どうやら断固とした処置を望んでおられる様子。随分お怒りの様ですがまずは冷静になって今後の対応策を考えましょう。 まず「沖縄の車好きさん」の場合、「法に基づいた正当な手段」で目的を達成するためには幾つかの法的手段を取る必要があります。ただしいずれも相談を持ちかけたという県警相談室の返事次第、そして違反切符にサインをしなかったことに対する地方検察庁の取り扱い次第で対応策は変わってきます。まずは様子見ですね。 違反については、このまま検察庁等からの呼び出しも無く、違反した事実そのものが無くなる可能性が高いと思います。先方が「いやそんなことは許さない。キチンと法的手続きを取った上で行政処分を科す」というのであれば、そのむね検察庁より事情聴取等の呼び出しがあるはずです。 問題の警察官に何らかのペナルティを課したいという場合は、これとはまったく別問題でして、処分は監察官室による内部規定に基づく処分(減給や停職など)と刑事裁判による法的処分(懲役)の二つがあります。苦情を申し立てたのが県警相談室とのことですが、今からでも遅くないので県警監察官室に直接状況を申し立てた方がいいでしょう。監察官室では調査を行い、その警察官の取り締まりが規定に違反していることが証明されれば何らかの処分対象となるはずです。ただ確実に処分されるという保証はありません。これよりも厳しい措置を望むのであれば、問題の警察官を刑法に基づいて告発することとなります。ここから先は弁護士さんとの相談が必要ですね。 ところで基本的なことですが、当事者であるお母上は法廷の場に立つことは了承なさってますか? >Furuさま 行政処分の取り消し等は「行政不服審査法」に基づく行政処分不服審査請求を通じて求めることができます。ただこじれた場合は行政訴訟が必要でしょうね。 沖縄の車好きさんへ 投稿者:KAMI 投稿日:12月24日(水)07時51分50秒 この件に関しては http://www.e110.org/main.html というのがあります。 如何でしょうか? (kunisawa.netより引用) |
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この回答は、知識面と質問者の立場(解決策の実施の現実性)を考えていないという点で失敗している。 最初に国沢氏は「行政処分は取り消しができない」と断言しているが、後のレスにて他の方が「行政処分は行政処分不服審査請求及び行政訴訟にて争うことができる」と書いており、後者は正式な交通裁判を行った方であるから、もし国沢氏が絶対神に近い存在であるというバイアスのかかっていない方であれば、どちらが正しいかは明らかに分かるであろう。 また国沢氏のアドバイスは非現実的で、実際に動く際の質問者の労力や金銭的コストは図り知れず、割に合わない。有力者に頼むにしても、具体的に動いてもらうにはなにがしかの袖の下を要求されることは多い。興信所など論外である。1日雇えばいくら経費がかかるか分かって言っているのだろうか?ざっと調べてみたところ、1週間の就労日(5日)の素行調査でも17万円〜40万円かかるようである。 ここまで金をかけてまで読者に警察と戦えと言うのだろうか。おまけにやろうとしていることは悪意を持ったストーカー行為以外の何者でもない。まったく参考にもならないアドバイスである。 この質問に関しては、国沢氏は格好の警察叩きのネタだと判断して騒いでいるだけのようにしか見えない。 更に言えば、「沖縄の車好き」というハンドルの方に対し、いきなり「沖縄の」さん、というように勝手に省略して呼んでいる点も些細なことながらいただけない。 ハンドルはそれ自体がニックネームを兼ねる。「俺の名前は啓太郎。でも長いからケータンって呼んでくれ」と言った人に対し、いきなり「おい、ケー」と呼びかけるようなものである。せめて「沖縄の・・・」さん、というくらいにはしておくべきであろう。 ● 急ぎすぎた回答 ここまで見て来て、読者諸氏は筆者が挙げた「相談を受ける際に必要な3つの能力」を国沢氏が十分有していると思われるだろうか? なるほど回答はしているし、それで重大な問題が発生する可能性は高くはないものも多いが、「かの著名な自動車評論家の回答である」という先入観を取り去って客観的に見れば、その回答には疑問符をつけざるをえない。 まず「聞く能力」についてであるが、いくつかの掲示板のログを見れば、彼は自己の主張をすることは多いが、相手にうまくしゃべらせる(発言させる)ように誘導することがあまりにヘタであることが分かる。 たとえば、6-13節で触れたETCの連続通過の件である。掲示板にはせっかくETCシステムに関して技術知識のある方(A氏とする)が発言してくれているにも関らず、これ幸いと根掘り葉掘り聞くようなことをせず(ジャーナリストならこういう行為をして当然なのだが・・・)、「情報公開しないんだからよくわからん」と切り捨てている。A氏から更なる追加情報が出されたのは、その掲示板での、国沢氏以外の常連から出た素朴な質問を受けてのものであった。 また、2004年初頭に行われたクラウンに関するチャットでも、彼は「〜についてはどうですか?」という質問方法であって、「〜については××の点が○となりましたが、それはどう思うか」というふうに内容を掘り下げて聞く工夫をしていない。 お遊びチャットはそれでいいのだろうが、このチャットを見た方が2ちゃんねるで「薄っぺらすぎる」という印象を受けたと発言したのは、こういうことも原因ではあるまいか。 更に、1-3「ジャマーなマナー」でもお分かりのように、彼は発言者の意図をまったく読み違えることが多々ある。それで認識の誤りを指摘しても、あさっての方向へ向かってしまった話題を元に戻すようなことはなぜか行わず、そこで終わってしまうのである。 つまり彼は、相手の話をうまく聞き出す能力に欠けるばかりでなく、その少ない情報すらも正確に把握できない可能性が高いのである。 次に「問題解決のための知識力」であるが、これも上に挙げたいくつかの例を見る限り、誉められたものではない。内容の誤りや事実誤認が随所に見られるのである。 これは彼が知識がないということに必ずしも直結するものではなく、むしろ問題解決のために改めて調査をしたり、熟考したりということを行っていないため、とみるべきであろう。 最後に「説明する能力」。これまた彼は欠けていると思われる。上の例でも明らかだが、既に6-9節で述べた「行間を読めない人が増えました」騒動でもそれが分かる。自分の書いた文章の意図が相手に伝わらなかったといって、それを相手のせいにするようでは、文筆業で禄を食む者としての最重要項目であるべき表現能力を研鑚してきたとは到底言えまい。 しかも彼の文章は文体が平易であるにも関らず、主語が曖昧であったりして結果として非常に崩れた文章である。この原因は、頭で浮かんだ言葉をそのまま書いて、後で文章の見直しや推敲をろくにしないためであろう。自身のページの誤字指摘対策を他人にさせているところからもそれはうかがえる。 結論として、相談を受けるために主要な条件において、国沢氏は満足のいく素養を有していなかったし、その改善策もとらなかったといえるのではあるまいか。これではたとえいくら情報量があろうと、また問題解決案が斬新なものであっても、質問の要点を外したところでの回答となってしまい、役立たずとなってしまうのだ。 その原因の多くは彼の極度なまでの「拙速性」に尽きる。質問を聞き返さないのも、再度調査をしないのも、回答の推敲をしないのも全て「回答にできるだけ時間をかけない」という考えからくるものである。 なるほど、質問には早急に回答した方が質問者は嬉しいであろうし、回答者もいつまでもひきずらずにすっきりとするであろう。しかし、いくら早くてもピントを外した回答では意味がないのである。 ただ、質問をもらったら質問者に早く連絡してあげたいという気持ちがあるのであれば、「質問を受け取りました。調査してご回答しますので少しお待ちください」だけでもいいのであるが・・・。 |
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● 相談受付の真の目的は何だったのか このように、国沢氏は「困った人の役に立ちたい」と言っておきながら、その本来の目的の効果が十分あったとは言い難い。 しかし、それでは彼は何故、相談を受けるために必要な能力にも欠け、有効な対策をとるという努力もしないにも関らず相談をうけつけることにしたのであろうか? 本当に純粋に「ボランティア」の気持ちからだけであったのであろうか。 ここで、国沢氏がおこなった回答の傾向と対策をまとめてみると
となる。 これらを総合して考えると、彼が相談を受け付ける動機には、「誰かの役に立ちたい」という以外に、本来はその行為の結果生じる副産物である、
このうち、1.を裏付ける1つの事象がある。彼は、何か人のためになることをしたら何らかの謝辞が必ずもらえるものと大いに期待している節がある。その根拠となるものは、かつて彼が日記に書き、2ちゃんねるでも大いに話題となった「暗い心を持ったボランティア」騒動である。以下に問題の日記を引用する。 |
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2001年5月10日 7時に家を出てMR−Sで羽田空港に向かう。けっこう流れよく8時ちょっと過ぎに到着。9時25分発のANAに乗って旭川。今日は鷹栖のテストコースで雑誌向けに行われた『インテグラ タイプRのプロトタイプ』の試乗回である。 (略) 試乗会の帰りバスが急に停車。見ると前方で事故。ぐったりしてるケガ人もいる。救急車おらず、遠くから見てると仰向けの体勢。こりゃマズい、ということで駆けつけた。 状況チェックすると右足スネの複雑骨折。出血もしているので、救急の手順通り側臥位にする。仰向けだと舌が気道に落ちて呼吸出来なくなる危険性あるからだ。 さらに痛い所や動かない所の確認していると救急車到着。イキナリ体を動かそうとするでないの。おいおい!「日赤救急法救急員の資格を持っている」と告げ右足を複雑骨折してるなど状況を伝える。するとやおらベルトを緩めようとした。交通事故の際は腹部損傷の可能性高いので、慎重に対応するべき、と先日も救急の専門医に聞いたのだが。 ま、これ以上口出ししても仕方ないので「ではお願いします」と言ってその場を離れたが、救急隊員から一言も無し。そんなにボランティアの人間がイヤなら、資格なんか取らせなければいいのに。次から事故見ても知らんぷりを決め込みたくなりました。鷹栖近辺では事故を起こしたくないな、と思う。もう少しケガ人に対し注意を払って欲しい。 夜はホテルで清水草一改めMJブロンディにカラまれる。 (kunisawa.netより引用) |
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筆者には理解しがたいのだが、人の生命を救うための行為*の動機*に何故資格がどうこうという発想となるのであろうか? 事故を見たら、まず安全確保と負傷者の救助、というのは教習所でも習う基本中の基本である。救助を行う際、救急員の資格を持っているかどうかなどは、救助活動を行うという行為の*目的自体*には関係ないはずで、「もし救急の基本を習得していたらBetter」程度のものである(もちろん人命を救うという面においては救急員がいれば大きな効果がある場合も多々あることは否定できない)。 このような「人助け」はあくまで社会生活を送る中で自発的に行うものであって、最初から見返りを期待して行うものではないはずである。もしそんな邪な考えがあるくらいであれば、「自分の手には負えない」と邪魔をしないように傍観していた方がマシなのかもしれない。 それに、日赤救急法救急員は3000円と18時間の講習にて取得可能な資格である。しかしこの有効期限は3年で、更新するためには再受講する必要がある。対する救急車の乗務員はどうかといえば、「救急隊員の資格と実施できる応急処置」に書かれているが、最低でも消防学校にて135時間の教育を終了している者である。救急救命士に至ってはのべ1000時間以上の教育を受け、かつ国家試験に合格していなくてはならない。 つまり彼は、例えば経営コンサルタントの講演を1回聞いたくらいで富士重工の経営について口を出しているような真似をしていたわけである。一例として、複雑骨折かどうかなどはレントゲン撮影をしないと分からないものではあるまいか。それをわけ知り顔で述べた段階で、救急隊員から「頭でっかちの素人のでしゃばり野郎」と思われて、相手にされなくなっても仕方があるまい。 人命救助に対してすら、専門家を押しのけ、自分が目立とう&感謝(賛美)されようとする気持ちがあるのだから、それが第三者の困った相談に関するものであれば、やはり同様の考えがあった、という仮定は、肯定されこそすれ、払拭はできないのではあるまいか。 事実、彼は以前「質問に回答しても以後の連絡がない」という不満をWEBで述べたことがあるのだ(原文不明にて引用できないので申し訳ない)。
2.については、憶測となるが、既に書いたように、彼は「インターネットは情報が不足している」「素人のサイトの情報は信頼性に欠ける」など、事実に反するかのような表現を用いてまで、できるだけ自分のサイトに読者を誘導しようとしていたことは明らかである。 人を呼ぶためには、とりあえずの情報が必要なのだが、幸いそれは過去の雑誌記事の原稿があったので、ほぼそのまま掲載して対処した(そのためあちこちにメタ文字や誤字が大量に残る悲惨なものになってしまったが・・・)。 次に、一度訪れた読者を飽きさせないようにするためには、−というよりも情報をどんどん書いてもらうためには−掲示板が絶対に必要である。更には「こんなにフレンドリーな人だから何でも(相談なり情報提供なり)メイルをしてほしい」ということを暗に示す意図もあったのであろう。国沢氏が何度も荒らされても頑として掲示板を続けているのは、単に自身への賛美を見たいということだけではなく、こうした目的もあったのではあるまいか。 実際、掲示板に書かれた情報については、2-4節「有益な情報に1000点!」などでは鬼の首をとったかのごとくはしゃいでいるし、ランエボの走行会を開催した後に掲示板で感想を募って、ほぼそのままベストカー誌のコラムに掲載したし、ETCの件でも同様にネタにした。 恐らく、国沢氏は意識的であれ無意識的であれ、「『ネタをください』と言えばあからさまな情報要求で読者はいやらしさを感じるが、『相談にのりますので何でもメイルしてください』であれば、相談者は心を開いて相談という名の情報提供をしてくれるだろうという計算が働いたのではあるまいか。その中には、何か記事のネタが含まれているかもしれないのだから。 このように見ていくと、彼がHPを開設して主にやろうとしていたことは、相談という皮を被った営業行為という側面が強かったと考えるのが妥当のように思われるのだ。 ● 最大の過ち このような、一見他の目的のように見せかけた営業行為自体は、多かれ少なかれ他のページでも行っているケースが多く、それ自体はさほどの非難の対象とすべきではないと思われる。 だが国沢氏が−当ページにて反面教師の例として挙げられるほどの−失敗をおかしたのはここからである。 うがった見方をしてみると、先に述べたように相談に関したページ主体であれば、普通は、同種の質問が多いのが当然なので、どうしてもFAQを作る必要に迫られるものであるし、国沢氏も「Q&Aコーナーを作りたい」と言っているのだから、それは早期にあって当然のものであった。 しかし、その「最初、作るつもりだった」FAQ集は、とうとう最後まで存在しなかったし、Q&A専用の掲示板があったわけでもない。掲示板での質問は他の常連が答えることも多かった。 メイルが一体どれだけ届いていたのかは推測しかできないのだが、ことページの運営(及び日々の日記)を見る限りでは、相談に関して国沢氏にかなりの負担があったと思われる要素は少ない。 また、上記の沖縄の交通違反捏造?の件の質問を見る限り、行政や法律に関する知識が誤っており、弁護士に相談していたのかどうかも甚だ疑わしい(弁護士に少しでも相談をするだけでお金をとられるはずで、無償の相談でそこまで国沢氏が尽力していたとも考えにくい)。 更に、相談をやめる根拠、として挙げた相談に関しても、クレーマーまがいの相談者などは、彼はこの発言の1年近く前に既に話題にしている。相談を受けるのが次第に嫌になるのであれば、その時より「こういった相談には答えかねるので・・・」等の注意を呼びかけるなどの傾向が出ていてもよいのではあるまいか。 加えて、彼は表現が多分にオーバーなことが多々あるし、情報源を隠したがる傾向もある。少し言い過ぎかもしれないが、読者を煙に巻いても何とも思わない傾向すら見受けられるのだ。 これらのことを考えると、国沢氏が受けたという厄介な質問は、実はさほど多くはなかったのではあるまいか。いや、もしやすると、最近はまったくといっていいほど質問や相談が来なくなっていたのかもしれない。 ここからは筆者の推測であるが、恐らく、相談の受付を終了した最大の理由は、国沢氏自身がこれまでのやり方に「飽きた」「つまらなくなった」「回答がめんどくさくなった」ということもさることながら、相談自体の極端な減少もあるのではあるまいか。 なにもこれは国沢氏に限ったことではなく、3年もHPを開設していれば誰しも倦怠期のようなものがきてしまい、ある時点での方針転換は恥ずかしいことでも何でもない。 くすぶっていたものが、ある日突然に「や〜めた」という事態になることがあり得ないわけではないが、いくら何でも次々と困った人からの相談が舞いこんでいたら、人情として、なかなか突然スッパリと切れるものではない。逆にほとんど相談が来なくなってきたら、それは心おきなく可能である。 ここまでは、運営の変換として納得できるものである。 だが、彼は相談の受付を終了する弁明に、よりによって一番してはならない弁明をしてしまった。 それが「俺は一生懸命やったのに、全て周りが悪いんだ」という、これまでの彼のしてきた過ちと同じパターンなのである。(参考:フリーランダー追突事件) このような弁明では、質問した者の中には「え?俺の質問がそんなに迷惑だったのか?」と感じ、国沢氏から離れていく者もいるはずである。せっかく招きいれた客(しかもカモになりやすい)を、自ら追い払ってどうするのであろうか。 加えて「仕事のメイルしかするな」とか「Hotmailは無条件でゴミ箱」とかいうのでは、それを初めて見た読者は、「冷たい人だなあ」という感想を抱くはずである。 それが、日常のダラダラとした日記や読みづらく誤字の多い文章ともあいまって、彼は「精神的に幼稚なワガママ中年」である、という印象を強調させてしまうことになる。 これは彼がこれからもそうありたいと思っているであろうこととはまったく正反対なのだ。 彼がすべきであったのは、このような文面での弁明である。 |
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Webサイトを始めて3年少々。いろいろ思うことがあります。 当初の目的はこのページの最後にもある通り「困っている人を助けられたら」というものでした。実際、クルマの不具合や違反、事故で困っている人からメールを多数頂いています。 ですが、やはりメイルだけでは限界があります。本来は相談者の方に会ってでも解決したいと思う気持ちはあるのですが、ワタシも忙しい身でもあり、それもできません。 加えて相談が増えるにつれて、メイルの返事をさしあげることすら十分対応することができなくなってきました。 掲示板に書けば詳しい人が答えてくれていますし、ワタシもそれに甘えていた面が多々ありますが、いつまでもこういう状態ではいられないと思った次第。 ということで、大変申し訳ないのですが、クルマの不具合や事故、取り締まりについての相談は、しばらく休止させていただきたく思います。こうなったのも全てワタシの力不足であると恥じ入っております。 その代わり来年早々、お互いの顔が見えるような、濃くて役に立って楽しめる関係のネットワーク作りのためのサイトにしたいと思っています。 読者の皆様にはご理解いただけるよう、心よりお願い申し上げます。 |
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こう書けば、誰を貶すでもなく、参加者をも持ち上げる弁明であるし、一見自分を卑下してはいるが、大半の読者はそうは感じないというカラクリが起こる文章である。定型的で本音を言っていないと感じる方もいるかもしれないが、それこそ行間を読むべきであって詮索すべき事柄ではない。 これでも質問してくる人がいたとしても、その人は「国沢氏の責任を持った回答が期待できない」ということを理解した上で質問してきていると解釈されても仕方がないため、国沢氏も気楽に(急がず)回答できるのである。 このようにほんの少し文章のコツというものを知っているだけで、一時の弁明でも将来自分に有利なものとなる。 彼はそのことに気が付いていないのであろう。 ● 方針転換はしたものの そして2004年。kunisawa.netは濃いネットワークのために、HPのリニューアルやクラウンに関するチャットの実施など、新たな方向を目指して動き始めた。 だが、そのリニューアルしたというページは相変わらずの乱雑で詰め込んだだけの読者に優しくないデザインで、ディレクトリ構成も整理されていない。チャットに関しても、単に試乗した1人に選別された参加者が質問をするという、第三者が見たらヤラセ臭が非常に漂うものであった。閲覧者も30名にも満たないし、チャットのログも公開されてはいない、極めて閉鎖的なものであった。 つまり、一見、これまでと何も変わってはいないのだ。 はたして、彼が目指すインターネットの理想は一体どこにあるのであろうか。 それが、イリノイ大学でマーク・アンドリーセン氏が友人たちとMozaicを作り上げた時、彼等が夢見ていた理想とは異なっているであろうことだけは確かである。 |
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(2004.02.12 α2版) |